《蕩ける…》
「……ぅんん」
深く沈み込んでいた意識が、水面に浮かび上がってきた。
しかし、まだ夜中であると膚で感じて、覚醒の必要性がないと躰が判断したのか、瞳を軽く閉じたまま、躰をもぞもぞと動かしているだけだった。
重い躰、伸ばせない腕、泳ぐ脚。
触れる吐息に、優しいあたたかみ、鼻腔を擽る安らぎの熱。
さやさやと音を奏でて、白金の髪を梳く手。
夢の“続き”かとカトルはぼんやりと思って、手に触れた布を引っ張った。
小さく名前を呼ぶと、同じように名前を呼ばれ。
「……ん?」
もっと強く布を引きながら、カトルは瞼を震わせた。
引っ付いて、布に頬を擦りつけながら、ずるずると上げていった顔に当たったのは、人の肌。
驚くより先に、骨の形が誰だか告げる。
今はまだ、居るはずもない彼。
「んぁ?」
喉だけで出したカトルの声は、仔猫の洩らした鳴き声みたいに。
眠っていたい自分と目の前のものを確認したい自分が戦って、睫毛はひくひくと痙攣し。
もう少しで、沈没しそうになった時、
「……カトル」
それを見透かしたように、手招きするような甘い響きの声がした。
感知したカトルは逆らえず、焦点は定まらないままだったが、長い睫毛の間から、その碧い瞳をひっそりと見せた。
「ずいぶんと早くに眠ってしまったんだな」
「…………」
待ち兼ねたように優しい声が振ってくる。
カトルはまだ、半分、夢の中の住人だ。
返事はせずに、上睫毛と下睫毛がキスするのを回避するのに必死になっている。瞳を開くのさえままならない。
「目が覚めていないのか」
微かに笑いを含んだ声に、カトルはなにか答えようとするが、喉が開かない。
寝転んだままだからよいが、起きてぺたりと座り込んだ状態だったら、きっと、ふらふらぐにゃりと崩れているに違いない。それでも、視覚と味覚以外の全部で、自分の大好きなトロワがいると感じたから。カトルなりに懸命に起きようとしている。
もそもそ懸命に身じろごうとしているカトルの様子に、無視して眠るつもりはもう無いらしいとトロワは知って、ベッドサイドのルームランプを灯した。
その光から逃れるように、カトルはトロワの腕の中でベッドに顔を押しつけ、暫くするとゆっくりと首を振った。
もそもそと無意味に動いたり、ピタッと動きを止めて、半分だけゆるゆると瞼を持ち上げ、また直ぐに下ろしたりしている。
余力で動いているオモチャみたいで、ゼンマイ仕掛けなのかと、思わずトロワはカトルの背中にネジでもあるのかと捜しかけた。
そんな動作を繰り返した後、カトルは鈍い動きで横に居るトロワに顔を寄せ。近づき過ぎて焦点が定まらないと知って少し顔を離した。
「……トロ、ワ?」
「ああ」
舌っ足らずに問いかけたカトルに、トロワは返事と同時に髪を撫でて、額にひとつキスをした。
ぐぅっと押し寄せてくるのは喜び。一気に満たされて行く感覚にカトルは眠りの縁にいても胸が熱かった。
カトルの表情が桜色を灯し、ぽやぁっと綻びたのがはっきりとわかり、その素直な反応にトロワの顔も喜びで和らぐ。
「おかえりなさい」という、いつもの言葉を反射的に零しそうになって、カトルは、あれ? っと怪訝そうな表情を作った。
意識がぼんやりとしているぶん、普段より数段ストレートに顔にそれが表れた。
視力が悪い人間がするように、目をすがめて、また、まじまじとトロワの顔をカトルは見つめる。
トロワは妙に可愛い、アップのカトルの鼻先に、キスしてやろうとかと思ったが。
小さな小さな仔猫の鳴き声みたいな声でとろとろとカトルの口をついたのは、
「……なにぃ? 君、何してるのぉ……」
奇妙な問い掛けだった。
音を出すのが億劫なのだろう、不満気に眉をひそめて口を尖らしている。まだ、寝惚けたままのカトルは、普段では考えられない反応をする。
その理由に察しがついてたトロワは、
「随分だな」
と、笑いを洩らした。
「予定より早く帰ってきた」
トロワが約束を違えたわけではないが、眠いカトルの判断力は欠落していて、がっかりとした、その悲しかった感覚だけが甦った。
今のカトルからすれば、それは目の前の彼のせいだ。
……待っていたのに。
ルームランプに照らされた時計が時を刻み、それに目を向けたカトルは瞬く。
トロワが気付いていないわけはないだろうが、時刻はまだ……。
頬を染め。
(だめだ……)
トロワに降参しそうになる。カトルが不貞寝したときから、まだ日は改まっていなかった。
自分で勝手に記した日だったのに。トロワは本当に一日早く帰ってきてくれた。
知っているはずもないのに、待ち遠しい大好きな人を待ち高鳴る胸の音が胸の叫びが、トロワに届いたかのようにいつもの涼やかな柳眉の静かな表情でカトルのすぐ傍に居るのだ。その名を心の中で呼び続けていた声を聞いたとでもいうのか。
カトルの待つ姿があると察したかのようにトロワは予定を変更し一日早く、ふたりの大切なここに帰ってきてくれた。
偶然なのだろうが普通よりも逆に、こういうのは落胆していた分だけ数段嬉しくなってしまう。トロワの方が何につけても上手(うわて)な気がして、だから好きだと思ったり。
キュンと心臓が悲鳴を上げた。
でも……。
コロンと横になったまま憮然とした表情で、少し黙っていたら。トロワが髪を梳いて、背中をゆっくりと何度も撫でてくれた。
ドキドキと自分の心臓の音が聞こえる。トロワにそれを見透かされているようで。
自分で勝手に間違えて落胆した姿は滑稽で恥ずかしく、トロワには何の落ち度もないのに大人げなく拗ねていたとわかっている自分もちゃんといるから。そういう風にされてしまうと、カトルは弱い。
でも、急に甘えるのも照れくさくて、背中を向けようかと思ったのだが、ベッドの中で向かい合って抱き締められているので、身動きがとれなかった。
仕方なしにカトルは、自分の腕でさり気なく、火照り出す顔を隠した。
ほどけて行くカトルの姿を見るのは、何とも言えない楽しさがある。
トロワはその微笑ましさも好きで、以前からは考えられないが、わざとカトルが膨れるような事をする、悪い癖までついてしまった。
「どうした、カトル」
今も、少し声に笑いが混じっていた。
「……なんでもなぃ。――おかえりなさい。トロ、ワ」
最後はくぐもって、聞き取れないような声でカトルは言った。
決まり悪そうに耳まで赤くして。それでも意地を張れずに告げてくれたカトルの姿を見ると、いかに辛抱していたかという事が、言葉が無くてもわかるから、切なくなる。
隠そうとする分だけ見るに忍びなくて、そのいじらしさが愛しくて……。
「どうしてた」
「一人の間?」
目の前にある鎖骨辺りを見つめ下を向いたままのカトルの顔を、トロワは少し無理に上げさせ、背中を丸めて視線を逸らさないようにその細い腰をさらに引き寄せた。
「どうしてたんだ?」
もう一度トロワは言って、カトルの火照った頬に口吻けた。
鼻先数センチの距離。ただの会話を交わすのでも逃げ場がなくて、とても、恥ずかしい。
半分ベッドに押し付けている顔を、ますます紅潮させたカトルは、上掛けを引き上げ眉をしかめた。
「ずっと、同じだよ」
「……ずっと」
「……家に帰っても、いつも、独りで。とても、退屈で……」
少し目細めたトロワの癖のある表情は、誘いを意味し。
「それだけなのか?」
「……トロワ」
口を噤んだカトルに問い掛け、
「カトル」
促し、
「…………凍えそう、だった」
その言葉を告げさせた。
こういうときにカトルが浮かべる笑みは、泣き顔よりもトロワの胸を抉り、自分で言わせておきながら。……苦しくなった。
「寂しい思いをさせてしまったな」
「っ! そんなこと……」
ない、とは言えず。カトルは口ごもった。
トロワの声は、ひどく慈しむ響きを持って、ささくれたカトルの心を、しっとりと湿らせる。
絶対に、かなわない。
大好きな、この人に、これ以上突っ張ってなんていられないから。
素直に。おずおず動いてカトルは、手をトロワの胸に添えて、首元に頬を寄せた。
「僕が……勝手に、待っていた、だけ、だから」
そこに唇をあてたまま、カトルは呟く。
離れればきっと、トロワは顔を覗き込んでくるだろうから、カトルは離れられない。
「遅くなってしまったな」
湧き上がる愛しさで。慰めるようにカトルの背中を抱き締めて、ゆっくりと撫で下ろした。
切なく響く思い遣りに溢れたその声に、優しい腕に、カトルの目尻が、じんわりと滲んだ。
これ以上好きになりようもないほど愛してるのに。何時でもこうしてカトルの胸を焦がす。
想い、恋い慕う気持ちに、果てなどないのだろうか。
深く、深く、この身に溜まる。胸の奥から湧き出す、甘く切ないこの想いは。涸れる事など、きっと……ありはしない。
あたたかさが嬉しくて、涙が溢れそうになるから、カトルはわざと瞳を開いて視線を泳がせた。
――まだ、間に合う。
すごいなとカトルはトロワに胸の中で降参した。
「大好き、だよ。……ありがとぅ……」
はにかむように笑顔を零したカトルを抱き寄せると、トロワは微笑を湛え、
「ただいま」
「……おかえりなさい」
カトルは、もう一度、同じ言葉を告げた。
そして、出掛け際より、長い……口吻け。
眠っていても身に付けている布を通してさえ、いつに況しても熱いカトルの躰を抱き、ぐいっとトロワは躰に乗せられたままになっていた脚を、膝の裏から体側にそって持ち上げ、腰から自分の身体の方へと引き寄せた。
それだけならば、カトルもしおらしく、トロワに縋り付いていたかもしれなかったが。脚とは呼べないきわどい処をトロワが大きな手のひらで掴むようにしたから、カトルの意識が初めて二人の体勢へと向かった。
「へぇっ!」
驚いた声を上げて、カトルが大きく目を開いた。目覚めてから今までで、一番大きな瞳だ。
トロワの身体に脚を掛けている。これは一体、何事なのだろうか。
……抱きついていると言えば可愛いが。
一気に目が冴え、カトルは全身を朱に染める勢いで慌てふためき、悲鳴みたいな声を出した。
「ちょっと!!」
「大きな眼だな」
「何言ってるのっ」
「大きくて綺麗な瞳だな」
「そんな事、聞いてないよッ」
「今、聞いただろ……。おかしな事を言うな、カトルは」
「揚げ足を取らないでっ」
「何を怒ってるんだ?」
とぼけているのか、本当にトロワが気にしていないのかわからないが、カトルからすれば、この体勢はとんでもなく羞恥心を刺激される。
どうして目の前の彼は、いつも通り涼しげなのか、こういう時は整った顔が噛みつきたくなるくらい、憎らしい。
「トロワッ」
「……なんだ?」
「やめてよ」
「何を?」
尋ねながら、いけしゃあしゃあとトロワが触れていた大腿を撫でたから、ビクリと身を悶えるように震わせて、
「わかってるんじゃないかっ!」
カトルは顔を赤くして、トロワの肩をポカポカと叩きながら、脚をばたつかせた。
「カトル、暴れると布団が乱れてしまうだろう」
いかにも落ち着いた困った声を出すトロワは、微かに笑っていて、完全に面白がっている事は火を見るよりも明らかだった。
「離してよ」
膨れてカトルはトロワの襟を引っ張った。
その程度でトロワをどうすることも出来ないのだが。
「カトルがいつもエアコンを止めてしまうから随分と往生していたが、これなら暖かくて助かるんだがな」
室温が低いことなど自分は気にしていないくせに、トロワはカトルの痛いところをわざとついて困らせる。
「……僕は、湯たんぽじゃないんだから」
悲しいことに狙い通り、拗ねるように口を窄めたカトルの口調は、少し弱弱しくなった。
「湯たんぽか……。それは考えていなかったが。カトルの躰の方が遥かに精巧だな。いつでも適温で、感触が好い」
真顔でそんなことを言われて、「わ~い! それはどうもぉ」なんて、にっこり笑えるわけがない。言われたカトルの方は、馬鹿にされたのか、褒められているのか複雑で。受け取りようによっては、とんでもなくて。恥ずかしすぎて身を焼かれそうだ。
クールなトロワは恥ずかしげもなく、好きな事を口走るが、自分ばかりが翻弄されてしまって悔しい。
言葉が組み立てられず、喉の奥に溜めた音を鼻の辺りから洩らし、赤くなりっぱなしのカトルは俯いて、またトロワの肩を力無く何度も叩いた。
照れる仕種を見越してのトロワの言動。思い通りの反応でも嬉々としてしまうが、それ以上なら、なおのこと胸が踊り、可愛くてしょうがないと感じてしまう。
「そう言うカトルは、俺の事を抱き枕だと思っているだろ」
「……?」
笑うように言ったトロワの声に、カトルは首を傾げて、訝しい顔をした。
「こうしないと、むずがって、おとなしくならなかったのはカトル、お前だろ?」
トロワは子供に対するような言葉をわざと使って、カトルを煽る。
耳までカァっと赤くなったカトルが、弾かれたように顔を上げた。
疑問形にされても、そんな事は知らない。
「うそだっ」
「俺は嘘はつかないが」
嘘はつかないが、ちゃんと言わない事はたくさんある。
自分でわかっていて、そのくせ、ぬけぬけとそういう事を言う。
カトルはトロワと、より親しくなってから気付いた事があった。スイッチが入るとトロワはとても押しが強い。
膨れてしまう事もいっぱいされているが、その後トロワは必ず何倍も優しく優しくしてくれるから。カトルは絆されて、それを洗い流してしまっていた。
だから、どんどんトロワは強気になって。本領を発揮しているだけなのだが……通り越して、もやは、ふてぶてしい。
「まだ、眠いか?」
「……ううん」
脈絡のない会話に、咄嗟にカトルは柔順に返事をしてしまった。
カトルの覚醒に時間が掛かることはいつもの事で、しばらく起きていることについては一眠りしたので大丈夫だろう。
「何か夢を見ていたようだったが」
瞳をグルリと回して考える。でも、もう思い出せない。
さっき、夢の続きだと思ったのは何故だろう。
「覚えてないよ。……トロワ、手を退けて」
「どうしてだ」
答えなんてわかっているくせに。
「もう……」
と、小さく口の中で拗ねた声を出したカトルは、トロワの身体にしがみついて言った。
「恥ずかしいから、だよ」
ぐりぐり頭を擦り付けてくるが、脚は逃げようとして、トロワとジリジリ力比べをしている。
勝ち目が無いとわかると、カトルはベッドの中で無礼を働くトロワの手を、引っ剥がそうと手も使って頑張った。
トロワは期待を決して裏切らない、カトルの初々しさにいつも喜悦を覚えてしまう。
こういうシチュエーションでも淫靡な方面ではなく、どことなく滑稽なことになるカトルの初心さが好きだ。いつまでたっても変わらない穢れのない純真さを感じさせる。
「大丈夫だ、カトル」
「なにが?」
含みのある言葉に嫌な予感がするが、一応聞いてしまう。こういうところも、いつまでも素直だ。
「眠っている間にカトルは俺に対していろいろとしていたからな。今更だ」
「僕が? な、なに?」
「…………」
答えずに意味ありげにトロワは笑う。
「意地悪しないで、ちゃんと言ってよ」
「言っていいのか?」 問い返されて、それだけの含みが多くのことを告げてくるようで、
「な! ――――!」
驚いて口を開けて固まってしまったカトルを見て、その反応も楽しんでいるトロワは微笑を零し、その白金の髪がかかる首元に顔を埋めた。
「ぅあッ」
トロワは直ぐに口吻けた肌を、やんわりと吸い上げ、跳ねた躰を抱き締め、ゆっくりと唇で輪郭をなぞり始める。
「トロワぁっ」
非難の声を上げるカトルのパジャマの裾をトロワは器用にたくし上げ、素肌へ手を差し入れ、もう一方の手で掴まえていた脚を着衣の上から、辿り出した。
薄い生地はぞわりと鈍く拡がる感覚がして、触れてくる手の熱に飲まれるのが、はやい。
じゃれあいのようなものだったのに、意識が変われば直ぐにでも艶事めいてくるから。
布団の中では熱が籠り空気が熱く、こんな布など必要ないのではないかと思わせる程、躰が心(しん)から火照り出す。
耳元で軽く名前を呼ばれ、首を竦めたカトルの脚が、逃げるではない別の力を込めて撓む。
抵抗を止めて待つようにカトルが目を閉じたから、トロワは誘われるままに優しく口唇を重ねた。
「……ん」
深くならないうちに離れ。
二人の口唇の間にカトルの吐息が落ちて……。
シャツのボタンを一つ外し頬に唇で触れながら、カトルが逃げないようにトロワは腕に力を込める。
「トロワっ」
「……止めても、無駄だ」
焦ったようなカトルの声と、その動きを、トロワは気魄で制止させる。
整った指先を持つしなやかな手を、細作りなカトルの躰に這わせ、トロワは有無を言わせずに。押し殺した声は服従を強いる強さで。
いつも静かな彼の見せる、激情に駆られた熱情はカトルの胸をドキドキと高鳴らせ、肌を羞恥と焦がれる桃の花びらの色に染め上げる。
カトルは乱れ始めた吐息の中で、
「違う……そうじゃなくて」
小さな声を絞り出す。
淫らな嬌姿を浮き彫りにする仄灯りから腕で顔を隠すようにしたカトルは、震えるため息に乗せ、
「……消して」
トロワに哀願をした。
「目を閉じておけ」
「ぃゃだ……」
灯りを嫌うカトルに、事も無げに言う。そんなトロワにカトルは首を横に振る。
本当に耐えられないと、泣き出しそうで。
トロワは嗜虐心も煽られたが、今はそれに深い甘さが生まれ、愛しさにため息と微笑を洩らし、愛撫する手は休めずに、片手を伸ばし、望み通りにルームランプの灯りを消した。
カトルの顔を覆った両腕を外させると、闇の中でも瞳が潤み、濡れているのがわかるようだった。
夜目が効くトロワには灯りなどなくとも浮き出される姿は闇に塗り潰されたシルエットではない。
脚を取られた状態は、いつも以上に躰が密着して、昂ぶったものが感じて熱に侵される様を克明にトロワに伝え、カトルに伝えてくるから。羞恥と痴情は大きく躰の中をうねり出す。
もがき腰を動かせば、擦り寄る媚態に変化して、それを恐れてカトルは身動きも取れず。熱が燻り、耐え切れず身悶え、はっきりとした甘えた仕種でトロワに縋った。
どうしたら……。
思考は虚しく言葉だけを繰り返し、引き攣れた脚はトロワを求め、大きくもがいた。
絶え絶えに聞える小さな呼吸を零す口唇に、しっとりと口吻け、うっすらと開いた濡れた口唇の間からトロワは舌を滑り込ませた。
「……んっ」
羞恥で逃げる動きに舌を強引に絡め、追い立てるように貪り、口腔を犯し尽くす。
舌先が肌を濡らし柔らかな頬を滑り下へと降りて行く、トロワの動きに飲み込まれ、
「……ふ……んぁ」
微かな喘ぎが喉を過ぎ、押さえ切れない吐息が鼻に掛かった嬌声を紡いだ。
高潔さと純潔さで、作った声は上げず、溢れる息まで押し隠そうとするから。それを無理に零れさせるのは、嬲る方からすれば、たまらない快感だ。
「トロ、ワ……んン、ぁ」
躰に残る夜着の感覚に、じれったそうにカトルが身じろいだ。
トロワは応えるようにカトルの衣服を剥ぎ取りながら、汗で湿りしっとりと潤み朱を帯びだした皮膚を、さらに唾液で濡らして行く。
「……ンぁ……あぁっ……」
乱れようとしない人の自我を奪う楽しみは、どんな慣れた女を抱くに勝り。
無意識で捩じる肢体の生む嬌態は、紛い物の媚態を凌駕して。凍えた心を焚き付けて、抱き、手に入れる喜びに変える。
「……そうだ。ちょうど、考えていたことがあったんだが」
トロワの悪い虫が騒ぎ出した。
「このさいだ」
静かな声とは違い、今日のトロワはいつもより追い詰めてくるのが少しだけはやい。離れていた期間、愛しい人のことを想い何度ため息をついたのか。逢いたかったのはトロワも同じ。
「……ん?」
意識が分散し出したカトルは、漸く返事だけをした。
「いや、今はいい」
「ト、ロワ……言って」
「……まだ、はやい」
その言葉を無視して、
「なにぃ?」
泣くような声で重ねて訊くカトルに、
「まだだ」
トロワは短く答え、余計な思考を奪うように滑らかな白い肌に舌を這わせた。
「ふぁ……ぁあっ」
愛撫の波に弄ばれて、息も上手くつけずに。カトルは引き攣れた呼吸で細く息を吸い、薄い胸を忙しなく上下させる。
狂おしい程の愛しさを込めて、汗で濡れそぼる躰をまさぐり滑る手のひら、辿る口唇、這う舌先に、絡み付くのは長い指。
触れているのがトロワだという事実が、カトルの全てを蕩けさせた。
すすり泣くように上がる声。激しい愛撫について行けない苦しさと、トロワの繊手の優しさに胸が軋んで、洩らされるカトルの喘ぎ。
……大好きだと、君が大好きだと、ちゃんと音に出来ただろうか。
カトルは戸惑いながら、トロワの名前を何度も唱え、
「……ト、ロワぁ……んン」
「カトル……」
低く籠る声で、トロワは腕の中で震える人の名を呼んだ。
「――カトル……愛してる」
魂を愛した。その人の躰は夢のようにたおやかで美しく。膨らみ続ける愛しさで、想いを告げて名前を象り。
何ひとつ忘れてはいない。甘やかな肢体と、縋り付いてくる細い腕の感触。
離れていた時間と距離を埋めるように、取り戻すように。終わりなく、愛し、味わい尽くすまで。
抱き締めて、抱き締めて。
求めるままに溺れ続けた。
カトルが責められながら交わされた約束。
行為の中で織り込まれた、
『――カトル。約束してくれないか……』
トロワの言葉をカトルが承諾したのか……。
たとえそのとき答えていても、会話とも言えないような、涙混じりの喘ぎの中での事を、果たしてきちんと覚えているのだろうか。
『――せめて一人で休む時は、空調機を、つけろ』
トロワの思惑で頑固なカトルは折れたのか。
目覚めた時にもう一度、確認してみる必要があった。
■FIN■