『eye』 カトルがそのことに気がついたのは最近になってやっとだった。
五飛はカトルがある程度まで近づくと、一瞬、凄い目で睨みつけてくるのだ。
そのキツイ視線に屈せずに話しかけると、別に怒っている風でもなく、それがカトルを余計に困惑させた。
「五飛、僕になにか言いたいことでもあるのかな?」
「なにを言っているんだ?」
わけがわからない。という具合の五飛の態度から、わざとではないのかもしれないと思うのだが。そう思ったところで、不明のキツイ視線をなかったとこにまではできなかった。
それに他にも気になることがある。五飛はカトルが近づくと読書をやめてしまう。
気が散るのだろうか。
武の部分ばかりが際立つように思われている五飛だが、本を読むのも嫌いではない。こう見えて文武両道のインテリだったりした。
読書のときだけは眼鏡をかける五飛の姿も、カトルはなかなかに好きなのである。
でも、読書中の彼に近づくと、慌てたように読書タイムを中断してしまうのだ。
「別に、横に座りたいだけで、邪魔はしないよぉー」
イチャイチャするようなことは苦手だろうことは付き合う前からわかっていた。よく、告白をしてくれたものだとカトルも思う。近づくだけで必死という感じで、それほどに五飛はシャイな男であった。
それだけシャイな五飛が軽い気持ちで恋人を選ぶわけはないのだ。カトルにもそれがわかっていたから、嫌われているからの不審な行動ではないのだろうと思う。だけど、それはどこから来るものなのか。気にならないというものではないのだ。
読書中の五飛に近づくと、やはり今も読書を中断してしまった。
カトルは五飛の横に腰掛けながら、ぼやく。
「あのね、そのまま、読書をしてくれてていいんだけど。ちょっと、横に座るだけでも、落ち着く気持ちがするとかっていう、幸せを噛み締めるような発想はわかってくれないのかなぁ?」
カトルは恋人といると気が緩み、その感覚がとても心地よいと思うのであるが、五飛は最愛のカトルといるとドキドキするのだ。これもカトルと同じ幸せからの反応なのだが。
半年以上も付き合っているから、最初のころほど挙動不審になることはなくなったが、根本的にはドキドキしてしかたないというのが五飛の本音だった。
五飛は極度の遠視である。眼鏡をとると本の文字などはぼやけてしまって見えない。それを補う眼鏡をかけて読書するのであるが、その眼鏡にも欠点があった。もっとも、それを欠点だと思っているのは五飛だけなのであるが、読書中は近づいてくるカトルの姿がよく見えすぎて困るのだ。
近づいてもくっきりしたままの像を結ぶカトルの姿を直視していられない。あんな綺麗な顔が近くにあるというのは照れる意外にできない。抜けるように白くつるすべの肌質に大きな純真な瞳、どんな宝石もかなわないと思う輝きを放っている。それが、くっきりしたまま自分を凝視する姿をみるのは、五飛には刺激が強すぎた。
こういうと変かもしれないが、カトルほど綺麗な容姿の持ち主を見るには、自分の酷い遠視の目でぼやぼやとして見て、調度いいと思っているのだ。真っ直ぐに凝視しているような顔をして、五飛にはすり硝子越しでみたようにしか見えていないのだ。それが適当だと思っている。
今までずっと、カトルから不満を言われたことがなかったために、カトルがこのカトルが傍に来ると眼鏡を外すことに違和感を感じているとは思っていなかった。うまくカモフラージュできていると思っていたのに。不器用なくせにそんな根拠のない自信があった五飛だった。
ちなみに遠くから近づいてくるカトルに気がつくと睨み付けると思われているのは、ぼやけるラインくらいまで近づくと、カトルの姿をはっきり見ようと無意識で五飛が目を眇めてしまうだけのことだ。
近づくと見ていられないくせに、見えるか見えないかのギリギリのラインにいる間はその姿をしっかり見たいと、勝手なことを五飛は思っていたのだ。恋する男は複雑なのだ。いや、恋する五飛は複雑なのだ。
カトルが机に置いた五飛の眼鏡を手にとった。
「レンズには触らないから……」
そんな断りをいれるのは自分を神経質だと思っているせいではなく、カトルの慎み深い性格のせいだと五飛は思った。
五飛の眼鏡を覗き込んで、本の表紙に近づけると、カトルは驚いた声を出した。
「五飛、これって、老眼鏡なの? 近視じゃなかったんだ。知らなかった」
「俺は遠視だ。なにをしている」
「いや、だって、遠視ってことは近くのものが見えにくいんでしょ」
「まあな。だが、闘う上では支障はない。心眼を……」
「闘うときはいいかもしれないけど、裸眼のとき僕の顔って見えてるの?」
「……」
一瞬、「ぐぐッ」と唸りかけた。ソファーに並んで座っている状態では、カトルの顔がぼやけてくっきりとは見えていないと、バレルかもしれない。
まさか、お前の姿は恥ずかしくない程度にぼやけている! とは、胸をはっては言えない。
カトルはたんにどのくらいの距離まで見えているのかと、無邪気な好奇心で質問をしているだけなのだが、五飛は痛いところを突かれたと思った。
カトルのこの好奇心の強さも五飛は可愛いものだと思っていたが、今回に限っては厄介なことが起きたと思った。その強い好奇心は他のものに向けてくれていればいいのだ。
「眼鏡なしでも、見えてるの? どのくらいの位置で見えにくくなるの?」
真横でひらひらひらと、カトルが五飛に手を振る。
「こ、困らない程度に見えているから、いいんだ」
ぼやけた像のカトルが唇を尖らせたのがわかった。
「この机に置いた本のタイトルの字は見えてるの?」
「いや」
「じゃあ、僕の顔は?」
「……」
「あの、見えてないの?」
「な、なぜ、こだわる」
「こだわってるわけじゃないけど、興味があるんだもの」
横に座るカトルが五飛の目の前へと身を乗り出した。
この至近距離攻撃ははっきり見えなくとも、ド迫力の美麗画のような映像のアップは十分に五飛の胸を高鳴らせた。五飛の眉間の皺は深くなる。五飛も無意識のうちに目が勝手に焦点を合わせようと目を眇めているのだろう。
どんな美術品もぼやぼやぼやけていてもかまわないが、カトルの姿は本心でははっきりと見たいのだ。でも、はっきりと見るとその圧巻の美貌は五飛を大照れから赤面させるという強敵だった。
「つまらないことに興味を持つな」
「つまらない程度のことなら、教えてくれればいいじゃないか」
「……」
「ねえ、眼鏡をかけているのと、かけないの、どっちが、良く見えてるの?」
カトルが興味深そうに五飛の眼鏡を覗き込む。そして、硬直する五飛にカトルが眼鏡をそっとかけさせた。
「ねえ、どっち?」
ほとんど初めて見るに近い、クリアすぎる、どアップのカトルの美貌に五飛は立ち上がりかけた。
「うぉーわーッ!!」
「うあーーッ!?」
声にびっくりしたのはカトルだ。
「ど、どうして、おっきな声をだすの!?」
驚いた後、五飛の動揺にカトルは笑い出してしまった。
「カトル、お前は好奇心が強すぎる」
「だって……君のことだもの、ちっちゃな事だって知りたいと思うよ」
「お、お前は……」
甘え上手だな。と声には出さなかった。そんなカトルも好きなのであるから。
「睨みつけてくる理由だって本当は知りたいと思っているよ」
「睨みつける?」
「うん。よく」
「俺がか?」
「そう、五飛がだよ。もしかして無自覚?」
深々と溜め息をついて、眼鏡をかけたままの五飛は腕を組んで俯いた。いつ、そんなことをしたのか考え込んでいるのだ。理由は考えればすぐにわかった。ああ、カトルの姿を確認しているのだと。
「あー。僕、怒られてるとか、嫌われてるからだとは思ってないから、安心して」
くすくすとカトルは笑いながら、五飛を見つめる。
五飛に悪気がないことを重々承知しているカトルだ。
「ね、怒ってないよね?」
「ああ」
「それに、嫌いじゃないよね」
「ああ」
「好き?」
「ああ」
アガガーーと五飛が顎を落としそうになった。
「カ、カトル、お、お前は、どさくさにまぎれてなにを言わせるんだ!!」
本心を聞き出されただけのことだ。
「言ってないじゃないか」
「言ったも同然だ」
「好きだって五飛は言ってないよ」
「いや、お前を好きだと言ったと、同然……」
本当に「好き」だと言ったと気がついた五飛の慌てようにカトルは笑いが止まらないでいる。
天使なのか小悪魔なのかわからない。
「なぜ、お前を睨み付けるのかも、どちらが見えているのかも、決して教えてやらんからな!」
「あ、ずるいよー!!」
ぷーっと膨れたカトルの肩を抱き寄せて、五飛はその柔らかなマシュマロみたいな頬にキスをした。
「わッ!?」
五飛の突然の行動に驚いたカトルは固まってしまった。
「口ではお前にはかなわん」
女みたいに口の回るヤツだとは言わなかった。カトルはこの「女みたい」と言うような言葉に過剰反応を起こす傾向があるからだ。そのくらいは五飛もいい加減覚えてきた。
赤面しそうになるのを五飛がそれを抑えているように見えるのは、カトルが完璧に顔を真っ赤にさせているからだ。
五飛にもわかった。どアップで見るカトル容姿は照れを生むものでしかないと思っていたが、眼鏡をかけていても、キスをするときは目を閉じればいいのである。
幸せを感じるポジションまでは目を開いて、我慢できなくなったら、目を閉じてしまえばいいのだ。
裸眼じゃなくても、カトルにキスすることが出来ると五飛は知って、カトルが質問責めにしてきたことも発見のためになったと、カトルに感謝する気持ちになった。
捨て身の攻撃が功を奏したのだ。呵呵とした豪快な笑い声を上げそうな衝動にかられる。
下を向いて紅潮しているカトルの肩をグイッと力強く自分のほうに抱き寄せた。
自分よりもはるかに、清純な空気を纏って真っ赤に染まった顔でひたすら照れているカトルを見ながら、この問答の勝者は自分だと五飛は思っていた。
■FIN■
2013年10月20日 書き下ろし