~来タレ我軍曹!×4受限定軍曹&4受大臣憩いの場★~
PHOSPHOPHYLLITE 2
【 ささやかな実験 】
Trowa×Quatre
恋人街道まっしぐらな
カトルと美容師トロワの日常です。
日常がイチャついている人たちはどうしようもありません。
じゃれあったりしながら、
ラブラブとときをすごしているのでした。
トロワが美形だと思っていない方には
絶対に容認できないだろう描写が多々ありますので、
そこのところを「許せる」というかたのみ
「本文を読む」からどうぞー!
【 ささやかな実験 】
Trowa×Quatre
恋人街道まっしぐらな
カトルと美容師トロワの日常です。
日常がイチャついている人たちはどうしようもありません。
じゃれあったりしながら、
ラブラブとときをすごしているのでした。
トロワが美形だと思っていない方には
絶対に容認できないだろう描写が多々ありますので、
そこのところを「許せる」というかたのみ
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〔PHOSPHOPHYLLITE 2〕 Trowa×Quatre
【 ~ささやかな実験~ 】
髪を撫でていた。
壁面の多くは鏡で占められている。その画面(スクリーン)の中に痩身の青年が居た。
彼は長身と言われるに十分な上背に、理想で創りあげた肖像(フィギュア)でもかくやというような、見事な均整(プロポーション)を有していた。
斜に構えた辛口評を添えるとすれば、その体格では「細身過ぎて物足りない」だろうか。しかし、それは彼の全てを知らぬ“遠い関係”にある者が口にする言葉であろう。なぜならば彼の身を覆う布に隠された体躯は、無駄のない凝縮した筋肉を身に付けていたからだ。
ひけらかされることは決してないだろうが、肌に浮かぶ筋肉の隆起は、宿す性質をそのままに、強靭な印象を持っていた。彼には『しなやか』という語が相応しい。
駄目押しとばかり、顔の造りまでも『優良』というのだから、「神は全てにおいて平等ではない」と、嘆息する同性も数多(あまた)だろう。
そんな彼の男性的でいて繊細な長い指が、細く柔らかな髪の毛に優しく触れていた。
金の絹糸。それも特上の――恒久に劣化することのない――白金の色味をも帯びたプラチナゴールドの髪の毛だった。
手の中で零れ落ちる光をすくうよう手首をひねり、指先はさらさらと鳴る毛先を――時に、その指に絡めるようにして――玩ぶ。
今から記すことについて、どんな否定も許さない。動きがなにより雄弁なのだから。――その手は、その髪を……否、その髪の毛の主を愛していた。
そう、慈しむ手のひらが『愛おしい』と、愛の言葉を綴っているのだ。
◇◆◇◆◇
極微(ミクロ)な世界に合わせられている照準を変えるとしよう――
見渡せば室内の設備からいっても、ここが美容院なのだということは一目瞭然。通りで髪を……。と、これで納得できる情景だと思えただろうか。
前述した「手」の主ということになる彼は、印象的な緑の瞳をしていた。「綺麗な」と表現すれば手っ取り早いが、強いて何かになぞらえるとすれば、一見は「氷」の心象。しかし、恐れずに深く探れば、氷の奥に「緑の森」を思わせる静けさが潜んでいた。
その瞳を前にして。体は、皮膚の下、心は、何を感じるのか。片鱗でも感じ取っていただくためには証言をとるのがよかろう。
誰よりも真摯な視線を向けられている者に去来したものは、
《――うっそうと茂る木の葉の重なりは強い夏の陽射しさえ遮り和らげている。辺りには馥郁たる緑樹の香が立ち込め、しっとりと潤んだ大気に満ちた木陰という自然の隧道(トンネル)を創り出す。梢は震え、木漏れ日は薄闇の中できらめいて、その涼やかな空間で息を吸い込むと強く感じるような、厳かさ、清涼感――》
彼が最も愛する少年の心身は、胸の高まりと共に、そんな感覚を捕らえていた。
言葉では表し切れぬから、少年ははにかみ微笑むのだろう……。
視点がずれているこの間も、冷たい壁面に一瞥も加えない――もしも鏡が感情を持つ女性であったなら、こう言ったであろう――「つれない男」の視線は手元に注がれている。今、触れている髪が綺麗だから……という、理由だけであるはずがない。髪を撫でる手は、慈しみという感情を惜しみなく溢れさせている。
それもそのはず。この人が、彼の最愛の人なのだから。
構図は簡単。美容師である彼が、俗な言い方をすれば恋人ということになる人の髪に、手を入れようとしているだけのことだった。「ああ、羨ましい~」と零す人間はどのくらいいるのだろうか。
派手な、どころか、なんの宣伝も打っていないし、貪欲とは言い難いマイペース、もはや気紛れともいえるスタンスで仕事をしているが、そのムードと技量ゆえ、熱烈な顧客を抱える彼の名前はトロワといった。
そして彼の愛情を一身に浴びる人の名はカトル。月光を手にした者がぬくもりの体現を求め、命を注いだような、淡い光を思わせる優しげな面差しをした少年だった。
肌はミルク色、なおかつ、微かなピンクを足しているという、甘やかな質感を見せるうえ、大きな碧い瞳は穢れなさの証だと断言できるような表情をしている。カトルという人は、澄ましていれば綺麗でいて、仕種や発想からいえば、喜怒哀楽を豊かに見せて、何よりかわいい人であった。
カトルが来店した事によって縁を結んだという顛末だが、その二人の出逢いは偶然とも言い難いものであった。思念が形になったようでもあり、精神力の賜物であったかもしれないし、精神力などとややこしい言い方をせず、念力と言ったほうがよい気もする。それは、どちらの? と、訊ねるのは野暮というもの。これからの二人を見て判断してみるというのもまた一興ではないだろうか。
◇◆◇◆◇
「洗わなくっていいってば……」
ぼそぼそと呟いたカトルの声は、プッと吹き出す息とともに、その小さな唇から吐き出された。
「苦手なんだからさぁ」
洗髪台の前に腰掛けたカトルは、トロワに静かな抵抗を見せていた。
多数派ではないと言い切れるタイプなのだが、カトルは洗髪されるのがことのほか、苦手だった。
結局は毎回、トロワに頭を洗われてしまうことになっていたのだが、「頭皮を掻き回される、背筋まで気持ち悪くなるからイヤ!」という弁を盾にカトルは懲りずに歯向かい、それをトロワが宥めるというのが恒例行事と化していたのだ。
まだ鏡のほうを向いたまま椅子に腰掛けている状態のカトルは、自分の背後に立つトロワに鏡越しに話しかけていた。トロワは依然としていかにも器用そうな手つきで白金の髪を梳きながら、鏡の中のカトルに目を遣る。
不満そうにしているはずのカトルが、時折ゆっくりと瞼を閉じる。その仕種は、頭髪に深く差し入れられたトロワの手が微妙に角度を変え、髪の流れの中を行くタイミングと同調(シンクロ)していた。
手のひらは、そっと頭を撫でる。長い指は毛筋を乱す。二つのを併せた全ての動きで、髪を梳く。
こんなときにトロワが何を考えているのかカトルにはわからないけれど、そんなふうに愛撫されれば、心情だってそっちのけで『なんだか気持ちがいい』に決まっているのだ。
一筋ごと。髪の毛が触れ合う音を聞いていたトロワの耳に、無意識で零れたカトルの吐息の音が届く。鏡を通してチラリと視線を流すと、そこに見えたカトルの表情はトロワが内心で笑むようなものだった。
自分の中の豊かな感情を芽生えさせるカトルを賞賛したくなったのか、トロワはあたかも神聖なものであるように、手にした髪に厳かに唇で触れる。
儀礼的な挨拶膝をついて手の甲に口付ける程度のこと、トロワならスマートにやってのけるだろう。たった一人の人にしか心を開かない、鋏を手にした風変わりな紳士でも淑女のお気に召せばよいのだが。
……そういえば、意識している今は正面を向いているが、トロワが鋏を使っていようと話しかけるために彼の姿を追って、あっちを見こっちを見、してしまうという悪い癖がカトルにはあった。
基本的には、素直なカトルは、トロワから「少し下を向いて……」などと合図されれば、「もういいぞ」と解除の声がかかるまで、じっと同じ姿勢を保っていて、それについては終わったとトロワが思い、次の作業に移るため一度その場を離れ戻ってきても(そのままのポーズでいる必要に疑問を感じていないわけはないだろうに)、声を掛けなければ律儀に姿勢を変えずにいる。トロワの声を待って、いつまでもおとなしくしているようなカトル。それでいて窮屈そうにしているから、余計にその素直さや従順さを感じさせられることが幾度もあった。
しかし、会話に夢中になるとカトルも少々うっかりとするのだろう。これ以上、首は回らないというところまでジリジリと移動をし、やっと止まったと思ったら、逆から振り向くようにぐりんと……。邪気のないカトルは微笑んできたりするのだ。姿を視界に納めながらのほうが話しやすいというカトルの気持ちはわからないではないが、後ろに用があるのに首を捩じられては、今度はトロワがカトルの後頭部を追わなければならないことになるというのに。
耳くらいなくしても自業自得だと、にべもない態度をとるくらい平気な男だが、カトル相手ではそうもいくまい。最も、冷めた言葉で十分という相手ならば思い遣りと気負いがないぶん、トロワの脈拍は普段と変わらず、無意識下でさえ筋肉が痙攣することなどもなく失敗もないだろう。
少々頭の角度を歪めているくらいでは何も言わなくなったトロワでも、髪をカットする時などに余り頭を動かしているとどうだろう。さすがに「カトルは本当はカットも嫌なのか?」と呟きつつカトルの頭が正面に向け直すのだった。
それはさておき。意識している今はおとなしく前を向いているわけだし、カトルが「カトルは余程、前衛的なカットに挑戦したいんだな」と、トロワに静かなるプレッシャーをかけられ、我に返ることがしばしばなのは、ご愛嬌ということで……。
ぶるぶるぶるっ。カトルが首を振った。
濡れた犬もそうするな、とトロワは不謹慎にも考える。
弾くのは水ではなく、自分の手であるのに。
厳密に言えば物質としてのそれではなく、それのもたらす感覚を打ち払うものなのだが。どうやらそのこともトロワにはわかっているらしい。
気を取り直したのかカトルが言った。
「シュッシュッて、やってくれればいいんだけど」
膝の上で握っていた手を上げて、人差し指をクイクイと曲げ伸ばしする。霧吹きを使うジェスチャーらしい。
ただでさえ大きな瞳をしているのに、指を動かしながら目を見開いて口許をうぎゅっと結ぶ。仕種につられ表情までトボけたものになっていることに、カトル本人は気がついているのだろうか。ああ、トロワは何度、この『いやにカワイイ生き物』の目撃者になったことか。
「ほら、トロワは上手なんだし、大丈夫。このままだって奇麗にできるでしょ」
「おだてても無駄だ」
「違うよっ。本心に決まってるのにぃ!」
碧い瞳がびっくりしていた。
「ストレートな褒め言葉も素直に聞くべきだよ……」
そう言う唇は桜の花より鮮やかだ。
愛らしいその唇に触れたそうなトロワの手は、色付きは微かに淡いが、似た色味をした頬のラインを探索する。なかなかに慎み深い。
トロワの長い指は仕事に支障が出ないように、その爪先までも整えられている。形が綺麗なのはしかたがないとしても、「動き」までもがそうなのだ。……相乗効果もありか。
彼の顧客ならば感じているだろうが、「トロワ」は商人ではなく、職人的であった。
仕事についてはどこまでも堅実。孤高を持する彼は黙然と作業に耽る。ただ仕事をこなしているだけというのはクールな態度からはっきりとわかった。それゆえか、トロワに髪をセットしてもらった女性は一様に昂揚していた。禁欲的だからこそ逆に見ていて感じることもあるのだ。人間の矛盾点をつくように、それが妙に魅力的に映るのだから、抑えた“もの”が見る者には上乗せされてしまうのかと疑ってしまう。
髪質を確認するために触れている手は、もうそこから人の心を惹きつける術を知っているように優雅に動く。黒衣の青年は見目の麗しさを辱めることのない、精妙な技術を持っていた。
しなやかな動きを陶然と見つめ。不安のない鋏の音を心地好く聞きながら、彼が触れたところから「自分は確実に美しく変化している」という期待に胸は躍り。その時に向けられる翠の瞳に身を焼くのだろう。手技が人の期待を満たし、予想を超えるとき、それは魔法というものに近付く。
――そんな、心酔の先のあるはずの彼は目下、
「カトルは綺麗だな」
「いっ!? ど、どーいう脈絡―っ?」
突っ込まれていたりする。
「カトルの意見を応用すると、いかなる状況でもストレートな賛美も素直に受けるべきだろ」
しかも、こたえていないときた。
言うまでもなく返事に窮するカトルを見て、トロワはどう思ったのだろう。
「綺麗な色だな」
続けてそう呟く。
「……ありがとう」
(髪のことか……)
と、カトルは真っ赤になった。
てっきり『自分』を指して言ったように聞えたからだ。
トロワの始めの言い回しが紛らわしいせいだが、過剰な反応をしてしまったのが恥ずかしくて。勘違いをしないですむ方法、もしくは取り違いを上手く誤魔化す方法があれば伝授して欲しいとカトルは心から思う。
だけど、本当はカトルは間違っていなかったのだが。トロワは一度目は『カトル』ときっちりと言っているし、二度目は手にとった一筋の髪を照明にあてるように見て。つまり双方を褒めているのである。まあ、どちらにしろ、正解を知ってもカトルは赤面する運命にあったというわけだ。
「トロワって本当に“髪の毛好き”だよねー」
軽い気持ちで口にして。題するなら“髪の毛が好きな人の風景”がカトルの頭の中をよぎった。
自然と想像したのは艶ややかで美しいロングヘアー。だって、ショートヘアーよりずっと触りがいがありそうだったから。
今日は昼過ぎまで仕事をしていたトロワは仕事着のまま。仕事中のトロワはいつも黒で統一した衣服を身に着けていた。あまりに絵になるから嫌味に、もとい、様になっていて、ますます格好良いとカトルも思っていたが、これもカトルの何気ない想像を誘発する一因だったろう。
普段は見ることができれば「楽しい」トロワの作業風景。床に落ちていく髪を見ているだけでも飽きない。何より、仕事中の『男』が素敵なのは自明の理。カトルは仕事をしているトロワも大好きだった。
それなのに、嫌な映像だと思った。
トロワが他の人の髪の毛を触ること自体はお仕事であるから、今までおかしな風に思ったことなんてなかったのに。それが「トロワの心が動いているのかな」と考えただけで、途端にカトルの中で何かが変わってしまった。
昨今は男でも美容院を利用する者も増えたが、ここの“お客様”も断然女性が多くの比率を占めている。よくよく考えればトロワの職業は、なんて婦女子との距離の近いお仕事なんだろう。“だっこ”の距離だ。
追求されると困ってしまうから、カトルは心の中でだけトロワにお願いする。
(……あまり、近付かないでよ)
もちろん「他の人に」なのは当然のこと。
無理なことはわかっているカトルだ。だけどここが、どんなワガママも無理難題も通る都合の良い自分中心の世界であれば、「お仕事なら構わないから。それ以外の気持ち、たとえば好意で他の人に接しちゃイヤだよ……」と言って、約束の指切りをしたい。
子供染みた願望だとカトルは自嘲するが、トロワはきっと「造作もない」と澄ました顔で、あの長い指をカトルの突き出した指に絡めてくれることだろうに。
「トロワ……。君って、いつもこうして髪に触れてるの?」
カトルだって、たとえ嘘でも「淡白でさっぱりしている」と、トロワには見られたいと思うのだが、口調が拗ねたものだった。ちっともさり気なくない。
『嬉しいトロワ』(しかも想像)にムッとしている事実は、胸がモヤモヤするという感覚になってカトルに自覚を強いる。おまけに、なんとなく「さみしいよぉ……」と、チリチリせっついてくる。
(わかってるよ。これは、ヤキモチというヤツだ。……ヤキモチっていう……)
気にしない振りをしても、それはあくまで“振り”でしかなく、表に出すことをどれだけ我慢しても、胸の中にあるものは消えて無くなりはしないだろう。
なんて醜くて浅ましいんだろう。トロワが嬉しいことを一緒に喜べないなんて、
(すごく意地悪だ)
そう思って、カトルは悲しくなる。
……それなのに消せない。
全て、全てが“ちょっと”の世界。大きな感情ではない微かな感覚。悲しいというこの感情も気のせいのよう。「ない」と思えないこともなく、本当に「ない」のかもしれないとさえ……。だけど確かにそれは「ある」。
喉の奥に魚の小骨が刺さったみたいに、気持ち悪くて。
判断不明な感情も、全部同じ鼓動で体の中から響いてくる。『心』が体の中、胸にあると知るのはこんな時もだ。簡単に心拍数なんて上がってしまう。
そんなカトルの心情をトロワは察しているのか。わかっていないとしても、
「お前みたいに駄々をこねる客はいないだろ」
暗にカトルは『特別』だとトロワは言う。微かに笑みを浮かべている気がするから、カトルの心中なんて実はお見通しなのかも……。
「だだぁ? ――じゃあ、トロワ、そういうお客さんが来たら、するの? こー……するんだ……」
無理に微笑むいつもの癖はどこへやら、非難という口調ではなく、カトルは“普通”に呟くだけ。
寂しそうでいて虚ろだと、表情を見ていれば直ぐにわかるのに、本人は悟られる可能性は計算していないようだった。
そもそもカトルの心配はトロワからすれば冗談のような内容。今のカトルほど杞憂という言葉が当てはまるものはいないだろう。
「カトルは俺が、……こうすると思うのか?」
音色は独特の艶を含んで静かに流れる。トロワの声は鼓膜だけでなく外耳をも刺激する響きになるのはどうしてだろう。カトルは心臓まで一緒にぞくぞくしてしまう……と、出逢ったときから困り果てていた。
眉を折り、伏せ目がち。頭の中で整理されない感情は言葉にできず、でも、じっと黙っていることもできなくて、カトルは物言いたげに唇を擦り合わせている。そんなカトルの様子を見てどう思ったのか、トロワは腕を伸ばしてカトルを後ろからそっと抱き締めた。
体勢は身体というより頭を抱くことになった。トロワの鼻腔を刺激した髪の香り。それだけではなくカトル自体の香りやその体温、触れる感触は、どれも甘やかなほど彼を心地好くさせるもの。
トロワも吐息もカトルに触れる。
言葉を添えるならきっと「お前だけだ」。そんな囁き代わりの意思表示に、カトルの気持ちもやわらかになってしまう。少し泣き顔みたいでもあったけれど。
ぎゅっと、縮こまるように硬くなっていたカトルの気持ちがとけたと感じたのか、トロワが手を焼きながら触れているだけだった髪に口付ける。だけどカトルは、なんだかつむじにキスされているみたいだと思って、くすぐったさにビクッと反応し、思わず俯き目を閉じていた。
そろそろとカトルが瞳を開けば、鏡の中にはトロワに捕まっている自分がいる。静かな物腰に涼やかな瞳をして、トロワは強引さを忍ばせている。現に今とて、捕獲するように、
コレハ オレノ モノダ――
という、主張を含んでいるような態度で。
その他のものには淡白を通り越し無関心の癖に。カトルが絡むとそうなるようで、ソフトなだけではない男になる。
無表情ゆえ感情自体は掴みにくいのだが、それでもこの男のカトルへの……だけは、誰の目から見ても明らかではないだろうか。
そんなトロワのせいかもしれないが、カトルは鏡の中に居る二人を客観的に見て「ギャッ!?」と思うほど恥ずかしかった。穏やかで甘く、とてつもなく、しあわせそうだったから。
腕だけでなく全てでトロワはカトルを捕らえ、閉じ込めてしまう。
早くなる鼓動につられるようにパチパチと瞬きしながら、他でもなくトロワにキスされているのは自分だと確信するのは、香りのせいだろう。本当に彼がここにいて、この身体を抱き締めてくれているということは嗅覚から証明されている。
呼吸すると胸がツキツキするのは自分の深く、トロワを感じているから。
(だから体の中、胸の奥からドキドキするんだ。心(なか)の芯(なか)まで侵入してくるなんて……トロワが初めて)
耳元にトロワの唇を感じながら、カトルは彼のシャツの袖を握り締めていた。
皺になることは確定だが、トロワはその跡までも愛せる男。
(僕ってバカだなぁ……)
そう思いながらも、たくさんのうれしい気持ちに、肩までどっぷり浸ってしまうカトルであった。
――――が、この後待ち受けるのがカトルにとっては凄まじいことであると忘れてはいまいか。
◇◆◇◆◇
ぽかぽかと暖かい日に窓を開けて、お日様の気配を感じながら、のほほんと二人じゃれているような心地。少々肌寒くなったところで互いの体温で暖を取れば、もっと、しあわせ……。
というような風情だったはずだが、
「もぉぅ~……トロワの……さわり魔ぁ……」
何が起こったのか(起こっていたのか、行われたのか……)、カトルがそんなことを言った。怒っているというより対処に困っているようだった。
返事の代わりになりようもない行動をトロワは起こし。結果カトルは、くるりと反転。トロワの為すがまま、椅子に腰掛けていたカトルは鏡を背にすることになった。
「わーっ、向いたー!」
なんて、理解し難い言葉を発し、椅子から降りようとしたのか、前のめりになりかけたカトルは直ぐに、
「局地的にな」
と言って、分かりやすくその局地を示す、“触り魔”のレッテルをはられた男に、指先で額を押され、反動と相俟ってそのまま元いた背もたれに倒れてしまった。
「ふぐっ!」
カトルの上体を受け止めた椅子は大きな音を立てる。
一拍タイミングが遅ければ、跳ね起きたカトルに「びっくりするだろー!」と抗議されたのであろうが、トロワは迅速だった。
衝撃に小さな悲鳴を洩らしたのと一緒に顔をしかめ、目をぎゅむっとつぶったカトルの瞼が開かぬ隙に、蕾のように固く結んだ唇を奪うよう、トロワは軽くキスをした。
一瞬の戯れ。
カトルの驚きのリアクションは、空をかくように、もがく。
それを尻目にトロワは何事もなかったように身を離していた。
トロワの態度にカトルは赤くなった頬をほんの少しだがぷくっと膨らませる。照れていることを隠しているつもりか、カトルは無言のままトロワをじっとりと睨みつけた。
「いい表情(カオ)だな」
言葉自体は真剣なのかカトルをからかってのものなのか判別つきかねるが、少しの瞳の細まりは確認できた。だが微笑を浮かべていると断定することはためらわれるほどトロワの表情は読みにくい。ただ、取り巻く空気は確実に和む。トロワにとっての「局地」は「極致」。第三者でさえ見ていれば、彼にとってそれ(カトル)以上のものはないと、そんな確信だけを深くしたろう。
カトルも作っているはずの怒りの顔が緩んでしまっていると自覚している。それでは許しているとトロワにバラしていることになるから、とても困ってしまう。自分だって理由はわからないが、どうしても心の底からトロワのことを怒れないのは不本意だということもカトルの本心なのだから。
トロワは何かを考える素振りで腕組みすると、表情を作りかねるカトルを見つめたまま、
「……不思議なんだが、どうして髪に触れるのは平気なのに、カトルは洗髪になると駄目なんだ」
根本の部分を指摘した。
「どうしてだろうね……。触りかたがちがうんじゃないの。ああーっ!! あたまッ! 頭だよ! 普段はトロワだって頭を擦ったりしないじゃないか。……くすぐったくなくて気持ちいいだけっていう洗いかたがあるならいいのにさ~」
そう言いながらカトルは髪の間に手を差し入れ、頭皮に指の腹を宛がうと、両手をわさわさと動かし洗髪の真似をする。
「厳密に言うと不快なだけじゃないんだろ」
カトル本人がぐしゃぐしゃにした髪をトロワが優しく撫でつけながら言う。
「いつも言ってるけど、気持ちはいいんだけど」
「腑に落ちない」
「怖いよ、トロワ……」
言葉とは違い、カトルは楽しそうに微笑む。それに引きかえトロワは、どうしてそんな堅い話をしているときと同じ調子なのか。無声にしてトロワの表情だけを追っていると、なんの話題をしているのかクイズにできそうだ。
「カトルの場合、単に手の与える直接的な頭皮への刺激に弱いとも思えないんだが」
「思えないの?」
「ああ、思えない」
「……じゃあ、君がそう言うんだから、そうなんじゃないのかなぁ。理屈は知らないけどね。――――ッ!? どうしてキスするのーー??」
口許を手のひらで覆い、目を真ん丸にする。「どうしてキスになるのかなぁ」と、カトルは赤い顔で天井にぐるりと視線を泳がせていた。
うわ言のように「トロワって、わからない……」なんて、何度もカトルは口にするが、「わからない」イコール「きらい」などではないわけだ。
頭と眼は動いているが、その大きな碧い瞳には意味のある映像としては何も映写されてこない。
静かな翠の瞳の彼と視線を合わせてしまうと、自分だけ彼に弱く、その上大好きなのか、これでもかと認識させられてしまう。だから見ない。だから逸らす。そんなこと、胸がいっぱいになるほどカトルはもう知っていたのだから。
◇◆◇◆◇
カトルは苦手だと言う洗髪はトロワにとっては楽しみだった。嫌がるだけならトロワとて強制しないが、そればかりではないという事実がトロワの行動を後押ししていた。
睦む、その最中にも触れかたや位置によって、くすぐったいと言ってカトルは身を捩るときがあるし。ビクビクしているカトルも興味深いとトロワは思っているに違いない。
もしカトルに「カトルの頭を洗いたがる理由」を訊かれたら、建前で「カットしやすいから」とは答えず、トロワは彼からすると比べものにならぬほど重要な、もっと大きな理由を述べるだろう。……なにより、「洗う手が気持ちいいから」だと。
手にすると、動きの中で美しいツヤを見せる金糸は、トロワが知っている髪の中でも、触れていて気持ちがいいと思う最たるものだった。
格別だと実感するのはリンス剤などを洗い流すとき。
髪が水に溶けていく。
潤いを閉じ込め、手の中で細く柔らかな髪が水に混ざりゆく感覚。荒れによって生じるざらつきがあったなら、手の中を滑る感触は生めはしないだろう。水の中を潜らせていると、ずっとそこに浸していたくなる。指の間に絡みつき撫でるように通りすぎてゆく感触が気持ちいいのだ。当然、濡れていない普通の状態でも十二分に気持ちがいい極上品。
どんな手触りが好きかは人によって違うであろうし、もっとコシのあるものがいいという者もいるかもしれない。が、完璧にトロワの好みに嵌っていたのだ。
トロワはカトルが自分と出逢うまで他所の美容院に行っていたことについて(触れさせていたということに不満を持っているのか)「勿体無い」と零し、あったこともない元カトルの担当美容師を「贅沢だ」と糾弾する。沈着冷静な雰囲気を保ったまま、しれっとこんなことを口にするが、こういう内容を吐くと、世では憎まれ口をたたくというような言葉か、はたまた、なんなる嫉妬ではないかと表されるはず。一見なんともトロワには不似合いな語。
「寝癖」
呟き、今更ながらトロワはほつれを解くように、数本の指で手にした髪を梳かした。
つむじに降ったトロワの声。近くで姿を映していた鏡も今は背中にあるのだから、見えるはずもない自分の頭部を捕らえようとして、カトルの瞳はキョロッと上に動く。それだけではこの微妙なカーブは取れるはずもないのに、トロワの手をかいくぐるようにして、慌ててカトルも手櫛を通しだした。……やっぱり気恥ずかしかったようだ。
手を動かしたまま首を傾げ、少し考えカトルは口を開いた。
「あのシャンプーはいいんだけど。……だめでしょ、トロワは?」
「悪いが、匂いが好みじゃないんだ」
今は使うのを控えているが、もつれを解くという意味で捕らえるとだが、極端にいえばブラッシングさえ不要になるほど櫛通りがよくなるコンディショナーを職業柄トロワは知っていて、カトルも使ったことがあったからそれを思い出したのだ。しかし問題は隠しもせずに言うとおり、香りがトロワのお気に召さなかったということだった。カトルの意思が第一だから使うなとはトロワは言わないし、そこまでは思わない。ただ少しでも、より自分にとって好ましい状態であれば……と思うのは人間の性ではないだろうか。
ちなみに気になるのは香りの質自体の問題というより、度合い、つまり香りの強さ。
評判のいいヘアパックで似たような匂いのするものがあるが、成分の都合上、抑えにくい香りなのかもしれない。髪を構成する組織が元のあるべき繋がりとなり、捩じれを解消するという機能を持つ、当然、本来の髪がすとんとしたものなら、はねることもないという、そんな優れものなのに。トロワ自身もカトルが使用するまでその匂いを特別どうのと思ったこともなかったくらいのものである。ようするに、髪に顔を埋めなければ問題ないのではないだろうか?
「トロワと会えない日は使っておこうかなぁ。楽なんだよ、とっても」
どうして君の趣味で僕が左右されなきゃいけないんだよ! とは考えも及ばないカトルは独りごちる。トロワはいっそのことムシよけにでもなればいいと思うのであるが、あくまでコンディショナー、悪臭を放つわけではない。
「かっこ悪い」
「いいや」
トロワの主観。
断定的にカトルが呟いたから、優しさでフォローした。……のではなく、どうせ本心から「かわいい」とぐらい思っているのだろう。
微かに目を細めてトロワが言った。
「朝起きて、軽く頭を振るだけで整うようなスタイルにしてやれるぞ」
「えっ!? スゴイ!」
雄弁なカトルの瞳は英雄(ヒーロー)を見るようにトロワに視線を注ぐ。まじまじと生身のトロワの立ち姿を確認するために視線を動かしていた。やっぱり、平面の中の彼より、立体のトロワのほうが数段カトルにとっても意味があるのだろう。
黒衣の姿はいつもとは少し違う凛々しさで、一層強く禁欲的に見えるのは、それが彼のお仕事着だからだろうか。スマートだなぁとカトルは惚れ惚れ。そのシャツまで頬擦りしたくなるほど愛しくなるのだ。実際にしてもトロワは怒らないような気もするが、実践はしないカトルだった。
「洗うか?」
急な問いかけ。
「んっ……その手には引っかからないんだから……」
「疑り深いな」
“可愛くない”と同意語な気がしてカトルは少しドキリとする。
二人の間に間仕切りがあったなら、「嫌いになった?」とカトルは疑心暗鬼に陥るだろう。人の心とはそれほどに、滑稽なほど不安定で繊細だ。しかしカトルの視線からトロワの姿を隠そうとするものなど何もなかったのだから幸いだったといえよう。トロワの瞳が穏やかなままこちらを見つめていたから、カトルは意気消沈する前に懐疑の念を払拭できた。
こんなときは言い聞かせる。それはとても勇気のいることだけれど、強く信じているから。そして、それだけのことを彼はしてくれているから。
(大丈夫。トロワは僕のとこを『好き』でいてくれるんだから……)
そう自分に言い聞かせる。そうすればカトルは自然に綺麗に笑えていた。
どんなときでも変わらずに、こんなに好きだと伝え続けてくれていたではないか。信じなくては罰があたる。
放っておくと疑心暗鬼を生じ自信を持てないカトルは、あえて強気に考えてみる作戦を敢行中。意識改革できるほどトロワは大切にしてくれている。
「信じてるよ」
自分には分不相応なほどすぎた(と、カトルは評価している)恋人に、カトルはにっこりと微笑んだ。
(どうしてトロワみたいな人が僕なんかを好きなんだろうね……)
これは、カトルが事あるごとに思うこと。
(……物好きなんだ)
と、酷い締めくくり方をしていたりする。
そして、感謝する。『しあわせ』を噛み締める。
「カトル」
「なぁに?」
カトルはちょこんと小首をかしげて、律儀に脇に立つトロワを見る。
だけどトロワは何も言わず、静かにカトルを見つめるだけ。
無意味に呼びかけるトロワに、カトルの頭がさらに傾いていく。
「……トロワ?」
小さく呼ぶ。
戻したはずの頭の位置がまた動き、カトル自身の肩に近付きクンとかしげられ、駆け足をするポーズのように、軽く握った両拳を胸の前で三度振った。
勢いよく同じ動作をすれば、食器をそれぞれの手で握り締めた体勢でご馳走を催促するためテーブルを叩くといった雰囲気になりそうで。「とびきりおいしーケーキ! 極上のチョコレートケーキ! イチゴがたっくさん入ってるのが僕は食べたいんだからー! それがダメならオレンジー!」という感じになるだろうか。
……まぁ、これは、かなりの誇張である。実際のカトルは慎ましやかで。無垢で無邪気な仕種をお行儀よくするといったところだった。
天真爛漫でいて控えめに振舞うところが初心な印象を強めているに違いない。ひとつの理由をとってではないが、カトルは“だから”異常といえるほど年長者に溺愛される(モテる)んだと、今にも耽溺レベルまで及びそうな(すでに到達済みか?)輩を疎ましく思っているトロワは分析する。かくいうトロワは熱烈な予約合戦を引き起こしている自分の状況はどう考えているのやら。
手招きのかわりと読んだトロワは、カトルとは違いほんの微かに首をひねった。
「何だ、カトル?」
対してカトルは、きゅっと口を結んでから言った。
「呼んだのはトロワでしょ」
「そうだな……」
「よしっ!」
不意をついて、カトルはガバッとトロワの腕を掴まえた。
「えいッ!」
口に出さなくてもよさそうなものだが、カトルは無意識でこう。気合の声の通り、カトルはトロワを引っ張った。
とは言え、やんわりと自分のほうに招き寄せたという感じ。
カトルを覗き込むような角度でトロワの上体は少し前に屈められる。こんなにすんなりトロワの動きを意のままにできるのはカトルだけだろう。人に好きにさせてやることさえないような人間なのだから。
伸ばしたカトルの両腕は大好きな人の腕の上を滑り、その肩にかかる。澱むことなく、そのまま首に腕を絡めた。
お互いの髪の香りが籠る腕の間。そんな近くでトロワに向けてカトルは口角を上げて微笑んだ。
トロワの頬に頬をあて、角度を変えて唇で触れる。
ぎゅっ。
首元にしがみつくようにしてカトルはトロワにくっつく。
これもキスといえるだろうか。
「カトル」
静かに呼びかけるトロワにカトルはなぜか羞じらい息継ぎ。……というのも実はカトルはあることを企てているから。
じゃれつくように肩や首、頬に擦り寄るカトルの頭をトロワは優しく撫でる。
髪の毛に触れる動作の中で、時折撫で付けることがあるが、それとこれとは同じ意味なのだろうか。何度もそこに触れている様は、手のひらで後頭部の形をみているようでもあった。
後頭部の丸みさえも楽しんでいる。カトルの全てが手に(自分に)馴染むと、睦言じゃなくてもトロワは口にすることだし否定はできまい。
少し顔が離れたから、トロワはカトルの見るからに柔らかそうな唇に――当然の権利で――自分のそれで触れようとした。
理知的な唇は肩透かしを喰らうことのなる。
それにもトロワは、少し笑う。吐息の触れる距離に甘露の微笑があるから、愛しそうな表情を浮かべるのだ。
腕は力を少し緩め、今度はトロワのすっきりとした輪郭にカトルは唇を密やかにくっつけた。軽くすぼめた唇は頬の上で少しジャンプ。そこに幾度もキスをする。最終的にはトロワの唇の端にカトルの唇は着地していた。
ゆっくりと、ずれる。
唇は微かに肌に触れたまま、酷くスローに、……おそるおそる。トロワの口角から中心に近い場所に少しだけ移動した。
わずかばかりの距離を取り軽く息をする。目を閉じたままカトルは、そろりと唇を……。
思い切りよく、ぴったりとは重ねられずに、触れ合わせながらも皮膚の上で、ふるふると震えるから、かえってカトルの繊細な唇の感触は鮮明にトロワに伝わっていた。
程なくして、トロワからカトルの唇にキスしたのが挑戦(チャレンジ)終了の合図になった。
トロワの口付けは、ふわりと羽根が掠めるような……。そんな優しい触れかただった。
「……ずるいキスの仕方を覚えたものだ」
大袈裟に嘆息して。袖の下「賄賂じゃないだろうな」と、トロワは冗談めかして付け足す。
それを聞いたカトルは、トロワが言うには『面白い表情(かお)』をした。
「トロワみたいに、ずるくないよ。……ジョウズにできないだけだもの」
手のひらで口許を隠しながら、赤い顔をしたカトルはトロワに聞えないように呟く。
「上出来ということだ」
聞えていたとしか思えないトロワの言葉に、カトルはまた赤みばかりか表情も制御できなくなってしまった。
◇◆◇◆◇
「“急に起きる”や“押し退ける”は駄目だぞ」
“飛び起きる”や“突き飛ばす”と表現すべきところをトロワはソフトに言うものだ。
「あーやだなぁ」
カトルはぼやく。
「おとなしくしていたら、カトルが逃げなくてもいい洗いかたが見つかるかもしれないぞ」
「だったらいいのにねぇ……。笑ってるでしょ、トロワ」
たくさん笑っているのは指摘しているカトルのほうだろう。カトルの笑顔は、こんなときでもやわらかい。
「ひじ掛けを三回叩いたら許してくれる?」
四角いジャングルの中のようなルール。すでに反則といった威力を見せる物言いにトロワはどう対処するのか。
カトルの視界の中でトロワの瞳は何か言った。
視線を合わせてトロワは宣戦布告する。
「ギブアップなしでいきたいな」
「トロワ、ズルーーーーーイッ!!」
「買収には屈しない性質(たち)なんだ」
くっと唇の片端を上げたのがカトルが最後に見たトロワの表情。トロワは丁重に椅子を傾けるとカトルの顔に布を被せた。
勢いよく落ちる水音に固唾を飲む。小規模な霧を起こす水飛沫にびくびくしているカトル。毛先が水気を含んだ。
無口だけどカトルを気遣うようにトロワは短く言葉をかける。いつも静かだが、さらに声のトーンが抑えられ籠るように低くなるから、それは囁きだ。
抱きかかえられるようにして髪を洗ってもらったのは、母のミルクの匂いと共にある幼き日の朧げな思い出ではなかろうか。カトルが何より運が良かったのは、それと取って代わったのが、単なる美容師さんではなく、大好きな人だということだろう。
覆い被さるトロワの影に瞼の中で遮られる光。
こんな最中にカトルはドキドキとする。
トロワが近くに居ると体温でわかるから。
いつもなら、もっと甘い行為のきっかけなのに。湿った髪が重さを増すだけで、カトルは喉の奥で悲鳴を放っていた。
徐々にガタガタと椅子が軋む音が混ざり出し、美容室の中に水のほとばしりと、笑いとも呻きとも判別つきかねるカトルの抑えた悲鳴が響き渡る。
むずむずとする躰に、洩れる声を堪え。頭の中で何度も唱える「トロワ」の名前も形にできないカトルは(聞く者によっては、変な気持ちになるような)妙な声を出す。
力一杯閉じられている目尻は、きっと潤いはじめている。長い睫毛も色を濃くしているだろう。大きな瞳を開けば、涙目に違いないのだから。
トロワはどんな気持ちでいるんだろうか……。
ともかく、いつものようにカトルは、傍にいるトロワに夢中でしがみついていた。
■FIN■
「初出 2001.5.13」に、少しの訂正をしました
こんな美容師はいかがだったでしょうか?
ご意見ご感想お待ちしております。
な、ナニか言ってやってくださーーーい;;
こんなカトルはだめですかー?
トロワに比べてキャラが薄かったでしょうか?;;
だ、ダメ人間の小説;;
お嫌いでなければ、どうぞ拍手やコメントしてやってくださいねv
少しでも楽しんでいただけるかたがいればいいのですが。。
こちらも求む反応でっす!!
【 ~ささやかな実験~ 】
髪を撫でていた。
壁面の多くは鏡で占められている。その画面(スクリーン)の中に痩身の青年が居た。
彼は長身と言われるに十分な上背に、理想で創りあげた肖像(フィギュア)でもかくやというような、見事な均整(プロポーション)を有していた。
斜に構えた辛口評を添えるとすれば、その体格では「細身過ぎて物足りない」だろうか。しかし、それは彼の全てを知らぬ“遠い関係”にある者が口にする言葉であろう。なぜならば彼の身を覆う布に隠された体躯は、無駄のない凝縮した筋肉を身に付けていたからだ。
ひけらかされることは決してないだろうが、肌に浮かぶ筋肉の隆起は、宿す性質をそのままに、強靭な印象を持っていた。彼には『しなやか』という語が相応しい。
駄目押しとばかり、顔の造りまでも『優良』というのだから、「神は全てにおいて平等ではない」と、嘆息する同性も数多(あまた)だろう。
そんな彼の男性的でいて繊細な長い指が、細く柔らかな髪の毛に優しく触れていた。
金の絹糸。それも特上の――恒久に劣化することのない――白金の色味をも帯びたプラチナゴールドの髪の毛だった。
手の中で零れ落ちる光をすくうよう手首をひねり、指先はさらさらと鳴る毛先を――時に、その指に絡めるようにして――玩ぶ。
今から記すことについて、どんな否定も許さない。動きがなにより雄弁なのだから。――その手は、その髪を……否、その髪の毛の主を愛していた。
そう、慈しむ手のひらが『愛おしい』と、愛の言葉を綴っているのだ。
◇◆◇◆◇
極微(ミクロ)な世界に合わせられている照準を変えるとしよう――
見渡せば室内の設備からいっても、ここが美容院なのだということは一目瞭然。通りで髪を……。と、これで納得できる情景だと思えただろうか。
前述した「手」の主ということになる彼は、印象的な緑の瞳をしていた。「綺麗な」と表現すれば手っ取り早いが、強いて何かになぞらえるとすれば、一見は「氷」の心象。しかし、恐れずに深く探れば、氷の奥に「緑の森」を思わせる静けさが潜んでいた。
その瞳を前にして。体は、皮膚の下、心は、何を感じるのか。片鱗でも感じ取っていただくためには証言をとるのがよかろう。
誰よりも真摯な視線を向けられている者に去来したものは、
《――うっそうと茂る木の葉の重なりは強い夏の陽射しさえ遮り和らげている。辺りには馥郁たる緑樹の香が立ち込め、しっとりと潤んだ大気に満ちた木陰という自然の隧道(トンネル)を創り出す。梢は震え、木漏れ日は薄闇の中できらめいて、その涼やかな空間で息を吸い込むと強く感じるような、厳かさ、清涼感――》
彼が最も愛する少年の心身は、胸の高まりと共に、そんな感覚を捕らえていた。
言葉では表し切れぬから、少年ははにかみ微笑むのだろう……。
視点がずれているこの間も、冷たい壁面に一瞥も加えない――もしも鏡が感情を持つ女性であったなら、こう言ったであろう――「つれない男」の視線は手元に注がれている。今、触れている髪が綺麗だから……という、理由だけであるはずがない。髪を撫でる手は、慈しみという感情を惜しみなく溢れさせている。
それもそのはず。この人が、彼の最愛の人なのだから。
構図は簡単。美容師である彼が、俗な言い方をすれば恋人ということになる人の髪に、手を入れようとしているだけのことだった。「ああ、羨ましい~」と零す人間はどのくらいいるのだろうか。
派手な、どころか、なんの宣伝も打っていないし、貪欲とは言い難いマイペース、もはや気紛れともいえるスタンスで仕事をしているが、そのムードと技量ゆえ、熱烈な顧客を抱える彼の名前はトロワといった。
そして彼の愛情を一身に浴びる人の名はカトル。月光を手にした者がぬくもりの体現を求め、命を注いだような、淡い光を思わせる優しげな面差しをした少年だった。
肌はミルク色、なおかつ、微かなピンクを足しているという、甘やかな質感を見せるうえ、大きな碧い瞳は穢れなさの証だと断言できるような表情をしている。カトルという人は、澄ましていれば綺麗でいて、仕種や発想からいえば、喜怒哀楽を豊かに見せて、何よりかわいい人であった。
カトルが来店した事によって縁を結んだという顛末だが、その二人の出逢いは偶然とも言い難いものであった。思念が形になったようでもあり、精神力の賜物であったかもしれないし、精神力などとややこしい言い方をせず、念力と言ったほうがよい気もする。それは、どちらの? と、訊ねるのは野暮というもの。これからの二人を見て判断してみるというのもまた一興ではないだろうか。
◇◆◇◆◇
「洗わなくっていいってば……」
ぼそぼそと呟いたカトルの声は、プッと吹き出す息とともに、その小さな唇から吐き出された。
「苦手なんだからさぁ」
洗髪台の前に腰掛けたカトルは、トロワに静かな抵抗を見せていた。
多数派ではないと言い切れるタイプなのだが、カトルは洗髪されるのがことのほか、苦手だった。
結局は毎回、トロワに頭を洗われてしまうことになっていたのだが、「頭皮を掻き回される、背筋まで気持ち悪くなるからイヤ!」という弁を盾にカトルは懲りずに歯向かい、それをトロワが宥めるというのが恒例行事と化していたのだ。
まだ鏡のほうを向いたまま椅子に腰掛けている状態のカトルは、自分の背後に立つトロワに鏡越しに話しかけていた。トロワは依然としていかにも器用そうな手つきで白金の髪を梳きながら、鏡の中のカトルに目を遣る。
不満そうにしているはずのカトルが、時折ゆっくりと瞼を閉じる。その仕種は、頭髪に深く差し入れられたトロワの手が微妙に角度を変え、髪の流れの中を行くタイミングと同調(シンクロ)していた。
手のひらは、そっと頭を撫でる。長い指は毛筋を乱す。二つのを併せた全ての動きで、髪を梳く。
こんなときにトロワが何を考えているのかカトルにはわからないけれど、そんなふうに愛撫されれば、心情だってそっちのけで『なんだか気持ちがいい』に決まっているのだ。
一筋ごと。髪の毛が触れ合う音を聞いていたトロワの耳に、無意識で零れたカトルの吐息の音が届く。鏡を通してチラリと視線を流すと、そこに見えたカトルの表情はトロワが内心で笑むようなものだった。
自分の中の豊かな感情を芽生えさせるカトルを賞賛したくなったのか、トロワはあたかも神聖なものであるように、手にした髪に厳かに唇で触れる。
儀礼的な挨拶膝をついて手の甲に口付ける程度のこと、トロワならスマートにやってのけるだろう。たった一人の人にしか心を開かない、鋏を手にした風変わりな紳士でも淑女のお気に召せばよいのだが。
……そういえば、意識している今は正面を向いているが、トロワが鋏を使っていようと話しかけるために彼の姿を追って、あっちを見こっちを見、してしまうという悪い癖がカトルにはあった。
基本的には、素直なカトルは、トロワから「少し下を向いて……」などと合図されれば、「もういいぞ」と解除の声がかかるまで、じっと同じ姿勢を保っていて、それについては終わったとトロワが思い、次の作業に移るため一度その場を離れ戻ってきても(そのままのポーズでいる必要に疑問を感じていないわけはないだろうに)、声を掛けなければ律儀に姿勢を変えずにいる。トロワの声を待って、いつまでもおとなしくしているようなカトル。それでいて窮屈そうにしているから、余計にその素直さや従順さを感じさせられることが幾度もあった。
しかし、会話に夢中になるとカトルも少々うっかりとするのだろう。これ以上、首は回らないというところまでジリジリと移動をし、やっと止まったと思ったら、逆から振り向くようにぐりんと……。邪気のないカトルは微笑んできたりするのだ。姿を視界に納めながらのほうが話しやすいというカトルの気持ちはわからないではないが、後ろに用があるのに首を捩じられては、今度はトロワがカトルの後頭部を追わなければならないことになるというのに。
耳くらいなくしても自業自得だと、にべもない態度をとるくらい平気な男だが、カトル相手ではそうもいくまい。最も、冷めた言葉で十分という相手ならば思い遣りと気負いがないぶん、トロワの脈拍は普段と変わらず、無意識下でさえ筋肉が痙攣することなどもなく失敗もないだろう。
少々頭の角度を歪めているくらいでは何も言わなくなったトロワでも、髪をカットする時などに余り頭を動かしているとどうだろう。さすがに「カトルは本当はカットも嫌なのか?」と呟きつつカトルの頭が正面に向け直すのだった。
それはさておき。意識している今はおとなしく前を向いているわけだし、カトルが「カトルは余程、前衛的なカットに挑戦したいんだな」と、トロワに静かなるプレッシャーをかけられ、我に返ることがしばしばなのは、ご愛嬌ということで……。
ぶるぶるぶるっ。カトルが首を振った。
濡れた犬もそうするな、とトロワは不謹慎にも考える。
弾くのは水ではなく、自分の手であるのに。
厳密に言えば物質としてのそれではなく、それのもたらす感覚を打ち払うものなのだが。どうやらそのこともトロワにはわかっているらしい。
気を取り直したのかカトルが言った。
「シュッシュッて、やってくれればいいんだけど」
膝の上で握っていた手を上げて、人差し指をクイクイと曲げ伸ばしする。霧吹きを使うジェスチャーらしい。
ただでさえ大きな瞳をしているのに、指を動かしながら目を見開いて口許をうぎゅっと結ぶ。仕種につられ表情までトボけたものになっていることに、カトル本人は気がついているのだろうか。ああ、トロワは何度、この『いやにカワイイ生き物』の目撃者になったことか。
「ほら、トロワは上手なんだし、大丈夫。このままだって奇麗にできるでしょ」
「おだてても無駄だ」
「違うよっ。本心に決まってるのにぃ!」
碧い瞳がびっくりしていた。
「ストレートな褒め言葉も素直に聞くべきだよ……」
そう言う唇は桜の花より鮮やかだ。
愛らしいその唇に触れたそうなトロワの手は、色付きは微かに淡いが、似た色味をした頬のラインを探索する。なかなかに慎み深い。
トロワの長い指は仕事に支障が出ないように、その爪先までも整えられている。形が綺麗なのはしかたがないとしても、「動き」までもがそうなのだ。……相乗効果もありか。
彼の顧客ならば感じているだろうが、「トロワ」は商人ではなく、職人的であった。
仕事についてはどこまでも堅実。孤高を持する彼は黙然と作業に耽る。ただ仕事をこなしているだけというのはクールな態度からはっきりとわかった。それゆえか、トロワに髪をセットしてもらった女性は一様に昂揚していた。禁欲的だからこそ逆に見ていて感じることもあるのだ。人間の矛盾点をつくように、それが妙に魅力的に映るのだから、抑えた“もの”が見る者には上乗せされてしまうのかと疑ってしまう。
髪質を確認するために触れている手は、もうそこから人の心を惹きつける術を知っているように優雅に動く。黒衣の青年は見目の麗しさを辱めることのない、精妙な技術を持っていた。
しなやかな動きを陶然と見つめ。不安のない鋏の音を心地好く聞きながら、彼が触れたところから「自分は確実に美しく変化している」という期待に胸は躍り。その時に向けられる翠の瞳に身を焼くのだろう。手技が人の期待を満たし、予想を超えるとき、それは魔法というものに近付く。
――そんな、心酔の先のあるはずの彼は目下、
「カトルは綺麗だな」
「いっ!? ど、どーいう脈絡―っ?」
突っ込まれていたりする。
「カトルの意見を応用すると、いかなる状況でもストレートな賛美も素直に受けるべきだろ」
しかも、こたえていないときた。
言うまでもなく返事に窮するカトルを見て、トロワはどう思ったのだろう。
「綺麗な色だな」
続けてそう呟く。
「……ありがとう」
(髪のことか……)
と、カトルは真っ赤になった。
てっきり『自分』を指して言ったように聞えたからだ。
トロワの始めの言い回しが紛らわしいせいだが、過剰な反応をしてしまったのが恥ずかしくて。勘違いをしないですむ方法、もしくは取り違いを上手く誤魔化す方法があれば伝授して欲しいとカトルは心から思う。
だけど、本当はカトルは間違っていなかったのだが。トロワは一度目は『カトル』ときっちりと言っているし、二度目は手にとった一筋の髪を照明にあてるように見て。つまり双方を褒めているのである。まあ、どちらにしろ、正解を知ってもカトルは赤面する運命にあったというわけだ。
「トロワって本当に“髪の毛好き”だよねー」
軽い気持ちで口にして。題するなら“髪の毛が好きな人の風景”がカトルの頭の中をよぎった。
自然と想像したのは艶ややかで美しいロングヘアー。だって、ショートヘアーよりずっと触りがいがありそうだったから。
今日は昼過ぎまで仕事をしていたトロワは仕事着のまま。仕事中のトロワはいつも黒で統一した衣服を身に着けていた。あまりに絵になるから嫌味に、もとい、様になっていて、ますます格好良いとカトルも思っていたが、これもカトルの何気ない想像を誘発する一因だったろう。
普段は見ることができれば「楽しい」トロワの作業風景。床に落ちていく髪を見ているだけでも飽きない。何より、仕事中の『男』が素敵なのは自明の理。カトルは仕事をしているトロワも大好きだった。
それなのに、嫌な映像だと思った。
トロワが他の人の髪の毛を触ること自体はお仕事であるから、今までおかしな風に思ったことなんてなかったのに。それが「トロワの心が動いているのかな」と考えただけで、途端にカトルの中で何かが変わってしまった。
昨今は男でも美容院を利用する者も増えたが、ここの“お客様”も断然女性が多くの比率を占めている。よくよく考えればトロワの職業は、なんて婦女子との距離の近いお仕事なんだろう。“だっこ”の距離だ。
追求されると困ってしまうから、カトルは心の中でだけトロワにお願いする。
(……あまり、近付かないでよ)
もちろん「他の人に」なのは当然のこと。
無理なことはわかっているカトルだ。だけどここが、どんなワガママも無理難題も通る都合の良い自分中心の世界であれば、「お仕事なら構わないから。それ以外の気持ち、たとえば好意で他の人に接しちゃイヤだよ……」と言って、約束の指切りをしたい。
子供染みた願望だとカトルは自嘲するが、トロワはきっと「造作もない」と澄ました顔で、あの長い指をカトルの突き出した指に絡めてくれることだろうに。
「トロワ……。君って、いつもこうして髪に触れてるの?」
カトルだって、たとえ嘘でも「淡白でさっぱりしている」と、トロワには見られたいと思うのだが、口調が拗ねたものだった。ちっともさり気なくない。
『嬉しいトロワ』(しかも想像)にムッとしている事実は、胸がモヤモヤするという感覚になってカトルに自覚を強いる。おまけに、なんとなく「さみしいよぉ……」と、チリチリせっついてくる。
(わかってるよ。これは、ヤキモチというヤツだ。……ヤキモチっていう……)
気にしない振りをしても、それはあくまで“振り”でしかなく、表に出すことをどれだけ我慢しても、胸の中にあるものは消えて無くなりはしないだろう。
なんて醜くて浅ましいんだろう。トロワが嬉しいことを一緒に喜べないなんて、
(すごく意地悪だ)
そう思って、カトルは悲しくなる。
……それなのに消せない。
全て、全てが“ちょっと”の世界。大きな感情ではない微かな感覚。悲しいというこの感情も気のせいのよう。「ない」と思えないこともなく、本当に「ない」のかもしれないとさえ……。だけど確かにそれは「ある」。
喉の奥に魚の小骨が刺さったみたいに、気持ち悪くて。
判断不明な感情も、全部同じ鼓動で体の中から響いてくる。『心』が体の中、胸にあると知るのはこんな時もだ。簡単に心拍数なんて上がってしまう。
そんなカトルの心情をトロワは察しているのか。わかっていないとしても、
「お前みたいに駄々をこねる客はいないだろ」
暗にカトルは『特別』だとトロワは言う。微かに笑みを浮かべている気がするから、カトルの心中なんて実はお見通しなのかも……。
「だだぁ? ――じゃあ、トロワ、そういうお客さんが来たら、するの? こー……するんだ……」
無理に微笑むいつもの癖はどこへやら、非難という口調ではなく、カトルは“普通”に呟くだけ。
寂しそうでいて虚ろだと、表情を見ていれば直ぐにわかるのに、本人は悟られる可能性は計算していないようだった。
そもそもカトルの心配はトロワからすれば冗談のような内容。今のカトルほど杞憂という言葉が当てはまるものはいないだろう。
「カトルは俺が、……こうすると思うのか?」
音色は独特の艶を含んで静かに流れる。トロワの声は鼓膜だけでなく外耳をも刺激する響きになるのはどうしてだろう。カトルは心臓まで一緒にぞくぞくしてしまう……と、出逢ったときから困り果てていた。
眉を折り、伏せ目がち。頭の中で整理されない感情は言葉にできず、でも、じっと黙っていることもできなくて、カトルは物言いたげに唇を擦り合わせている。そんなカトルの様子を見てどう思ったのか、トロワは腕を伸ばしてカトルを後ろからそっと抱き締めた。
体勢は身体というより頭を抱くことになった。トロワの鼻腔を刺激した髪の香り。それだけではなくカトル自体の香りやその体温、触れる感触は、どれも甘やかなほど彼を心地好くさせるもの。
トロワも吐息もカトルに触れる。
言葉を添えるならきっと「お前だけだ」。そんな囁き代わりの意思表示に、カトルの気持ちもやわらかになってしまう。少し泣き顔みたいでもあったけれど。
ぎゅっと、縮こまるように硬くなっていたカトルの気持ちがとけたと感じたのか、トロワが手を焼きながら触れているだけだった髪に口付ける。だけどカトルは、なんだかつむじにキスされているみたいだと思って、くすぐったさにビクッと反応し、思わず俯き目を閉じていた。
そろそろとカトルが瞳を開けば、鏡の中にはトロワに捕まっている自分がいる。静かな物腰に涼やかな瞳をして、トロワは強引さを忍ばせている。現に今とて、捕獲するように、
コレハ オレノ モノダ――
という、主張を含んでいるような態度で。
その他のものには淡白を通り越し無関心の癖に。カトルが絡むとそうなるようで、ソフトなだけではない男になる。
無表情ゆえ感情自体は掴みにくいのだが、それでもこの男のカトルへの……だけは、誰の目から見ても明らかではないだろうか。
そんなトロワのせいかもしれないが、カトルは鏡の中に居る二人を客観的に見て「ギャッ!?」と思うほど恥ずかしかった。穏やかで甘く、とてつもなく、しあわせそうだったから。
腕だけでなく全てでトロワはカトルを捕らえ、閉じ込めてしまう。
早くなる鼓動につられるようにパチパチと瞬きしながら、他でもなくトロワにキスされているのは自分だと確信するのは、香りのせいだろう。本当に彼がここにいて、この身体を抱き締めてくれているということは嗅覚から証明されている。
呼吸すると胸がツキツキするのは自分の深く、トロワを感じているから。
(だから体の中、胸の奥からドキドキするんだ。心(なか)の芯(なか)まで侵入してくるなんて……トロワが初めて)
耳元にトロワの唇を感じながら、カトルは彼のシャツの袖を握り締めていた。
皺になることは確定だが、トロワはその跡までも愛せる男。
(僕ってバカだなぁ……)
そう思いながらも、たくさんのうれしい気持ちに、肩までどっぷり浸ってしまうカトルであった。
――――が、この後待ち受けるのがカトルにとっては凄まじいことであると忘れてはいまいか。
◇◆◇◆◇
ぽかぽかと暖かい日に窓を開けて、お日様の気配を感じながら、のほほんと二人じゃれているような心地。少々肌寒くなったところで互いの体温で暖を取れば、もっと、しあわせ……。
というような風情だったはずだが、
「もぉぅ~……トロワの……さわり魔ぁ……」
何が起こったのか(起こっていたのか、行われたのか……)、カトルがそんなことを言った。怒っているというより対処に困っているようだった。
返事の代わりになりようもない行動をトロワは起こし。結果カトルは、くるりと反転。トロワの為すがまま、椅子に腰掛けていたカトルは鏡を背にすることになった。
「わーっ、向いたー!」
なんて、理解し難い言葉を発し、椅子から降りようとしたのか、前のめりになりかけたカトルは直ぐに、
「局地的にな」
と言って、分かりやすくその局地を示す、“触り魔”のレッテルをはられた男に、指先で額を押され、反動と相俟ってそのまま元いた背もたれに倒れてしまった。
「ふぐっ!」
カトルの上体を受け止めた椅子は大きな音を立てる。
一拍タイミングが遅ければ、跳ね起きたカトルに「びっくりするだろー!」と抗議されたのであろうが、トロワは迅速だった。
衝撃に小さな悲鳴を洩らしたのと一緒に顔をしかめ、目をぎゅむっとつぶったカトルの瞼が開かぬ隙に、蕾のように固く結んだ唇を奪うよう、トロワは軽くキスをした。
一瞬の戯れ。
カトルの驚きのリアクションは、空をかくように、もがく。
それを尻目にトロワは何事もなかったように身を離していた。
トロワの態度にカトルは赤くなった頬をほんの少しだがぷくっと膨らませる。照れていることを隠しているつもりか、カトルは無言のままトロワをじっとりと睨みつけた。
「いい表情(カオ)だな」
言葉自体は真剣なのかカトルをからかってのものなのか判別つきかねるが、少しの瞳の細まりは確認できた。だが微笑を浮かべていると断定することはためらわれるほどトロワの表情は読みにくい。ただ、取り巻く空気は確実に和む。トロワにとっての「局地」は「極致」。第三者でさえ見ていれば、彼にとってそれ(カトル)以上のものはないと、そんな確信だけを深くしたろう。
カトルも作っているはずの怒りの顔が緩んでしまっていると自覚している。それでは許しているとトロワにバラしていることになるから、とても困ってしまう。自分だって理由はわからないが、どうしても心の底からトロワのことを怒れないのは不本意だということもカトルの本心なのだから。
トロワは何かを考える素振りで腕組みすると、表情を作りかねるカトルを見つめたまま、
「……不思議なんだが、どうして髪に触れるのは平気なのに、カトルは洗髪になると駄目なんだ」
根本の部分を指摘した。
「どうしてだろうね……。触りかたがちがうんじゃないの。ああーっ!! あたまッ! 頭だよ! 普段はトロワだって頭を擦ったりしないじゃないか。……くすぐったくなくて気持ちいいだけっていう洗いかたがあるならいいのにさ~」
そう言いながらカトルは髪の間に手を差し入れ、頭皮に指の腹を宛がうと、両手をわさわさと動かし洗髪の真似をする。
「厳密に言うと不快なだけじゃないんだろ」
カトル本人がぐしゃぐしゃにした髪をトロワが優しく撫でつけながら言う。
「いつも言ってるけど、気持ちはいいんだけど」
「腑に落ちない」
「怖いよ、トロワ……」
言葉とは違い、カトルは楽しそうに微笑む。それに引きかえトロワは、どうしてそんな堅い話をしているときと同じ調子なのか。無声にしてトロワの表情だけを追っていると、なんの話題をしているのかクイズにできそうだ。
「カトルの場合、単に手の与える直接的な頭皮への刺激に弱いとも思えないんだが」
「思えないの?」
「ああ、思えない」
「……じゃあ、君がそう言うんだから、そうなんじゃないのかなぁ。理屈は知らないけどね。――――ッ!? どうしてキスするのーー??」
口許を手のひらで覆い、目を真ん丸にする。「どうしてキスになるのかなぁ」と、カトルは赤い顔で天井にぐるりと視線を泳がせていた。
うわ言のように「トロワって、わからない……」なんて、何度もカトルは口にするが、「わからない」イコール「きらい」などではないわけだ。
頭と眼は動いているが、その大きな碧い瞳には意味のある映像としては何も映写されてこない。
静かな翠の瞳の彼と視線を合わせてしまうと、自分だけ彼に弱く、その上大好きなのか、これでもかと認識させられてしまう。だから見ない。だから逸らす。そんなこと、胸がいっぱいになるほどカトルはもう知っていたのだから。
◇◆◇◆◇
カトルは苦手だと言う洗髪はトロワにとっては楽しみだった。嫌がるだけならトロワとて強制しないが、そればかりではないという事実がトロワの行動を後押ししていた。
睦む、その最中にも触れかたや位置によって、くすぐったいと言ってカトルは身を捩るときがあるし。ビクビクしているカトルも興味深いとトロワは思っているに違いない。
もしカトルに「カトルの頭を洗いたがる理由」を訊かれたら、建前で「カットしやすいから」とは答えず、トロワは彼からすると比べものにならぬほど重要な、もっと大きな理由を述べるだろう。……なにより、「洗う手が気持ちいいから」だと。
手にすると、動きの中で美しいツヤを見せる金糸は、トロワが知っている髪の中でも、触れていて気持ちがいいと思う最たるものだった。
格別だと実感するのはリンス剤などを洗い流すとき。
髪が水に溶けていく。
潤いを閉じ込め、手の中で細く柔らかな髪が水に混ざりゆく感覚。荒れによって生じるざらつきがあったなら、手の中を滑る感触は生めはしないだろう。水の中を潜らせていると、ずっとそこに浸していたくなる。指の間に絡みつき撫でるように通りすぎてゆく感触が気持ちいいのだ。当然、濡れていない普通の状態でも十二分に気持ちがいい極上品。
どんな手触りが好きかは人によって違うであろうし、もっとコシのあるものがいいという者もいるかもしれない。が、完璧にトロワの好みに嵌っていたのだ。
トロワはカトルが自分と出逢うまで他所の美容院に行っていたことについて(触れさせていたということに不満を持っているのか)「勿体無い」と零し、あったこともない元カトルの担当美容師を「贅沢だ」と糾弾する。沈着冷静な雰囲気を保ったまま、しれっとこんなことを口にするが、こういう内容を吐くと、世では憎まれ口をたたくというような言葉か、はたまた、なんなる嫉妬ではないかと表されるはず。一見なんともトロワには不似合いな語。
「寝癖」
呟き、今更ながらトロワはほつれを解くように、数本の指で手にした髪を梳かした。
つむじに降ったトロワの声。近くで姿を映していた鏡も今は背中にあるのだから、見えるはずもない自分の頭部を捕らえようとして、カトルの瞳はキョロッと上に動く。それだけではこの微妙なカーブは取れるはずもないのに、トロワの手をかいくぐるようにして、慌ててカトルも手櫛を通しだした。……やっぱり気恥ずかしかったようだ。
手を動かしたまま首を傾げ、少し考えカトルは口を開いた。
「あのシャンプーはいいんだけど。……だめでしょ、トロワは?」
「悪いが、匂いが好みじゃないんだ」
今は使うのを控えているが、もつれを解くという意味で捕らえるとだが、極端にいえばブラッシングさえ不要になるほど櫛通りがよくなるコンディショナーを職業柄トロワは知っていて、カトルも使ったことがあったからそれを思い出したのだ。しかし問題は隠しもせずに言うとおり、香りがトロワのお気に召さなかったということだった。カトルの意思が第一だから使うなとはトロワは言わないし、そこまでは思わない。ただ少しでも、より自分にとって好ましい状態であれば……と思うのは人間の性ではないだろうか。
ちなみに気になるのは香りの質自体の問題というより、度合い、つまり香りの強さ。
評判のいいヘアパックで似たような匂いのするものがあるが、成分の都合上、抑えにくい香りなのかもしれない。髪を構成する組織が元のあるべき繋がりとなり、捩じれを解消するという機能を持つ、当然、本来の髪がすとんとしたものなら、はねることもないという、そんな優れものなのに。トロワ自身もカトルが使用するまでその匂いを特別どうのと思ったこともなかったくらいのものである。ようするに、髪に顔を埋めなければ問題ないのではないだろうか?
「トロワと会えない日は使っておこうかなぁ。楽なんだよ、とっても」
どうして君の趣味で僕が左右されなきゃいけないんだよ! とは考えも及ばないカトルは独りごちる。トロワはいっそのことムシよけにでもなればいいと思うのであるが、あくまでコンディショナー、悪臭を放つわけではない。
「かっこ悪い」
「いいや」
トロワの主観。
断定的にカトルが呟いたから、優しさでフォローした。……のではなく、どうせ本心から「かわいい」とぐらい思っているのだろう。
微かに目を細めてトロワが言った。
「朝起きて、軽く頭を振るだけで整うようなスタイルにしてやれるぞ」
「えっ!? スゴイ!」
雄弁なカトルの瞳は英雄(ヒーロー)を見るようにトロワに視線を注ぐ。まじまじと生身のトロワの立ち姿を確認するために視線を動かしていた。やっぱり、平面の中の彼より、立体のトロワのほうが数段カトルにとっても意味があるのだろう。
黒衣の姿はいつもとは少し違う凛々しさで、一層強く禁欲的に見えるのは、それが彼のお仕事着だからだろうか。スマートだなぁとカトルは惚れ惚れ。そのシャツまで頬擦りしたくなるほど愛しくなるのだ。実際にしてもトロワは怒らないような気もするが、実践はしないカトルだった。
「洗うか?」
急な問いかけ。
「んっ……その手には引っかからないんだから……」
「疑り深いな」
“可愛くない”と同意語な気がしてカトルは少しドキリとする。
二人の間に間仕切りがあったなら、「嫌いになった?」とカトルは疑心暗鬼に陥るだろう。人の心とはそれほどに、滑稽なほど不安定で繊細だ。しかしカトルの視線からトロワの姿を隠そうとするものなど何もなかったのだから幸いだったといえよう。トロワの瞳が穏やかなままこちらを見つめていたから、カトルは意気消沈する前に懐疑の念を払拭できた。
こんなときは言い聞かせる。それはとても勇気のいることだけれど、強く信じているから。そして、それだけのことを彼はしてくれているから。
(大丈夫。トロワは僕のとこを『好き』でいてくれるんだから……)
そう自分に言い聞かせる。そうすればカトルは自然に綺麗に笑えていた。
どんなときでも変わらずに、こんなに好きだと伝え続けてくれていたではないか。信じなくては罰があたる。
放っておくと疑心暗鬼を生じ自信を持てないカトルは、あえて強気に考えてみる作戦を敢行中。意識改革できるほどトロワは大切にしてくれている。
「信じてるよ」
自分には分不相応なほどすぎた(と、カトルは評価している)恋人に、カトルはにっこりと微笑んだ。
(どうしてトロワみたいな人が僕なんかを好きなんだろうね……)
これは、カトルが事あるごとに思うこと。
(……物好きなんだ)
と、酷い締めくくり方をしていたりする。
そして、感謝する。『しあわせ』を噛み締める。
「カトル」
「なぁに?」
カトルはちょこんと小首をかしげて、律儀に脇に立つトロワを見る。
だけどトロワは何も言わず、静かにカトルを見つめるだけ。
無意味に呼びかけるトロワに、カトルの頭がさらに傾いていく。
「……トロワ?」
小さく呼ぶ。
戻したはずの頭の位置がまた動き、カトル自身の肩に近付きクンとかしげられ、駆け足をするポーズのように、軽く握った両拳を胸の前で三度振った。
勢いよく同じ動作をすれば、食器をそれぞれの手で握り締めた体勢でご馳走を催促するためテーブルを叩くといった雰囲気になりそうで。「とびきりおいしーケーキ! 極上のチョコレートケーキ! イチゴがたっくさん入ってるのが僕は食べたいんだからー! それがダメならオレンジー!」という感じになるだろうか。
……まぁ、これは、かなりの誇張である。実際のカトルは慎ましやかで。無垢で無邪気な仕種をお行儀よくするといったところだった。
天真爛漫でいて控えめに振舞うところが初心な印象を強めているに違いない。ひとつの理由をとってではないが、カトルは“だから”異常といえるほど年長者に溺愛される(モテる)んだと、今にも耽溺レベルまで及びそうな(すでに到達済みか?)輩を疎ましく思っているトロワは分析する。かくいうトロワは熱烈な予約合戦を引き起こしている自分の状況はどう考えているのやら。
手招きのかわりと読んだトロワは、カトルとは違いほんの微かに首をひねった。
「何だ、カトル?」
対してカトルは、きゅっと口を結んでから言った。
「呼んだのはトロワでしょ」
「そうだな……」
「よしっ!」
不意をついて、カトルはガバッとトロワの腕を掴まえた。
「えいッ!」
口に出さなくてもよさそうなものだが、カトルは無意識でこう。気合の声の通り、カトルはトロワを引っ張った。
とは言え、やんわりと自分のほうに招き寄せたという感じ。
カトルを覗き込むような角度でトロワの上体は少し前に屈められる。こんなにすんなりトロワの動きを意のままにできるのはカトルだけだろう。人に好きにさせてやることさえないような人間なのだから。
伸ばしたカトルの両腕は大好きな人の腕の上を滑り、その肩にかかる。澱むことなく、そのまま首に腕を絡めた。
お互いの髪の香りが籠る腕の間。そんな近くでトロワに向けてカトルは口角を上げて微笑んだ。
トロワの頬に頬をあて、角度を変えて唇で触れる。
ぎゅっ。
首元にしがみつくようにしてカトルはトロワにくっつく。
これもキスといえるだろうか。
「カトル」
静かに呼びかけるトロワにカトルはなぜか羞じらい息継ぎ。……というのも実はカトルはあることを企てているから。
じゃれつくように肩や首、頬に擦り寄るカトルの頭をトロワは優しく撫でる。
髪の毛に触れる動作の中で、時折撫で付けることがあるが、それとこれとは同じ意味なのだろうか。何度もそこに触れている様は、手のひらで後頭部の形をみているようでもあった。
後頭部の丸みさえも楽しんでいる。カトルの全てが手に(自分に)馴染むと、睦言じゃなくてもトロワは口にすることだし否定はできまい。
少し顔が離れたから、トロワはカトルの見るからに柔らかそうな唇に――当然の権利で――自分のそれで触れようとした。
理知的な唇は肩透かしを喰らうことのなる。
それにもトロワは、少し笑う。吐息の触れる距離に甘露の微笑があるから、愛しそうな表情を浮かべるのだ。
腕は力を少し緩め、今度はトロワのすっきりとした輪郭にカトルは唇を密やかにくっつけた。軽くすぼめた唇は頬の上で少しジャンプ。そこに幾度もキスをする。最終的にはトロワの唇の端にカトルの唇は着地していた。
ゆっくりと、ずれる。
唇は微かに肌に触れたまま、酷くスローに、……おそるおそる。トロワの口角から中心に近い場所に少しだけ移動した。
わずかばかりの距離を取り軽く息をする。目を閉じたままカトルは、そろりと唇を……。
思い切りよく、ぴったりとは重ねられずに、触れ合わせながらも皮膚の上で、ふるふると震えるから、かえってカトルの繊細な唇の感触は鮮明にトロワに伝わっていた。
程なくして、トロワからカトルの唇にキスしたのが挑戦(チャレンジ)終了の合図になった。
トロワの口付けは、ふわりと羽根が掠めるような……。そんな優しい触れかただった。
「……ずるいキスの仕方を覚えたものだ」
大袈裟に嘆息して。袖の下「賄賂じゃないだろうな」と、トロワは冗談めかして付け足す。
それを聞いたカトルは、トロワが言うには『面白い表情(かお)』をした。
「トロワみたいに、ずるくないよ。……ジョウズにできないだけだもの」
手のひらで口許を隠しながら、赤い顔をしたカトルはトロワに聞えないように呟く。
「上出来ということだ」
聞えていたとしか思えないトロワの言葉に、カトルはまた赤みばかりか表情も制御できなくなってしまった。
◇◆◇◆◇
「“急に起きる”や“押し退ける”は駄目だぞ」
“飛び起きる”や“突き飛ばす”と表現すべきところをトロワはソフトに言うものだ。
「あーやだなぁ」
カトルはぼやく。
「おとなしくしていたら、カトルが逃げなくてもいい洗いかたが見つかるかもしれないぞ」
「だったらいいのにねぇ……。笑ってるでしょ、トロワ」
たくさん笑っているのは指摘しているカトルのほうだろう。カトルの笑顔は、こんなときでもやわらかい。
「ひじ掛けを三回叩いたら許してくれる?」
四角いジャングルの中のようなルール。すでに反則といった威力を見せる物言いにトロワはどう対処するのか。
カトルの視界の中でトロワの瞳は何か言った。
視線を合わせてトロワは宣戦布告する。
「ギブアップなしでいきたいな」
「トロワ、ズルーーーーーイッ!!」
「買収には屈しない性質(たち)なんだ」
くっと唇の片端を上げたのがカトルが最後に見たトロワの表情。トロワは丁重に椅子を傾けるとカトルの顔に布を被せた。
勢いよく落ちる水音に固唾を飲む。小規模な霧を起こす水飛沫にびくびくしているカトル。毛先が水気を含んだ。
無口だけどカトルを気遣うようにトロワは短く言葉をかける。いつも静かだが、さらに声のトーンが抑えられ籠るように低くなるから、それは囁きだ。
抱きかかえられるようにして髪を洗ってもらったのは、母のミルクの匂いと共にある幼き日の朧げな思い出ではなかろうか。カトルが何より運が良かったのは、それと取って代わったのが、単なる美容師さんではなく、大好きな人だということだろう。
覆い被さるトロワの影に瞼の中で遮られる光。
こんな最中にカトルはドキドキとする。
トロワが近くに居ると体温でわかるから。
いつもなら、もっと甘い行為のきっかけなのに。湿った髪が重さを増すだけで、カトルは喉の奥で悲鳴を放っていた。
徐々にガタガタと椅子が軋む音が混ざり出し、美容室の中に水のほとばしりと、笑いとも呻きとも判別つきかねるカトルの抑えた悲鳴が響き渡る。
むずむずとする躰に、洩れる声を堪え。頭の中で何度も唱える「トロワ」の名前も形にできないカトルは(聞く者によっては、変な気持ちになるような)妙な声を出す。
力一杯閉じられている目尻は、きっと潤いはじめている。長い睫毛も色を濃くしているだろう。大きな瞳を開けば、涙目に違いないのだから。
トロワはどんな気持ちでいるんだろうか……。
ともかく、いつものようにカトルは、傍にいるトロワに夢中でしがみついていた。
■FIN■
「初出 2001.5.13」に、少しの訂正をしました
美容師本の2本目でした。
このトロワ、セクハラ傾向が強いですね(笑)
まあ、そんな部分もカトルにだけだからいいのではないでしょうか。
1本目とは違いラブラブでございやした。
そのせいで、こっぱずかしいので、入力していて恥ずかしくていやでした。。(軍曹はおおいなる照れ屋。。)
あ、ささやかな実験というタイトルがコワそうでスミマセン;;(笑)
オカルトではありません。。ヨ
コシマな実験でもありません(た、たぶん:笑)
しかも1本目のタイトルとも共通性を感じないし。
ネーミングセンス皆無なんです。
それから、この小説、イヤに『』や“”などが多用されていて、すまんことですじゃ。。乱用ということはわかっております。
文章的には問題があっても許してほしい。そんな小説を書きたいときがあるんだ!ということで(笑)
そそ、1本目を書いたあとに、その続きか、その直後の様子が読みたいといろいろ言われたのですが、書いたらこうなりました。
2本続けて洗髪からすすんでいません(笑)
もともとミクロな話が好きなのですが、これも美容院内でしかも洗髪にかかわるうんぬんなだけで2本とも書いてしまっています。
もっと切り口変えろや!と呆れておられる方にはお詫びいたしまする。
ご意見ご感想お待ちしております。
な、ナニか言ってやってくださーーーい;;
こんなカトルはだめですかー?
トロワに比べてキャラが薄かったでしょうか?;;
だ、ダメ人間の小説;;
お嫌いでなければ、どうぞ拍手やコメントしてやってくださいねv
少しでも楽しんでいただけるかたがいればいいのですが。。
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たみらむゆき軍曹&碧軍曹
性別:
非公開
職業:
カトル受専門の夢想家(野望)
趣味:
カトルいじり・カトル受妄想
自己紹介:
むゆきと碧
2人のカトル受限定軍曹が
同志を募って
集って憩ってしまう場を
つくろうと
もくろんだしだいであります。
小説や絵を
UPするのであります。
日記は書く気なし!
(そして、
まともなプロフィールを
語る気もなし。。笑)
軍曹はカトル・ダーリンズ
だいちゅきトークが
したいだけでありますから!
「我軍曹ッ!」
の名乗り随時募集中v
いつか、軍曹の集いを
したいものでありまっす★
しかして、
「なぜ軍曹?;」と、
大半の方に思われてるだろう。。
カトル受最前線で戦い続けるため
出世しすぎて
外野にはいかないからの
万年軍曹であります!
ちなみに最近急に
自分のことを、
「4受大臣」とも名乗るように。
「4受大臣補佐官」など(笑)
こ、これは進化なのか!?(笑)
我が魂、
カトル受とともにあり★(ビシッ!)
2人のカトル受限定軍曹が
同志を募って
集って憩ってしまう場を
つくろうと
もくろんだしだいであります。
小説や絵を
UPするのであります。
日記は書く気なし!
(そして、
まともなプロフィールを
語る気もなし。。笑)
軍曹はカトル・ダーリンズ
だいちゅきトークが
したいだけでありますから!
「我軍曹ッ!」
の名乗り随時募集中v
いつか、軍曹の集いを
したいものでありまっす★
しかして、
「なぜ軍曹?;」と、
大半の方に思われてるだろう。。
カトル受最前線で戦い続けるため
出世しすぎて
外野にはいかないからの
万年軍曹であります!
ちなみに最近急に
自分のことを、
「4受大臣」とも名乗るように。
「4受大臣補佐官」など(笑)
こ、これは進化なのか!?(笑)
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