*お子さま本~雨の日も、晴れの日も~
■ 瞬き ■
満天の星。
夜空を埋め尽くす星の光はあまりに無数で、地色であるはずの黒が明かりに飲まれているようだ。
トロワとカトルは父に連れられて、そんな空の下を歩いていた。
自動販売機は家から歩いて十分。どうせなら倍の時間を散歩しながら夜でも営業している店に行くことにして、三人連れ立って家を出てきた。
談笑というにはカトル一人が話しているだけだが、このメンツはこれでバランスが取れているのだ。
「うおぉっ!?」
なにげに目線を向けた先の街灯にたかっている虫を見て、カトルは目を皿のようにした。
「すごいね」
「都会とは虫の数も違うからな」
カトル専属の解説者はトロワ。三人の配置は大人を真ん中に左右に子供が配している、という状態。
「カトル、星だぞ」
今度は天を仰いだトロワを倣って、カトルも空を見上げた。
「ぐぅあっ!?」
今度はなんだ?
「うわぁぁ~~~!」
感歎にしては妙な声を上げたカトルは、肩をすくめ、横を歩いている父のシャツを反射的に思いっきり引っ張った。
ビッ!
「んん」
どうやら少し裂けたらしいシャツに対する反応は以上でおしまいである。帰宅後に繕いものをするという、父の仕事が増えただけのこと。
ピタリと張り付いてきたカトルの頭を、父は大きな手でぽんぽんと撫でた。
そこにトロワは手を伸ばす。
「カトル?」
トロワの声はカトルにつられてか、微かに狼狽え気味だった。
「……星」
差し出されるトロワの手もカトルには見えない。目を強く瞑り、父のシャツに押し付けた顔も上げもしないで、カトルはくぐもった声を出す。
カトルを父から引き剥がすには、きっと、指を一本一本こじ開けることから始めなければ。
さて、どうしたものかとトロワが二の足を踏んでいると、父はなんなくそれをやってのけたのだ。
コツは躊躇しないで瞬時に強引に……腕力に物を言わることだと、トロワはみた。
カトルの肩をトロワのほうへと軽く押す。ただし、父の腕力の強さを考慮せずにの「軽く」であるから、一般的なモノサシとは違うのだ。その一連の動作を父が無表情で行ったことと、カトルが勝手につんのめったせいで、父が厄介事をトロワに押し付けるように、カトルを突き飛ばしたように見えてしまった。
父の誤解されかねない力技は、今に始まったことでは無いので、問題にならない。
今回も、転びそうになったカトルは今の些細な出来事を気にしていないし、無理なくカトルと近付けるチャンスが回ってきたトロワは、父のいつもながらの行動に感謝していた。
ぎゅっと腕にしがみついてきたカトルは小声で言った。
「星が、いっぱいすぎて……」
「怖いのか?」
すりっとおでこが押し付けられる感覚で、カトルが頷いたのだとわかった。
圧倒的な星屑は美しさを通り越していた。星が好きなはずのカトルの目にはどんなふうにこの景色が映ったのだろうか。
(こんなに奇麗なのに)
右腕にカトルの高い体温を感じながら、トロワはぼんやりと見慣れた星空を見る。
「とても、きれいだね」
ちゃんと見てもいないのに。トロワの肩口をぶるぶる震わせて、カトルの声がする。
都会では見ることの出来ないような無数の、こんなにたくさんの星が輝く空と星を賞嘆しないなんて失礼だと、子供ながらにカトルは思ったのだろう。
「カトル。トロワごと転んでしまうぞ。しっかり歩け」
「ぁ、はいっ」
数歩後方からの注意に、カトルは慌ててトロワにしなだれかかっていた体勢を改めた。
その後も、空を見ては怯えたように下を向く。
手を繋いできたカトルは力みっぱなしで、トロワの手が痛むほど。
初めて会ったときは、まずは、トロワの父の名前。
それがいつしか、まずは『トロワ』と、自然にカトルが口にするようになったとき。いつまでたっても、カトルにとっての一番が親父だとわかっていたときのおもしろくない気持ちとあいまって、トロワはその逆転を素直に嬉しいと思った。
知られるのが気恥ずかしかったのと、自分勝手な感情だとわかっていたから、親父に懐いているカトルを見ていたときも、トロワはなにも言わずに、ぶすりとしていただけだった。
今は頼るように手を握ってきてくれることが嬉しい。
誰よりも先に、名前を呼んでくれることが嬉しい。
怖がっているのに、安堵した表情をカトルが浮かべているのは、この手のおかげだとトロワは思いたかった。
そのとき星を見られたら、印象的な想い出にはならなかっただろう。美しく、カトルを怯えさせた星は、皮肉にも、見ることができなかったからこそ、より鮮烈に心に留め置かれた。
トロワは憶えている。星に埋め尽くされた空と少し残念な思い。
そして、カトルの表情、体温を。
はっきりと、憶えている。
「も、ものすごいね」
「星が嫌いになったか?」
「ううん。星は好きだよ。すごく大好き。たくさん見られて、うれしい」
「怖いのに?」
「う、うん。たぶん、べつなんだよ。だって本当はちゃんと見たいもの。もったいないよね。……今はどんな星座が見られるのかなぁ?」
「そうだな……」
天鷲絨(ビロード)のつやめく表面を隈なくトロワの視線が撫でる。
しかし。
「星が多すぎて……」
星座がわからない。
星座版なら、簡単にどんな星座でも判別することができるトロワなのに。我が故郷ながら、のどかで空が澄みすぎていることに溜め息が出そうだ。
こういうときに、カトルにいいところを見せられないなんて。子供心に地味にショックでもある。
星座版じゃなくても真っ黒な空にいくつかの明るい星が瞬いているだけならトロワも、星座くらい容易に探せるのだが。このおびただしい光りの粒子で埋め尽くされたかのような空と対峙しては、なにを基準に星を見ればいいのかさえ、見当もつかなくなってしまう。
トロワが言葉を詰まらせていたら、カトルは鈴が鳴るように、くすくすっと笑い出した。
「やっぱり多すぎだよねー。とても、きれいだけど、もう少しだけ、へらしてくれても、いいのにねぇ」
「せめて」
「星座がわかるくらいにさ」
面食らうトロワの表情(カオ)を期待して、いたずらっ子の表情でカトルがトロワの顔を覗き込む。
トロワが少し目を丸くしたのは、ほんの束の間。
「ああ、それに、カトルがちゃんと、上を向けるくらいにな」
カトルに向かってそう言うと、トロワは笑みを零した。
彼の笑みのように密やかに、星の間をぬい、いくつかの星が流れた。
カトルは見えないはずの、星が降る音を聴いたような気がした。
■初出は2000.5.7「雨の日も、晴れの日も」という本になります。
それに今回、加筆訂正いたしました!
子供心に残った星空の思い出をお送りしました。
トロワの思いとともに、カトルの胸にもこの夜空は刻まれたことでしょう。
なんて、まじめにまとめてみたりする(笑)
こんなお話もお嫌いじゃなければ、拍手などしてやってくださいねv