*お子さま本~雨の日も、晴れの日も~
■ だいじ ■
カトルが一番恥ずかしがる話。
それはトロワにとっても、きまりが悪い話で、無闇に吹聴したくない出来事だ。
エピソードとしては子供らしく微笑ましいのだが、カトルのことは可愛いと思えても、自分のことは馬鹿にした感情しか湧き上がらない。まぁ、自嘲してしまうのだろう。
泣き叫ぶカトル。
そう、ただ泣くだけではなく、その時カトルは泣きながら声を嗄らせて叫んでいた。
泣くカトルなら珍しくはない。この様に言うとカトルは訂正を求めるだろうか。
つまり、泣くことはあっても……取り乱して叫ぶことはない。と、この部分を強調しておきたかったわけだ。
その時のあまりにも壮絶な姿は、いつ思い返しても笑いを抑えられなくなる。自分のことが加わると苦笑に変わってしまうのだが。カトルのめちゃめちゃな悲鳴も、自分を心配して、ただひたすら出していたものだと思うと騒音だとは決して思えない。
それは、どれ程カトルがトロワを大好きか、笑ってしまうが、痛々しいほど伝わる貴重な出来事だった。
さあ、子供は寝て。
という時間になって、父が眠る前にトイレに言っておくかと言い出し、二人は連れられて厠の前まで来た。
初めて泊まる場所なだけに、夜に眼を醒ますだけでも、子供が泣くには十分な理由になる。そんな田舎の家。トロワはそういうことはないのだが、カトルが怪しい。
厄介ごとを回避する手段を講じた父の判断は実に正しいと言えた。
しかし、トロワとカトルの前には未知の恐怖が待っていたのだ。
薄暗い明かりを灯し、扉を開けて中を見た。
「ヒィッ!?」
悲鳴を上げたカトルがトロワに飛び付いた。トロワも思わず硬直する。
父だけは平然と。
「カトル入れ」
個室の中にカトルを入れようと背中を押した。
が、カトルは悲鳴の続きのような細い声を出しながら、イヤイヤと後退った。
「なんだ。何が嫌なんだ? いいから入れ」
「いやぁッ!? ぼ、ぼくっ、ぼくはいいよ、したくないから」
腕を掴んでいるカトルに引っ張られ、意思とは無関係にトロワもじりじりと後退する。
「カトル?」
頬にあたるカトルの髪が擽ったい。
「カトル、中に入るのが怖いのか?」
ずばり言ったのはトロワに非ず父のほうだった。
「えーっ!? そ、そんなことは……」
もごもごもご。
カトルの語尾は有耶無耶に消えてしまう。体は正直に、その場を立ち去ろうとしているのに否定めいたことを言う。子供は見え透いた誤魔化しを真剣にやってのける生き物だ。
消えるではないが、時々ちらつく電球を見て父親は納得した。そう、大人がくだらないと思うことでも子供はそうではないのだ。ここの明かりが煌々と輝いていても同じこと。はっきりとした根拠もなく、漠然としたものに怯えているのだから、どう理屈をきかせても恐怖心を拭い去ることは出来ない。
トロワはこういうことで後込み(しりごみ)するタイプではないのは我が子のこと、父が一番良く知っている。だから矛先を変え、完璧に逃げ腰になったカトルは後に回すことにして、今後は先にトロワを促した。
すると、カトルが過剰反応を起こしたのだ。
「ワーーーッ、ダメ!!」
「お前じゃない! トロワ、騒がしいのは無視しろ」
トロワのパジャマを掴んでいるカトルを父は後ろから捕まえる。
「ダメッ!! ダメだよォーッ!! ダメダメダメッ! トロワ、落ちちゃうよー!!」
「落ちない」
断言する父。
「……だ、い……じょう、ぶだ」
尋常ではないカトルの押され、トロワの口調まで通常の時とは違う歯切れの悪さ。緊張が伝染してしまったのだろう。
カトルが恐怖におののいているのは汲み取り式の手洗いであった。
昼間に他所で使用したときに既に擦ったもんだを演じていたのだが、さすがにここまで酷くはなかった。夜のトイレというのはまたひと味違うものなのだろうか……。
心優しいというか、カトルは他人のことまで我が身のことのように考えてしまう。それがトロワの事となると格別だ。きっと大変なことになると大混乱で、カトルはあの大きな空間をトロワが跨ぎ損ねる心配までしなくてはならない。
「トロワッ、ダメだったらぁーーッ! 入っちゃダメ!! トロワッ、トロワったらァッ!!」
「だ、大丈夫だから、落ち着いてくれカトル」
個室の扉をトロワが閉めようとすると、羽交い絞めのようにされているカトルが悲鳴を上げる。
その声に驚いて足を滑らせそう。本当にトロワを案じるなら、カトルは口を閉ざしておくべきだろう。
兎に角、個室に入ったら最後、落ちてしまうとカトルは思っていた。だから、嫌だ駄目だと必死の形相でトロワを引き止めようとする。果敢にも扉の向こうに消えようとするトロワを見て、ついにカトルは大声で泣き出した。
「うわぁ~あぁあああああん、トロワアァ~~~」
トロワも真剣にカトルを執り成しているのだから。それはさながら今生の別れ。本人たちが懸命なだけに、他者から見れば滑稽味も相当なもの。
嵌ったところで父が何とかしてくれるとはカトルの想像の範疇にはないようで、落ちれば、一巻の終わり……といった感じ。
「たすけてっ、トロワをたすけてよぉ!?」
「それは落ちたときだ」
まだ落ちてもいないうちから無茶を言う。カトルの頭の中ではそれは確定しているのだからしょうがないのか。トロワの父は笑うつもりもないようで、この単純で心配性な可愛い子に手を焼いているだけだ。
手立てがないのだからトロワのほうを急かせるしかない。
「カトルは放っておけ」
目配せされて、トロワは頷きカトルの声を振り切るように扉を閉じた。
「ぐぅっわあぁ~~~とぉろぉわあぁ~~」
トロワ救出のため扉を蹴破りかねないカトルを抱き竦めながら父は溜め息を漏らした。
「カトルが泣いてどうする……」
田舎の厨というのは、どうして母屋から離れた場所に設置されているのかを、カトルの絶叫がほとばしる中、トロワはなんとなく理解した気がした。
「ドロワッ、トロぐぁああああ、うううあぁ~~~」
扉を隔てて泣き叫ぶカトルの声が届く。
内容としては。
「危ないから入っちゃ駄目だよトロワ」
「トロワが落ちてしまう」
「嗚呼、トロワが……」
「大変なことにぃ」
といった感じの事を口にしているつもりなのだろうなぁと推察できた。
命乞いするように「たすけて」や「ゆるして」と口走っているのには、父親も対処に困り果たことだろう。
(大丈夫だ。泣くなカトル。俺は大丈夫だ……)
しかし、トロワもこんなことを考えていたとは。
心の中での呟きは、トロワ本人が明かさない限り永久に秘められたまま、人に知られることはないのだろう。
ほら、トロワの笑みが苦笑に変わった。
■FIN■
初出2000年5月7日「雨の日も、晴れの日も」
からになります。
それに少しの加筆訂正をしました。
田舎のポットン便所はコワいというお話(笑)
子供のとっては恐怖の対象なのでした。
これは、この本を出して時に、ショートショート12本の中で一番好きだと言ってくださる方が多いお話でした。
が、ナゼだかわかりません。。
マヌケなお話ですのにね(笑)
ちなみに、このネットという世界ではどういうご反応がいただけるか;;
反応がないかもしれないとおもうと、ますます、ドキドキです;;
心臓に悪いです。
3月4日。年に一回のトロカトの日なので、あわててUPしましたが、こんな話でよかったのかが考え物で。
こんなマヌケなお子様も愛せるわvという心優しい方が拍手やコメントくださることを祈っております。