『おたわむれ』 どうしてカトルの後見人はあのトレーズなのだろう。
これはいつも頭から離れないことだ。
今もカトルに誘われた部屋に入ったら、当然の顔をしたヤツも居た。
「集まってくれて、ありがとう」
「御足労、礼を言うよ」
瞬時に「カトルのために来たのであって、キサマのためではない!」と思った。
叫び声を上げずにいられたのは、これが慣れたことだからだ。
慣れたはずだが、疲れないと言うことにはならない。
周りに目をやれば同じようにげんなりした顔の二人がいた。
いささか様子が違うのは、若干の元顔のせいである。
げんなりしつつ不機嫌をあらわにしたヒイロと、同じくげんなりしつつも無表情のトロワだ。そして、これに今加わったのは、げんなりした怒り顔のウーフェイだった。
げんなりした恐ろしい顔のヤギ三人は等しくカトルに呼び出されたのだった。
「おねがい」「おねがい」と可愛らしく懇願するカトルにほだされて、出向いてみれば親玉がいる部屋に行き当たった。
救いはにこにこ笑っているカトルもこの部屋にいることだ。
「なんの用だ?」
あくまでカトルだけを視界に収めての問いだ。
部屋に入ると、トレーズに手招きされたカトルは当然のように、その傍らに向かった。
奥の椅子に座っているトレーズの傍に小走りで近づいたカトルの頭を撫でる。
なにかカトルが良いことをしたわけではなくとも、そういうことをするのが常のトレーズだった。
言ってしまえば、カトルが生きているだけで、それが良いことなのだろう。
そう思えば、無意味に見える撫で撫でも、カトルへのねぎらいに映る。
いつもそうだ。このシチュエーションに、三人はイライラさせられているのだ。
トレーズは無闇にカトルに触れすぎるのだ。
これが、カトルを特別視しているヤギ三人からして、面白いことであるわけがない。
カトルは親子の情を交わすように、無抵抗にされるがままになっている。
「くすくす」と笑い声を零しそうな心地よさげな表情すら浮かべている姿は、ヤギを嫌な方向に刺激していた。
トレーズとカトルが一緒にいるところを見ていると、脳みそが沸騰しそうだった。
長年のことなので、いい加減慣れればいいと思うかもしれないが、カトルの年齢が上がるにつけ、かえって目につくようになった。
普通は親子でも年齢が上がれば、撫で撫では減るのではないか。
しかし、トレーズは幼少期のカトルと接していた時と変わらず、カトルを撫で回している。
風格ある美丈夫と、目のくらむような美しい少年が、そんな構図をいつまでも描いていていいわけがないと、怒りを覚えるヤギになんの問題があろう。
「だから、何の用だ!」
「ひゃっ!?」
カトルがウーフェイの声にびくりと肩をすくめた。
カトルは大声や大きな音が苦手なのだ。
「大丈夫だカトル。彼は別に怒っているわけじゃない。ああいう物言いしかできないだけなんだよ。シャイなくせに地声は大きくて困るね」
「うるさい! キサマにとやかく言われる筋合いはない! 俺はカトルと話しているんだっ!」
「ウーフェイ、怒らないで。ちゃんと話しますから」
「怒ってない」
「そうだカトル、こいつは怒っているんじゃなく、イライラしているだけだ」
トロワの言葉はフォローにしてはピントが外れていた。
「用があるという話だっただろ」
ヒイロは進まない会話を前進させようとする。
仏頂面で似た者同士だと思われがちなヤギの三人だが、共通点があるとすれば、マイペースなところだけだ。他にかまわず、なんでも自分のペースで進めようとする。協調性のなさは天下一品だった。
「そうなんです! あの、制服を見てもらおうと思って!」
カトルは力強い握り拳を作る。
瞳にはキラキラのお星様だ。
もう少ししたら、カトルは〈ひつじ〉としての初仕事に赴くことになっていた。四歳の子供のもとに行くのだ。
その初仕事が決まったと同時に、古式ゆかしい〈ひつじ〉の制服を新調したということだった。
本番前に仲良しのヤギたちにも、その、制服姿を見てもらいたいと言うことなのだ。
「初めて袖を通すんだけど。似合うかどうか、ドキドキしているんだ」
「心配はいらない。実に〈ひつじ〉らしい制服になっているから、カトルにきっと似合うだろう」
ヤギに向かって力んでいるカトルの頭を後ろからトレーズは優しく撫でている。
「まず、はじめに、君たちに見てもらいたくって」
「光栄なことだ」
「カトルは俺たちと今は話しているんだろ! キサマがいちいち口をはさむなッ!」
キッとトレーズを睨みつけるウーフェイの横で、ヒイロは「チッ!」と、口で声を発したような、わかりやすい舌打ちをしていた。
忌々しいと思っているのはヒイロも同じなのだ。
トロワのトレーズを見つめる瞳も、奥深い不快感の塊を内包したような言いようのない暗い眼をしている。
これだけの人を目だけで殺せる強面の三人の悪意ある視線を受けていても、ものともしないトレーズの神経は特殊なチタン合金で出来ているに違いない。身の危険を感じていないのか、余裕ある態度でカトルに接し、恐ろしいくらいにヤギたちの神経を逆撫でしていた。
「着替えてくるので、待っていてください」
「なにか手伝いをしようか、カトル」
「大丈夫、心配しないでトロワ。ちゃんとひとりで着替えられますから」
着替えの手伝いを買って出ようとしたトロワに、邪な思いがないわけがなかったが、クールな仮面にすべての下心は隠されてしまっていた。
ただし、その下心に気づかないのは、ここではカトル本人のみなのは言うまでもない。
「君たちはカトルついて一緒に行くわけではないんだよ。今のうちから自分一人で着替えをできるように努力するのはいいことだ。静かにカトルのすることを見守っていたまえ」
もっともな意見にぐうの音も出ないのだが、上から目線で言われる言葉は、しゃくにさわること甚だしかった。
「それでは、支度してきます!」
意気揚々とカトルは隣室に消え、会話の成立しない四人が一つの部屋に取り残された。
しかし、いつまでたってもカトルが部屋から出てこない。
「遅すぎるだろ」
「さすがにおかしいな」
五飛とトロワが目配せをすると同時に、隣の部屋から、
「ヒイロぉー、ヒイロぉー、ちょっと、来てください。おねがい、ヒイロぉーっ」
と、ヒイロの名前をカトルが連呼してきた。
「ん?」
いつも鋭い眼光がさらに凄みを増し、光を放つように閉ざされたドアを見た。
『俺の出番か!!』ヒイロがこう思ったのは当然だ。
カトル直々のご指名に、いつもの仏頂面とは違う色が添えられていた。
それを、期待で高鳴る胸の鼓動に押されるヒイロの『喜』の表情だと読み解けるものは数少ない。
カトルはヤギ三人に等しく気を許しているが、なにか頼みごとがあると、簡単に真っ先にヒイロに声をかける癖があった。
普通の人間からして話しかけるだけでも恐怖の対象のようなヒイロに、カトルは昔から相当気安く接している。人から見て命知らずにみえるカトルであった。
当然のように隣室のドアに近づこうとしたヒイロにトレーズは静止の声をかけた。
「待ちたまえ。たんに着替えに苦戦しているだけだろう。私が様子を見るとしよう」
「呼ばれたのは俺だ」
「そうだったかね」
うっすら笑みを浮かべ、トレーズはドアを隔てたカトルに声をかけた。
「私が様子を見てあげよう。それでもかまわないね」
「か、かまいません」
どなたでも結構です。というセリフが語尾についている気がした。
「では、失礼」
ヒイロが異議を申し立てる隙も与えずに、するりとトレーズは隣室に入って行ってしまった。
「ちぃッ!!」
ヒイロがまたわかりやすい舌打ちをした。
眉間の皺がいつに増しても深くなっている。
ここまでわかりやすい不機嫌顔はないだろう。
ヒイロは仏頂面で感情がわかりにくいと思われがちなのだが、その実、リッターが振り切れると、どんと感情が顔にでる、わかりやすい男だった。
ヒイロが頭から湯気をだしそうにしていると、トレーズがカトルを伴って部屋から出てきた。
「カトル」
視線はトレーズの存在を無視してカトルに注がれる。
「どうですか?」
「へへ」とはにかみながら現れたカトルの姿は、着ぐるみの頭部だけをかぶり忘れたような全身もっふもふの出で立ちだった。
カシカシカシとカトルは照れ臭そうに自分のツノを掻いた。
ピンクに染まる頬は本当に可愛らしいのだが。
三人は本で見たことがある〈ひつじ〉の恰好そのままだと思った。
各本に記されていた制服は本当だったのだ。
「カトル、なぜ、俺を呼んだんだ」
「背中のファスナーがあげられなくって……。今はトレーズ様に手伝っていただきましたけど、自分一人で着られるように練習をするようにします!」
やはり、おいしいところをトレーズに奪われたのだ。
ヒイロはギリギリと奥歯を噛んだ。
そんなヒイロの様子をトレーズは面白そうにチラリと横目で見た。
「どうだね、君たち。カトルのこの堂々たる制服姿は。実に威厳ある〈ひつじ〉らしいと思わないかね」
どこに威厳があるのだろう。
「さすが、古式ゆかしい制服だけのことがあって、〈ひつじ〉らしさ満載だな。カトル、見事な着こなしだ」
すかさず、褒めたたえたのは、愛ゆえに盲目のトロワだ。
「そおう? おかしくない? 似合ってますか?」
「ああ、とてもよく似合っている。過去の〈ひつじ〉たちの中でも、これほど見事な着こなしをしたものはきっといないだろう」
「そう言ってもらえると嬉しいよ!」
「カトルが身に着けるためにデザインされたような違和感のなさには、ただただ感心するばかりだ」
「そうですかー!!」
「カトルが着ることによって、この制服にも魂が吹き込まれるんだろう」
「いい加減にしろッ!」
聞いているこっちが恥かしくなると、我慢の限界に来たウーフェイはするどい口調でトロワに突っ込んだ。
放っておくといくらでもカトルを賛美しだすのだこいつは。
いつも極端に無口なくせに、こういうことを言う時だけ、口が良く回る。
普段、こういうときのために口数を節制しているのだろうかとさえ思わせた。
カトルに向けてしか、しゃべることに重きを置かないトロワの姿勢には徹底したものがある。
そんなことを口走りながら、徐々にカトルに近づいて行っていたトロワから、あっさりとカトルを引き離したのはトレーズだった。
後ろから抱き上げて椅子にいる自分の膝の上へとカトルを座らせた。
人間大のぬいぐるみを抱くようにトレーズはカトルに腕を回す。
ちょこんと大人しく膝の上に座るカトルのおなかの前で手を組んで、カッカとしっぱなしのヤギたちに向かって微笑んだ。
「夏服があるんだが、それは、また今度お披露目するとしよう。君たちには少々刺激が強すぎるのでね」
その夏服というものも読書家のヤギたちは本で見たことがあった。
ノースリーブにショートパンツにプラスしてヘソだしなのだ。
まさか、あんなトチ狂った姿を本当にカトルはするのだろうかと思ったが、制服といわれればカトルは深く考えずに着てしまうだろう。普通の恰好でそんな露出はしないだろうが、カトルはとても〈ひつじ〉というものに誇りを持っている。ゆえに、それが〈ひつじ〉の夏服だと言われれば、納得してしまう。羞恥を上回る誇りである。
「さあさあカトル。今からそのときのシミュレーションをするとしようか」
「着るのですか?」
「そう、私が見てあげよう。そろそろ三人には退出願うとしようか」
ヒイロはもっふもふの冬服の感想すらまともに言っていないと気が付いた。
べらべら賛美したのはずば抜けてマイペースに盲目のトロワだけだ。
そもそも、制服姿の感想を聞くために集められたはずであったが。トレーズからすれば、それも、どうでもいいことだったのだ。
こうして、カトルにベタベタしているところを見せ付けて、こちらをイライラさせるだけがトレーズは目的なのだ。
「なんの余興だ……」
遊ばれている。
完全にトレーズに遊ばれている。
気が付いた時には本当に退出させられていた。
物音ひとつ漏れ聞こえてこない防音の行き届いたドアを隔てて、ヤギ三人は脳みそを本当に沸騰させていた。
「ただではすまさんぞッ!」
ウーフェイの怒号だけが、空しく廊下に響き渡る。
ヤギたちはカトルに特別な想いを抱く限り、これからもトレーズにオモチャにされるのだろう。
計り知れない男の加護を受けるカトルを愛する男たちは、それを甘んじて受けるしかないのか。
いつか、トレーズにほえ面をかかせてやりたいと思うヤギたちは、生まれてから初めて他人と協力してでもその願いを叶えたいと思った。
しかし、相手は一筋縄ではいかないトレーズ。
なにが悲しいのかというと、そんなトレーズにカトルが懐いていることだろう。
ヤギがその場を立ち去ると、ドアの横の壁には三つの拳大のへこみができていた。パラパラと落ちる壁だったものの欠片が。
本当はトレーズを殴りとばしたい、奥歯を噛みしめたヤギ三人はそれぞれの場所に帰って行った。
協力してでもと思っているはずが、やはりバラバラな三人だ。本当に力を合わせた時には、一矢報いることができるのだろうか。
それは、メルヘンの国の神のみぞ知るところだろう。
■FIN■
2013年11月23日 描き下ろし