・・・金魚
カトルと一緒に暮らすことは、トロワにとって難しいことではなかった。
そういうものが植物では存在すると古書に記されていた。
『――”ソレ“ハ、スグニ、死ヌ――』
それほどに繊細なのだ。
カトルは愛情で生きるもの。人の毒気で弱ってしまう。愛情の不足も天敵だ。
だからトロワは、カトルをひっそりと部屋に棲まわせている。
悪いものがつかぬよう、大切にしている。
ソファに膝を抱えて座る。そんな姿勢が愛らしく見えるのは、天性の風貌のせいだ。カトルの地球の色をした碧い虹彩は人を惹きつけるもの。
傍にやってきたトロワに気がつき、カトルは眠るようにして項垂れていた顔を上げた。
首を捩じるようにトロワに向けて、その瞳を少し細める。カトルは唇の両端を綺麗に上げた。
ピンク色をしているはずのカトルの唇が、トロワには朱く見えた。
『カトル』
耳元で囁く。
トロワの声は優しく、愛情に満ちている。花に水をやるように愛情を注ぐ。
何故それほど“それ”が一緒に居ることが困難とされていたのか。
書物にもなかった秘密がある。
“それ”には、愛情の注ぎ主を選ぶという性質が隠されていたからだった。
いくら手をかけても、“それ”が望んだ相手でなければ意味がない。しかし、それは誰にも解明されないまま。そうして、
『――”ソレ“ハ、スグニ、死ヌ――』
と、いう事態になっていった。
トロワがカトルと苦も無く暮らしているということは、カトルがトロワに愛されたいと思っているということに他ならない。
君子が溺れる甘露は天使のような清純可憐な人で、そんな天使を溺れさせるのは、やはりその、氷のような美貌の君子。
――――どれ程、カトルがトロワを想っているか――――
カトルは思い描く理想よりも整ったトロワの容姿も、意識まで身震いさせるような甘い声も、深く偽りのない心も、全て、たまらない程、大好きだった。
翠の瞳に見つめられれば、血液がさらさらと流れ、身も心も綺麗になる。
口づければ、呼吸が裡に流れ込む。カトルはトロワの唇を通して、初めて、本当の呼吸が出来ると思っていた。
この水の中でしか生きられない。
カトルはトロワという水の中、トロワという酸素を欲していた。
トロワが“取り去っていく”という行為の愉しみを知ったのは、カトルを抱いてから。
白い肌が布の隙間から垣間見えるだけで、煽情的だ、などと感じるような神経を持ちあ合わせていたとは、トロワも思っても見なかった。
雪肌が粟立つ、桜色に染まる、皮膚が引き攣れる。滲む汗、散っている髪、わななく長い睫毛。つぶさに見ている。
一瞬も逃さぬようにというのは、強欲の極み。
禁欲的なトロワには、なんて不似合いな言葉なのだろう。
触れて、トロワはカトルの全てを見ているというのに、肌を合わせる度に、新しいことを知るような悦びを感じていた。
柔らかなキスに吐息を零して、ほんのり色づくカトルの肌を、下へと辿りゆくトロワの唇。
いつもと同じ、ひどくゆっくりとしたリズムで、片腕だけを残して後は下へと。
胸を悪戯するトロワの腕に、カトルはぎゅっとしがみついた。
少し、トロワの片方の口の端が上がった。
トロワは小さなカトルの胸の突起を無理に抓む。
キュンと強く擦られて、
「……ンッ……」
跳ねた躰。
蠢いたカトルの脚をトロワは手に取り、震え、怯える中心ではなく、柔らかな白い内腿を吸い上げてみる。
「んん……」
大きく細く、カトルの呼吸する音が聞こえる。
眼を閉じていても、カトルの吐息だけで昂ぶるようだ。カトルがこういう声を上げるときの淫猥な映像は、トロワの脳裏に深く焼きついているのだから。
唇を滑らせて、しなやかな脚線に舌先で濡れた線を引く。浮き上がるカトルの細い腰を引き寄せ、愛撫している脚をトロワは肩へとかけた。
――――どれ程、トロワがカトルを想っているか――――
それは、綺麗な微笑みを湛えるカトルを見ればわかる。カトル自身が、トロワの想いの証人だ。
トロワはカトルといると庇護欲を強く感じる。
『閉じ込める』という思考思想は見当たらず、トロワにとってカトルは『門外不出』の人。庇護しようとする心というものは、不思議と独占欲と紙一重の感情で、その二つの動きの境界線は定かではない。
そのようにして、大切にしまわなければならないほどカトルの心は無垢で、人の目には触れさせるわけにはいかないと嘆息するほど、カトルの容姿は魅惑的なものだった。
トロワは水の中に引きずり込まれるように、カトルに溺れてしまう。
特に愛情を求めるカトルは罪深い。
先端から滲む白蜜を全体に塗りつけるよう、トロワは長い指を絡みつかせる。そっと根元から持ち上げるように包み込んで、ゆるゆるとそこを扱いてやるとカトルはすすり泣いた。
上がる甘い声を心地好く聞きながら、熟れたそこを口に含もうとしたとき、髪を引かれ、
「ト……ロワぁ……」
と、カトルに名前を呼ばれた。
カトルは掴んだトロワの髪をクイクイと引く。
差し出してくるカトルの手を取って、トロワは伸び上がり上体を重ねた。
カトルの躰を抱き締めようと、熱を帯びたそこから、トロワが絡ませていた手を離そうとすると。
「やっ……」
小さな拒絶の声が上がった。
「どうして欲しいんだ」
こんなふうにトロワが囁いたとしても、それはただの睦言だ。
強くトロワに抱き締められたいくせに、そこを嬲るのも止めないで欲しい。愛撫に酔うと、カトルの思考は支離滅裂なものになる。トロワがそれを知らないわけがない。
カトルが理解していられることは一つだけ、“トロワと居る”ということだけだ。
それで充分。他に何の必要がある?
そうトロワは不敵に笑うだろう。今もカトルは“トロワ”を求めている。
快感を生むトロワの手を逃すまいと、カトルは彼の手の甲を指先で擦り、小さな手を重ねてくる。
「カトル」
トロワが問いかけるようにカトルを呼ぶ。
返事の代わりに、たどたどしい動きで、強く握ったトロワの手を、今しがた彼が執拗に愛撫していた処へ、カトルは自ら押し付けた。
熱に焼かれる繊細な器官は、手のひらに甘えようとしている。
どちらの意思か、少し動いた。
「ト……ロワ……ッ」
カトルは「クッ」と、息を継ぐ。顔をしかめ片目を閉じる。苦痛と快感で歪む顔は、酷く艶めかしい。
肩を竦めたカトルは、水を泳ぐ魚のように息継ぎをした。
「……ぃゃ……」
腰をトロワの手のひらに擦り寄せた。
眼を閉じて涙を浮かべる、カトルは許しを請うのと同じ顔で、
「ぃやだ……ちゃんと……して」
途切れる声でせがむカトルが望むように、トロワはカトルをやんわりと握り込む。
カトルは大きく息を継ぐ。
トロワは大きく煽られる。
刺激した。
「ぁうッ、……んんっ、ァンッ」
甘い喘ぎ声に乗せて、カトルの肢体が撓む。
ヒッ、という悲鳴は息を短く吐くことで生まれる。そして上下する胸の動きが大きくなるにつれ息を詰まらせ、それでも無理に空気を吸い込むことで、カトルはクン、クン、と鼻を鳴らす。呼吸がままならなくなる程、カトルが感じているという証拠。
骨格を調べるようにカトルの脇腹を撫で上げ、時折掠れる喘ぎ声を心地好いBGMにしながら、トロワは柔肌にぽつんと浮かんだ胸のしこりを目指す。
つんと自己主張している鴇色の突起が視界に入っただけで、トロワの口腔はその味を思い出していた。
唇で挟み込み、感触を味わう。
トロワはカトルの小さな突起を無理に咥え込む。それは、あまりにも膨らみ方が慎ましいせいで、そう見えてしまうのだ。
全体を唇で刺激して、付け根に緩く歯を立てることを繰り返し、トロワはカトルの反応を確認する。
頭上に落ちるカトルの濡れそぼる声は、トロワを煽動するばかり。
カトルの敏感な部分は決まってトロワにとってもお気に入りの場所。
口内で固定した突起の先端を舌先でに躙る。甘みを知覚したトロワは、舌を使って小さなそこを貪欲に弄り出した。
絶え絶えに息を零す唇を避け、トロワは頬に口づける。
「……カトル」
溢れる涙を舐めとって、そっと耳朶を咬む。甘ったるい鳴き声を短く発し、びくびくとカトルは身を震わせる。
トロワの広い背中にカトルの腕が伸ばされた。抱き締めているのか、縋っているのか、判断は出来ない。カトルはトロワの白いシャツ越しに、しなやかな筋肉の隆起を確認している。
カトルの細い腕がトロワの首に縋り付き、
「……キス、して」
そうねだり、トロワを引き寄せた。
皮膚を介して意識に作用を及ぼす。それが愛撫の意味だとすると、粘膜に直接触れる口づけは、やはり意味深い。
トロワがカトルとのキスを特別視し、その柔らかなそこを、求めてやまないのは、感触の心地好さに加えて、カトルが殊更初々しい表情を覗かせるせいだ。蠱惑的なうっとりとした表情を浮かべるときも、無垢なまま、擦れた匂いはしなかった。
……そうだ、誘うときも、カトルはトロワの深部を刺激する仕種をすると、忘れてはいけなかった。
清らかさはそのままで……。
潤んだ碧い瞳がトロワの意識を捕まえる。
視線を合わせ、鼻先が触れる距離で眼を閉じる。お互いの吐息が唇をくすぐった。
口づける瞬間が迫っただけで、カトルはため息をつく。鼓動が速まるせいだろう。
薄く開いたカトルの唇を奪うと、逃げるようにひらひら動く、柔らかな朱い舌を追いかけて、トロワは自らの舌を絡ませた。
――――酸素。
と、数度、カトルの心が微かに呟く。
『愛している』
その言葉は酸素を送るポンプみたいだ。
トロワの愛情でカトルの全ては機能している。
重ねている唇からだけでなく、トロワはカトルの裡に、直接想いを伝える術を持っている。深く、はっきりとした量感で、より繊細な粘膜に。トロワが、くる――――
「……トロワ、大好き」
カトルは、大きく息を吸い込んだ。
■FIN■
初出 2002年8月25日
それに、すこーしの加筆訂正をしました。