意識を取り戻したヒイロ・ユイとトロワ・バートンは行動を共にし、あれ程までにデュオやカトルが歩み寄ろうとしていたにも関わらず、無愛想の一手を決め込んでいた奴等とは思えない程、二人はあからさまな馴染みを見せていた。
ないがしろにされていたデュオとカトルは、不気味なほど気の合うところを見せ付けている二人とは別に、ウィナー家の支援者である人物の所有する別荘に潜伏していた。
潜伏?
湿気た路地裏などに隠れるように身を潜め、夜になるのを待ち、その闇に紛れて移動する。
そんな、お約束な煤汚れたものは一片も無く、二人はプールにおやつ付きの別荘で、のんびり時を過ごしていた。
「何分、人目を避ける為の別荘ですから、いろいろと不便なこともあるでしょうが……」
カトルはここを訪れたとき、デュオにこのような断りを入れていた。
デュオは屋根があるところで休めるというだけで十分に満足していた。後は少々雨漏りがしようが、透き間風が吹いてこようが構わないと思っていた。食事のために薪割りからする程度のことは「食えるだけで幸せ屁でもねぇ」と、思っているデュオである。
ところが提供されたのは、手入れの行き届いた屋敷に、笑顔と共に出される三度の食事。ふかふかとしたベッドは寝違えてしまったほど、心地の良いものだった。
なにがどうカトルの言うところの『不便』があるのか、デュオにはさっぱりわからなかった。
カトルがデュオを気遣い述べただけのことなのか。はたまた、カトル自身は本当に不便を感じているのか。
そこら辺がコロニーでも有数の富豪の令息であるカトルのことだ、デュオでは到底想像の出来ない次元にいた。
白い木製のチェアーに腰掛け、紅茶の注がれたカップを上品に口許に運ぶカトルを見つめながら、デュオはふと思った。
――宇宙レベルの『お坊ちゃま』は実は何かに耐えているのか?――
たとえば、今、口に当たるカップが人間国宝(ウィナー家からして、たかが国家レベルで済むのだろうか)の焼き上げた、物ではないがために、口唇への当たりが悪く感じてはいるが、潜伏中の身の上ではワガママは言ってはいられないと、辛いその胸の内を誰に告げることなく押し黙っているのかもしれない。
そうなると椅子だってそうだ。実は尻当たりが悪く、苦痛を感じているのかもしれない。
『尻当たり』なんて言葉はあるのか? と、一瞬、気が逸れたデュオだったが、眼をとめたカトルの仕種に、即、妄想の世界へと引きずり戻されてしまった。
少し熱かったのか、スプーンの背で紅茶の表面を撫で、温度を冷ましているカトルの姿が、あどけなく堪らなく愛らしく思えた。
そして、こんな天使のような容貌の中に、あんなこんな辛い思いを抱えているのだ。(あくまでもデュオ予想)
それを、おくびにも出さずに……。
〈嗚呼、なっんて可愛い奴なんだ、お前って奴は、カトルぅ〉
デュオはおっさん心を刺激されまくりである。全てに『健気にも笑顔を絶やさずに耐え忍んでいるカトル』と言う、なんともいじらしいカトル像に、デュオの思いはフル回転していた。カトルのクッションになりたいと思う親父の権化デュオである。スケベ心は忘れての発想だったが、それに気がついたときに、さらに思いは拍車をかけて盛り上がることは言うまでもない。
ちなみにデュオは、優雅すぎて肩が凝りそうな場違いな空気に耐えてはいたのだが……。
カトルが笑い掛けてくれるからこそ、デュオは招かれざる客ではないのだと安心させられ、寝違いも肩凝りも、すっかり完治してきていた。
ノリにノッてるデュオ・マックスウェルは快調に妄想という名の航海を満喫していた。今ならば、どんな強引かつ無理矢理な夢(ドリーム)という名の荒波だって楽々クリアー、乗りこなせる。向かうところ敵なしといったところであった。
カトルがカップをテーブルに置いて一息つくと、なんとも遣る瀬無い表情で空を睨み付けるデュオの姿があった。
そんな、無言で複雑な――わかりやすく言えば、不気味な――表情を張り付かせるデュオを見てカトルは彼の中にあるであろう、心労の大きさに胸を痛めていた。
〈どうしたんだろう。デュオったら、さっきから黙り込んだまんまで……〉
カトルはおずおずと名前を読んで微笑みかけると、面を上げたデュオを無言で労るように見つめた。
そして、今まで気づかなかった視界の端に入ったものが、デュオの心労の原因ではないのかと瞬時に理解したのだ。
〈も、もしかして、僕のケーキのほうが、ほんのちょっぴりデュオのものより大きかったんだ! それともイチゴがっ……〉
自分の配慮の足りなさのために、デュオに嫌な思いをさせてしまったと思ったカトルは、驚愕に青ざめながら言った。
「デュオ。ケーキはまだありますから、機嫌直してくださいね。よかったら僕が持ってきますよ」
無理に微笑もうとするカトルの姿に、デュオはチクリと胸が痛んだ。らしくなく黙り込んでしまったばかりに、カトルに気を遣わせるような勘違いをさせてしまったらしい。
〈カトルのヤツ、オレが気にしてると思って……〉
「大丈夫だよカトル。それにきっとアイツは生きてる」
デュオはカトルを安心させようと、ニッと笑った。
ヒイロのことでデュオが落ち込むという発想が、今は完全にカトルから欠落していた。
一気に話しが飛んだことへ眼を白黒させながらも、カトルはどうやらもう、ケーキの件は許してもらえたのだと、心から安堵した微笑をつくり、新しい話題への返答をした。
「……はい、彼は生きています。それにトロワも……」
どこまでも食い違い続け二人なのだが、互いに好印象同士なので、誰かが咎める必要さへ無かった。
思い違いから、やっと二人の会話に上ったヒイロとトロワ。だからと言って、カトルの二人に対する思いが、ぞんざいなわけではない。……そうであると信じたい。
「トロワは優しい人だから、きっとヒイロのことも……」
デュオは前々からカトルがほこほこと嬉しそうに話す『トロワ』という、男のことが気になっていた。その男のことを話すカトルは、決まって少し遠くに行ってしまう。うっとりというか、どっぷりというか。これほどカトルが心酔しているほどだ、並大抵な奴ではないはずだ。
トロワという人間は常に溢れるような自愛に満ちた笑顔を絶やさず、カトルが暑いと言えば、自分の着ているタートルネックを脱ぎ、それで風をおこし、寒いといえば、その上着をかけてやる。さらに寒いと眉を寄せれば、そっと後ろから抱き締め、さらにさらに寒いと震えていれば、惜し気もなく最後の砦のズボンさえも脱ぎさりカトルに羽織らせてやる……。
ああ、なんと心温まる、おぞましい優しさなのだろうか。
〈すげえ、男だなぁ……〉
デュオは苦々しげにではあるが、負けを認めた。確かにすごい。凄まじい。これほどの男はいないであろう。ただし真実であればだが。未確認情報のため断定は出来ないが、カトルの信頼を一心に浴びる『トロワ』である。これくらいの捨て身の優しさを持っていると推測しておく必要があるだろう。(どこまでも、デュオ予想)
聞いてしまうと立ち直れなくなるかもしれないと怯えつつも、デュオは尋ねずにはいられなかった。
「一体、トロワって野郎はどんなヤツなんだ?」
デュオの言葉にきょとんとした顔をカトルは作った。何を今更、とでも、カトルは思ったのだろうか。
「そうですね。彼はとても……優しい人でしたよ」
微かに赤らむ頬と、その間は一体なんなのか。どうしていつも具体例は提示されないのだろうか。
カトルの意味深な反応にデュオは益々、混乱を深くした。
その時の光景を思い出しているのか、幸せそうにカトルは語る。
「操縦席(コクピット)から飛び出した僕に、彼は攻撃を仕掛けませんでした。僕を殺せる絶好の機会だったのに」
そりゃ確かに、トロワが攻撃していればカトルは死んでいたが。あのマグアナック隊四十機を前に、そんな命知らずなことをやってのける奴がいたら、御目に掛かりたいものである。
カトルをプチッと一握り、もしくはパーンと一撃ちすると同時に、周りを取り囲んでいたマグアナック隊の一斉放火を浴び、言わずもがな、そこが人生の終焉の地となるのだ。墓さえたててもらえるはずもなく、コルシカ基地にはガンダムパイロット一人の墓標と、それを囲むように追い腹を斬った四十人の漢達の墓が鎮座する土地となっていたことであろう。
トロワはどこまでも感じの悪い態度をとり続けていたにもかかわらず、最初の出逢いで自分(カトル)を殺さなかったというだけで(あの場合は殺せるほうがどうかしている)優しい優しいと連呼される位置を確保し、デュオはこんなにも友好的に接しているのに『楽しい愉快なデュオ』でしかないのか。不条理を感じずにはいられないデュオであった。
はっきりと言ってしまえば、すり込みだろうがァッ! と、カトルに詰め寄りたい衝動に駆られたデュオであったが、変に刺激して「どうしてそんな意地悪なこというの? ひどいよ、デュオッ!」なんてことになっては大変だ。気持ちを押さえつけてデュオは話を促すのだが、カトルの口から出てくる内容といえば、到底『優しい』とは無縁のものであった。
まともに会話も交わしてもらえず、名前さえ強引に聞き出したようだ。総合すると、トロワという男は終始一貫して非友好的な態度を敢行していたらしい。
確かにトロワは五飛を拾いヒイロを拾い、二度にわたるテイクアウトの経歴を持つ、実は良い奴なのかもしれないが、肝心のカトル自身は、トロワに優しくされたことなど皆無だった。逆の仕打ちなら両手に余るほど受けていた。
それなのになにを根拠にカトルは、トロワを優しいなどと思い込んでいるのか。カトルは奇天烈な人間との出逢いと二重奏をいたく気に入っていた。トロワの妖術かもしれない……。
試しにカトルも「落ちて」みていればいいのである。拾ってもらえるかもしれない。カトルの言う『優しい』が、初めて証明されるかもしれないのだ。実践者の二人はヘビーアームズで拾われたが、カトルにも生身で落ちてみて欲しいものだ。まさかカトルのことは、ヒイロのように無造作にガンダムでは拾うまい。……と、信じたい。
カトルは獣と同じ扱いを受けた二人の情報を聞いて、ひがみもせずに素直に「やっぱりトロワって優しいんだね(ハートマーク)」と、はにかむような笑顔を見せたら、デュオは堪らなかっただろう。後日、まさにその光景はデュオの目の前で展開され、たまらない気持ちになるのであるが、今は知らぬことである。
後に行動を共にした奇数組みの、あの群がることが嫌いな一匹狼タイプ『俺は俺の道を行く! 俺に構うなッ! 干渉するなッ!』な、問題のある人間共が、カトルを励ますためとなると揃って、その口からは、『俺達(俺とカトル)』俺達、俺達と複数形(あくまで俺とカトル)を連呼していた。そんな、不思議な魅力を持つカトルである。人の良いデュオからすると、そんな思いも並ではなく「騙されてるぞ、カトルッッッッ!」と、涙が込み上げる思いがした。
「はやく、みんな揃ってお茶が出来るといいですね」
その愉しい、実に愉しいティータイムを想像してカトルは無邪気に微笑を洩らす。
デュオの知るヒイロと言う人間と、カトルの語るトロワ、それにもう一人の少年。どこをどう想像してみても、デュオにはカトルの笑顔と結びつくような和やかな空間が生まれるとは思えなかった。
それでも、カトルの笑顔を護るため、
「……ああ、そ、そうなるといいけど、な……」
左の唇の端だけをぴくぴくと痙攣させながら、デュオはカトルになんとか応えた。
あまりの不憫さに、この夜デュオは一人、次にあったときにはヒイロと五飛は一発ずつ、トロワにいたっては三十発は殴ってやろうと自分に誓い、カトルのためにも、すり込み解除作戦をねろうと決心した。
ただし、その二つのことが決行されたかは謎である……。
【宇宙の心に学ぶ 平和的友好関係の結び方】
初出 1997年発行の「リーブミー」