『お楽しみ』「トロワ知ってる?」
「知らない」
「もう、ちゃんと聞いてよ。いつもなら『なんだ』でしょ!」
「そうか」
「そうだよ」
トロワはボキャブラリーが著しく乏しい少年であった。『何について』を提示される前に『知る』かどうかを聞かれても、答えようなどないと思っただけなのだが。
そんなトロワにカトルは不満を露わにして、ぷーっと頬に空気を入れて膨らませる。幼いその子がイメージさせるのは、臍を曲げた天使だ。光を透かしそうな白金の髪と桃のように白とピンクに化粧した頬が音もなく擦れ合う。桃色の頬がしぼんでいくのをトロワは静かな翠の瞳で見守っていた。それは子どもとは思えぬ、あたたかさを含んだ瞳で。
「で、何だ」
頃合いを見計らったようにトロワは言う。
「あのねぇ」
今、拗ねていたはずのカトルはというと、いそいそと笑顔でトロワに近付くのであった。怒りが持続しないのもあるが、トロワに呼ばれるとカトルは本能的になのか、お返事をしてしまうらしい。そう、それも、たっぷりの愛情を込めて。不満も怒りも無意識で蹴飛ばして。
トロワとカトルは同じ歳だが真逆のように性質の違う二人であった。イメージは陰と陽、マイナスとプラス、雨の日と晴れの日、……だ。なのに仲がいい。求め合う。自分にない特性に惹き寄せられるように、可愛いという域を超えそうな勢いで、見ているこちらが恥かしくなるほど睦まじい。二人を見ていると、それはそれは、心あたたかになる。それはまるで、なにかの領域を越えた恋人のようであった。そう感じるのは、かんばせがことのほか二人とも美しかったせいかもしれない。既に大人びているが、さらに成長するにつれ、泣く女性を多く出すであろう涼やかな美貌のトロワと、泣く輩まで多く輩出しそうな、柔らかな容貌のカトル。ただ、トロワは発言まで大人びているのに対し、カトルから出てくる言葉は、やっぱり幼稚なもので子供らしいものなのであるが、今日の内容は妙だった。
「仲のいい二人って、ひとつのパジャマを半分こするんだって」
「誰に聞いたんだ……」
少年とは思えない落ち着いた物言いをする少年は、あからさまにいぶかしい顔をした。
「ねっ!」
カトルはトロワの問いを聞いていたのか、彼の腕を両手で握り、せがむような顔をする。カトルに妙なことを吹き込みそうな人物を、トロワは頭の中で検索してみる。
「カトル……」
トロワの声に不思議なイントネーションが混ざるのは、続きなんて聞かなくてもわかるからだ。そして、それに負けることも。トロワは静かに過去を振り返る。今までに自分は、カトルの『お願い』を、踏みつけにして、越えて行けたことなどあっただろうか。
「ね! しよぅよぉー」
「構わないが」
トロワのそれは、意味不明のおねだりに対する返答の速度ではない。あまりの返答のスムーズさに、トロワ本人以外なら驚くのではないだろうか。彼はカトルからの提案なら、拒否するということは考えていないらしい。「ハダカおどりしようよぉー」でも、カトルには止めておけと言うかもしれないが、「してよぉー」なら、困惑さえ抱かずに実行してしまいかねないほど、トロワはカトルに甘かった。そして、羞恥心も欠落していた。この程度のお願いなど、トロワからすれば考える必要もないような容易いものでしかない。
それはさておき、要するに、子供の癖にバカがつくほどトロワはカトルに惚れているのである。問題はトロワ自身は自分の感情の動きをあまり把握していないということ。カトルが好きだということはさすがに自覚しているようなのだが、とてつもない鈍さの持ち主であった。ちなみにカトルは「ぼくはトロワがスキだよぉ」と、言葉に出してはっきりと主張している。白い肌を桜色に染めて。ときにはいたずらっ子の瞳で「スキ、スキ」ハートマークを振りまきながら言う事だってざらではない。カトルは非常に自分の心に正直だった。カトルはトロワのさりげない優しさが好きだ。もちろん容姿だって憧れのかたまりであるし、何よりトロワといると「うれしーっ!」と胸が騒ぐのだ。いつだってドキドキしている。トロワはというとカトルの奔放さと、少女のような甘やかさのサンドイッチにヤラレテいるのか、カトルの感情の素直さ純粋さ、どれをとっても透明なほどの一途さが好きでたまらなかった。もちろん容貌も美しく柔らかそうで、触れると本当にふゃりと柔らかで大好きであった。
そんなわけで、いそいそと二人、パジャマを分けっこすることになったのであるが、自然に自分のズボンに手を伸ばしたトロワは、たぐり寄せられないという事態と遭遇した。見てみると、カトルがしっかりと同じものを握っているわけで、視線が合うと、
「なに?」
なんて言う。
ナニ?
さて、なんなんだろうな……のトロワである。
ここで初めて気づく。自分は当然のように下を穿き、カトルが上を纏い……という構図を想像していたと。でも、カトルはズボンをしっかり握っているではないか。と云うことは、これは。
「カトルがこれを着るのか?」
「そうだよ」
何を今さら当然じゃないか。なんて顔でカトルは言う。
「それでは俺が穿くものがなくなると思うんだが」
「なくなるねぇ」
なんだがマヌケな顔で、カトルは口を開けて無音で笑った。
「トロワがはくものは、なくなっちゃうよね」
「そうだな」
カトルの変な笑い方の真意はよくわからないが、話が噛み合っていることに、トロワは妙な安堵を覚えた。
「あのねー。トロワ、言ったでしょ。ひとつのパジャマをわけわけするんだよ。ぼくがズボンをはくのに、トロワもこっちをえらんじゃダメじゃないか。トロワはこっち」
ズイッと上着のほうをカトルはトロワに押し付ける。
「カトル……」
「だってぼくのパジャマじゃ、トロワには少し小さいでしょ」
トロワに可愛く小首を傾げて見せた。どうやらカトルなりの気遣いが働いているようだ。ただ、トロワの求める休載処置でも困惑の答えでもない。
「確かに俺がカトルのものを着ようとすれば、上下関係なく、どちらを着ても窮屈だろうな」
そう、ちんちくりんのぴーちぴち。だから心優しい少年カトルは、当然のように分けっこするのに、トロワのパジャマを選択したのである。カトルの行動は実に理にかなっているなとトロワは思う。
「そうでしょ。きついよねぇ。ゆったりのほうがいいよねぇ。――じゃあ、着ていいよ」
さらりとカトルが言うのに、トロワの言葉が続く。
「俺がこちらをか?」
「そうだよ。だってぼくズボンがいいもん!」
カトルは花が綻びるように微笑んだ。
トロワは眼がくらむ思いがした。己が追いやられ行く状況にではなく、カトルの笑みの光のような艶やかさに。トロワはどこまで行っても思考回路が、自分のことより、カトルが中心で回っている少年だった。
だが、想像するだけで……、どうなのだろう……。しかし、カトルは天使の笑みでトロワを見つめている。そして、トロワには迷いはない。たぶん、羞恥心は母親のお腹の中に置いてきた。ちなみにトロワの父親は無愛想だとよく人に言われている。そして父親の遺伝子を受け継いだように、トロワは無表情だと言われる。正しく言えば父親は表情に出すことが少ないだけで、トロワのようになにがあっても顔に出ないという人ではない。愛情は注がれているが、父親の背中を見て育ったせいか少年らしさに欠けるトロワは、担任にご家庭に事情でもと勝手に心配され、尋問をされたこともある。父親にカトルと引き合わせてもらってからは、カトルがトロワの家にお泊りにやってくる、長期休暇がなによりのトロワの楽しみになったし、カトルと出逢ってからは、トロワはバラ色の人生を幼いながらも送っていると思っている。それが決して人にそう見えなくても。カトルバカと言われても、もうなんでもいい。
そんなトロワだ、トロワはカトルに手渡された自分のパジャマにためらいもなく手を通しボタンを全て留めた。カトルは今しがた着ていた衣類を脱ぐと、いそいそとトロワのパジャマを穿いた。それで出来上がったものは、涼やかな顔をした素足を剥き出しにした少年と、真っ白な素肌を惜しげもなくモロ出しにした、ズボン一丁姿の天使だ。
カトルにはトロワのズボンは少し大きいようで、腰のゴムを両手で掴んでずれるのを防いでいるようだ。
「へへへへへ」と、カトルはトロワに向けて満面の笑みを洩らした。カトルの笑顔は微笑ましくて、なんだかトロワの心まで柔らかくなる。子供ながらに愛しき君よとトロワが思ったかは定かではないが、気になったのだろう。
「裾を曲げてやろう」
そう言って片膝をつきかけたトロワにカトルは言った。
「……おもしろい?」
頻りに首をひねっている。楽しみの醍醐味がピンとこないらしい。
「仲良しがするんだよね」
「そうカトルは言っていたな」
「うん」
カトルは大きく元気に頷いた。
確かにトロワの服を着てカトルがはしゃぐ気持ちは大いにある。でも、トロワがトロワのパジャマを着て何が楽しいのか、カトルにはわからないのだ。自分だけが楽しい気がしてならない。楽しいのもトロワと半分こしたいカトルだ。まあ、いろいろ考えられているトロワは自分のことには無頓着なので、カトルの悩みなど知るよしもないが。
『仲良しはそれで楽しいの!』なんて言っていた犯人を思い描き、「デュオの言ってること、わかんない」とカトルはピンクの唇を少し尖らせる。
「眠ると、たのしいのかなぁ?」
「それじゃあ、寝てみるか?」
まだ、夜の七時だけど。
「いっしょのおふとんで、寝る。……手をつないで、寝る」
きっとトロワも楽しくなる。と、願いを込めて。カトルはぎゅっとトロワの手を握った。
「トロワ、たのしい?」
トロワの正面に立つと彼に向かい尋ねた。上向いた碧の瞳が幼さはそのままに、魅惑的にトロワを映す。
「ああ」
それを聞くと、花が綻びるように、カトルは満足気に微笑んだ。
カトルの手から伝わる体温があたたかく、なぜかそれは心まで届くように感じられ、トロワは自然に頷く。カトルと居ること、カトルに触れること、それは安らぎと繋がるのだけれども、祭り太鼓のような心臓の音は、楽しいからに違いないからだろうと頷いたのだ。カトルにしか自分の心は動かせないと、トロワは知ってしまっている。
それでは布団を敷きましょうとなったとき、同時に部屋のドアが開かれた。
こんな時間から寝床の用意をしている子供たち二人に、トロワの父はごく自然に尋ねる。
「何をしているんだ、お前たち?」
「あっ! ヒイロぉぉぉー!」
部屋に入ってきたトロワの父に向かい、カトルは両手を伸ばし、シャカシャカと歩み寄る。手を放すとズボンがずれてしまうからカトルは内腿に力を入れて……。だから、そんな変な擬音がするのだ。だが、カトルの脚は短かった。トロワの父の名を呼びながら、裾を踏み、そのままの勢いでつまづき、ドタッと床にへばりつくことになったのだ。伸ばされた手は父親まであと十センチほどだった。
ズボンの裾を思いきり踏みながら歩き、ころぶとこうなるのか?
――――半ケツだなカトル……。
頬と並んで桃のような部位がはみ出ている。
カトルの言動を一部始終見ていた親子は同時にそう思っていた。口に出さなかったのは優しさに見えたかもしれないが、たんに無口な父子なだけである。カトルは床に伏したまま、優しい親子の視線を浴びているのであった。
トロワはどんなことからも、カトルを守れるような強い男になろうと改めて心から誓いを立て直した。
そしてトロワは、カトルを抱き起すため、傍へと駆け寄った。
† † †
白い腕が伸びて、手探りでベッドのサイドランプの灯りをともした。一番暗く絞った光源の中に二人の人影が見える。しなやかな白はそのままベッドサイドに置いてあるガラスの皿に手を伸ばして、小粒なチョコを一つ摘み上げた。
くすくすと笑い声が聞こえる。白い腕の持ち主、カトルが笑っているのだ。
「……覚えてるよ」
腕枕する彼に向かい返事をする。痩身なだけに見えかねないトロワは、柔軟な筋肉で全身を覆う。服を着ていても見目麗しいが、筋肉の陰影は芸術品のように美しい。
「トロワ、助けてくれないんだもの。あれって減点だね」
そう評価されたトロワは、口許を微かに上げた。今、こうしているのだから、たいした減点ではなかったようだと。
「今度は助けてね」
「カトルは同じようなことを、またするのか?」
苦笑にカトルの口許が歪む。
「しないよ」
言いながら手にしていたチョコをトロワの口許に運び、摘んだ指ごと彼の口に含ませる。
熱い口内でチョコがほんのりと溶けていく。いつもはあんなの涼やかなのに。行為の余韻か、トロワの膚も熱を持ったままだ。こんなトロワはカトルにしか見る機会などないだろう。
チョコをトロワの口内に残してカトルは指を引き抜いた。摘んでいた人差し指と親指はチョコを絡ませている。自然な動作でカトルはチョコと彼の味がする人差し指を舐め上げた。人差し指と親指の味を交互にみるように、カトルは舌を自分の指に這わせる。そのまま甘い指を口に含んだ。
「……おいしい」
おしゃぶりしたままカトルが言う。
「指が、か?」
「チョコが!」と、恥じらうカトルに一発殴られる覚悟をトロワはしていたのだが……。行為の果ての汗を雪肌に滲ませたままのカトルに、上目使いで嫣然と微笑まれてしまった。
この人の前では、どんな花も色褪せてしまう。それは幼い頃から知っている。限り無いカトルの表情を見てきたトロワが誰よりも知っているに違いない。
■FIN■
初出 2005年4月3日「お楽しみ」
に、少しの加筆訂正をしました。