〔PHOSPHOPHYLLITE 1〕 Trowa×Quatre
【 端 緒 ~たんしょ~ 】
仄かにグレー味を帯びた白い一軒家。シンプルな造りで特別奇をてらった構造ではないのだが、通常よりも高い位置にある一階部分に、その扉まで伸びた階段、踊り場の上には庇がかかり、外壁の色が建物全体を少し浮世離れした印象にしていた。
大通りにも面していない閑静な住宅街に存在するそこは、意外にも周辺との馴染みを見せ、居並ぶ建物との調和を乱さずに、ごく自然にその一枚の絵の中に入り込んでいた。
敷居が高そうな気がするのは、はっきりと中を覗き込める位置には窓の類は無く、入口でさえも真正面を向いていないからだろう。穏やかな四段程の階段を上り右手。通りすがりにふらりと迷い込んだでは、言い訳ができないような造りになっていた。そのくせ、そこだけが光が灯ったような、否、逆に間接照明に沈んだ特殊な空間であるように見え、中に足を踏み入れてみたいという人の好奇心は十分に煽っていた。
控えめなプレート。その文字が無ければとてもここが美容院には見えない。
微かにかいま見える光景と、硝子越しに入口の内側から掛けられた『OPEN』の文字が、そこが他者の侵入を待つ空間であると告げていた。
中では在り来たりの風景が展開されていた。
普通と違う点があるとすれば、それは鋏を持つ影の秀麗さ。
動く。しなやかな繊指が澱みなく踊り、散らされる髪の一筋までも意味在るように。
鏡に視線を向ける陶然とした眼差しは、徐々に変わりゆく自分の姿に注がれているのではなく、結果を導き出す美しい手に奪われ。その手の持ち主に相応しく、高められた期待を決して裏切らない、すっきりとした顔立ちに、すらりと伸びた長い手足を持つ秀でた麗姿に息を呑み。繊巧な指先の動きに、うっとりと溜め息を吐く。
店に在るときには制服のような意味をなしているのか、痩身の体躯はシンプルな黒の衣服で統一されていて、嫌味なほどに様になる。細腰に惹かれた者に、彼が艶福であらざる訳がないと思わせる立ち居振る舞い。
そんな他人の妄想も受け流すように、ただ彼の人は言の葉もなく作業に耽り。それが一層自らを冷艶に彩る結果となっていた。
寡黙で生活感のない彼は、氷で出来た機械仕掛けの人形のように無機質で精巧に見えた。
◇◆◇◆◇
休日の今日、特別な用事もなく、前々から読みたかった本が、そろそろ返却されていないかと、図書館まで散歩のようなつもりでカトルは家を出た。
天気もまずまず。ぼんやりとした空には微弱なお日様が凍えたように浮かんでいる。
それでもこの寒空の下、健気にも日を照らす様には愛しさをおぼえる。心持ち暖かな空気は彼の働きによって創られているのだ。
それを証明するように、雲が彼を覆えば空気は凛と尖り皮膚を刺すように痛い。
コートの襟を正しながらカトルは白くなる息を吐いた。鼻の頭が冷たい。
いつもの道。いつもの場所。そして、通り掛かる。
今まで機会がなくて一度も入ったことはなかったが、カトルは時折通り掛るその絵に描いたお家のような店構えに心惹かれていた。
ちらりと通りがてら店内を窺うと混んだ様子は無く、珍しいその光景が自分を手招きするように感じられた。
定休日があるのか無いのか、日曜日や祝日でも休業しているのを何度か目にした事があったカトルは、ますます今日という日に縁のようなものを感じてしまった。
排他的な印象も強く、完全予約制の可能性も強そうで。
(飛び込みでは請け合って貰えないかもしれない……)
そんなことも頭を掠めたが、駄目で元々というつもりでカトルは行き過ぎていた体をクルリと反転させた。
ドアまで続く穏やかな階段は、一段の幅が小さく二歩分だった。でも、今のカトルは大幅一歩。自分のスローな動きのせいでグラグラとしながら、ぎこちない動作で階段を上がる。
扉の前に立ち一瞬躊躇して、ひとつ首を傾げた時。
風が――――――
びゅううぅぅぅ……。
長い、長い音が鳴り。直ぐ近くの樹がカサカサと音を奏でながら震え。落ち葉は乾いたアスファルトの上で風の流れを辿り、旋回する木枯らしに乗って円を描いた。
風が通り過ぎるのを待ち、庇うように顔の前に上げていた腕を下ろしながら、カトルは止めていた息を吐き出した。
掻き回されたように乱れた細く柔らかな白金の髪を、目に入らないように気にしながら片目を閉じて、パッパッと両手で払い除けた。
目の前に立ち塞がる、外界との境界線の意味を持つドア。軽くカーブした大きな取っ手は、押し下げれば扉が開く仕組みになっていて、手袋をしているカトルにも何の支障もなかった。
――想像していたよりあっけなく物事は進展する。
◇◆◇◆◇
真新しい外観にひかれるように、カトルはその場所へと足を踏み入れた。
カラン、カラン。
客が来たことを中の人間に知らせる為に、扉に取り付けられた呼び鈴の音が、店内に妙に陽気に響いた。
過度に暖められていない室温が心地好い。カトルは肺に中の冷たい空気を追い出すように呼吸をしながら、ほへぇっと店内を見渡した。
内装は外壁と同じ微妙なグレーを基調としながらも、ポイントにやや濃い自然な色調の木目板を使い、華美ではなくあくまで簡素に纏められていた。しかし、全体的な調和が取れた雰囲気からは質素な印象は与えず、逆に洗練された空気を感じさせた。
うまく混んでいる時間を外れたのか、広くはないが、こざっぱりとした店内には待ち客はおろか姿の見える店員も一人きりだった。
初めての美容院に入るのは何故かしら勇気がいるものだ。
(毛先だけちょっと揃えてもらうだけだから、いいよね)
そう自分に言い聞かせ、カトルは恐る恐る窺うように声を掛けた。
「すいません」
声の先に居たのは黒に身を包んだ痩身の人物。カトルよりずいぶんと背も高い。ゆったりとした動作で扉の前に立ったままのカトルに近付いて来ると、数歩手前で足を止めた。
視線が、合った。
……瞳が。
チクリと痛んだ胸の辺りから掴み所のない惚けが生まれ、焦点が狂う。カトルの目の前には霞が広がり、像がぼやけた。
切り取られた窓枠の中で影絵のように動く人影を数度目にしたことがあった。
綺麗なシルエット……。
足は止めずに背中越しに、その窓を見た。物陰に遮られてしまわなければ、カトルは何時までも首を捩じっていたかもしれない。
初めて近くで見て知った。スタイルばかりではなくその人は眉目秀麗だと。
ブラウンのさらさらとした髪。長く垂らした前髪が顔(かんばせ)を半分覆ってしまっているが、整った顔立ちその全ては隠せない。結ばれた口許にシャープな輪郭、バランスの良い鼻梁は配置した創造主を賛美したくなる。何よりカトルを惹き付けたのは、豊潤な緑に馥郁たる清澄な香気に満ちた、人の心を癒す作用さえ持つような、深い、深い緑の双眸。醸し出す空気で空間が涼やかになるようだ。
「あの、予約は入れていなのですが……」
人形のように愛らしい容姿が、碧の瞳を瞬かせながら、とりあえずの断りを口にした。
早鳴る胸がドキリと疼き、そこから滲み出したように抜けるように白い肌が微かな桜の色を広げ、頬が……。
寒さに紅潮していた頬が異なる朱を混ぜた。
承諾の代わりか、切れ長の美しい瞳が微かに細められ。
静かに歩み寄る人物にカトルは染まった頬を気にしながらも、微笑を向けた。
「少し、揃えて戴けませんか?」
気のせいか、まじまじと見られているような気がして、何か自分はまずい事でも言ったのかとカトルは内心あたふたとした。
内心、と思っているのは本人ばかりで。実際には、あからさまな動揺を浮かべるカトルの様子を見て、口許に微かな笑みを浮かべた店員は、その所在無さげに握られていた自分よりも一回り以上も小さな手をとった。
「丁度今は誰もいない……」
彼は呟くように声を洩らすと、カトルの手を引き店の奥への歩き出した。
(普通、こんな風にエスコートするのかなぁ?)
ハテナマークが浮かぶカトルをグイグイ引っ張って店員はそのまま奥へと進む。後に従いながら先を行く人物のすっきりとした服装を見て、自分のぽてぽてとした様子にカトルは違和感を抱いた。
洗髪台の前まで案内されて弾かれたように声を上げた。
「ぁっ! コート」
大きな鏡に映る自分の姿に答えを知る。
単純なことだ。やけにのたのたとしていると思ったら。入口の直ぐ横に掛けるところが用意されていたのに、直ぐに脱げばいいものを。頭が滑らかに動いていなかったらしい。もう一つそれ以上にカトルを慌てさせたのは、くしゃくしゃになってしまった髪の毛。目の前の人物が涼やかな瞳をしているものだから。風のせいで乱されたのだけれど、なんだか余りにみっともなくて恥ずかしくなる。
最初に目が合った時に嫌に見られているような気がしたのは、きっとこのせいだとカトルは思った。
何もなければ自分の意識のし過ぎだと忘れていたかもしれないが、やはり先程の彼は自分を不思議な物を見るような目で見ていたのだ。いくら鈍くても視線を受けている本人は流石に違和感を感じる。普通ではない、纏わるように瞬きすらしない、一般生活ではまず経験しない種の視線だったのだから。
恥ずかしいのと格好悪いのと、馬鹿にされてやしないかという不安感とで、「あぁあぁあぁ」に濁点が付いた活字にできないような声をカトルは頭の中で木霊させた。
(緑に映る僕の姿は間抜けに焼き付いてしまったのだろうか……)
と思うと、なんだか悲しくて。
わたわたと慌てて髪を撫で付けるカトルのコートのボタンを、店員が横合いから本人も気付かぬうちに器用に外してしまった。
「うっかりしていた。動揺していたようだ……」
淡々とした口調で彼はそう言った。
(誰がいつ動揺したのだろう。僕のことだろうか?)
きょとんとしてしまったカトルの後ろに回り、その華奢な肩からコートを滑らせようとする彼に、カトルは制止の声を掛けた。
「あのっ、そこまで気を遣わないでください」
余り気を遣ってもらっては申し訳ない気持ちになる。よく考えれば大した事ではないのだけれど。だけど……。
「……ああ、余計なことをした。まだ動揺していたらしい」
照れの反動で幾分語調の強まったカトルの言葉を受けて、店員は退きそう洩らした。
いまいち意味を掴みかね少々引っ掛かったが、カトルは厚意を蔑ろにしたと誤解されてはいないか、そちらの不安のほうが強かった。
コートを脱ぎながら肩越しにチラリと店員の顔色を窺うと、気を害していないらしい穏やかな瞳と出会ってカトルは安堵してしまう。「へへ」と、笑いながら袖から腕を引き抜こうとしたが、そこで動きが止まってしまった。
ぶいんぶいんと大きく手を振ってみるが、コートが脱げない。というより、抜けない。
「はりゃぁ?」
カトルが声を上げコートを後ろに下げたまま、おろおろと袖口を見遣ると、そこからストッパーのように衣類を塞き止める形で、のぼぅっとした印象のミトンの手袋が顔を出していた。表面はスエードで裏側にウールを張り合わせた、折り返しまでもほもほとした大きなミトンを身に着けたままだった。とても暖かくてお気に入りの手袋だったけれど、こんな物を嵌めたままでは邪魔になってコートなど脱げるわけがない。
冴えない行動に固まってしまったカトルは結局、自分で対処するより早く動いた店員によって手袋をはずしてもらい、コートまで脱がせてもらうことになった。
恐縮で縮こまってしまったカトルを腰掛けさせると、そこから離れ一通りの用意を整える。
(変な客だと思われてしまっただろうか……)
要領の悪い自分に物悲しささえ感じながら、淡々と動く彼の姿をぼんやりと見つめていたカトルの首に、すいっと手が伸びた。
「へぇっ?」
近付いた距離に驚いた。
フッとわずかに笑いを洩らされてしまった気がしたが。微かな物音にさえ埋没しそうな声は、空耳のようにカトルには感じられた。
「……ぅわっ!?」
襟足を撫で上げられ思わずカトルはたじろいだ。
小さな声を洩らして肩を竦めたカトルの首にタオルが巻かれ、身に着けている衣服に害がないように、その上から大きな布が掛けられた。体を包むように緩く巻いた布を、もう少しだけ重ね合わせて、しっかりと首元で留める。
髪の毛を外に出す前触れの行為だったのか。何の断りも無いものだから一瞬虚を衝かれてしまった。
困ったような笑みを浮かべながら、カトルはその場を取り繕うと、小さく咳払いをして表情を隠すように軽く俯き、身体を動かして椅子に深く腰掛け直した。
目線を上げると、目の前の壁が鏡になっていた。
美容院では見慣れた、
あの自分がそこにいた。
普段は気にもしていなかったが、この照る照る坊主のような状態には、少なからず気恥ずかしさを感じてしまう。
もう一つ、常日頃は気にしていなかった自分の輪郭に残る丸みまで他が隠れているせいか目に付いてしまう。瞳だけをキョロキョロと動かして店員の顔を見ると。
なんだか自分の顔が彼と比べて膨張して見えるのは白い肌がいけないのか、『い』の字に引いてしまった口許がいけないのか。比べてしまった対象が悪すぎたのか……。
(ダメだ……。僕は、顔が……おっきい、の、かなぁ……)
見える所では問題点なんてありそうもない相手の整った姿がカトルの目から見ると酷く羨ましくて、劣等感さえ抱いてしまう。
十分に小振りな造りの顔をしているくせに。カトルは自分のあら捜しばかり走ってしまっていた。
際限なく思考が沈んでしまいそうになるの危険信号を感じて、急激に方向転換しようと試みる。
過去に何度となく晒した姿なのに、何を今更。
悪く言えば手遅れ……。
それに何と言っても相手はプロ。何十、何百、何千の人の、この姿を目にしてきているのだ。可笑しいもクソも麻痺してしまって、特別な感慨を抱くわけがない。
(……そうそう、大丈夫だよ)
心の中で自分を励まし力を込めて拳を握る。引き結んだ口許は引き締めすぎて。無意識のうちにカトルは世にも凛々しい表情を張り付かせていた。違和感があるとすれば状態(すがた)ではなく、その力んだ表情(かお)だろう。
引き締めれば締めるほど、滑稽味が増してしまう。
ぬ、ぬぬぬぬぬうぅぅ。
ガチガチに固まったカトル。
未だかつてない反応に店員は微かに唇の片端を上げたが、それが悪意からではない事は明らかだった。表情がやわらかい。
椅子の高さを調整した後、いささかどこを見ているのかわからないカトルに向かって、背凭れを倒します、と一応は告げたが、聞えていないかもしれないと彼は思った。
ゆっくりと上体が後ろに倒され、髪を整えるように首筋から大きな掌が這わされると、ガタンと大きく身じろいでしまい、動きを止めて無言のまま不思議そうにカトルを見た店員に、少し裏返り気味の声で謝罪した。
「すみません。何でもありませんから続けてください」
ここまで用意してもらって止めてくださいとはとても言えない。毛先を揃えてもらうだけのつもりだったのに、どうやら洗髪されてしまうんだな、と思い、カトルはゴクリと固唾を飲んだ。
どうも、くすぐったがりのカトルは洗髪が苦手だ。気持ちは良くて嫌いなわけではないのだが。
身近に見える綺麗な顔に妙に緊張してしまう。
綺麗だと言っても女性的なわけでは決して無い。男性と言う匂いは強く男らしいが、無骨ではなくしなやかだ。まだ少ししか聞けていないが、静かな落ち着いた声はとても綺麗にカトルの胸(なか)に響く。
自分はどうも男らしい容姿はしていないらしいと、不本意ながら幼い頃からの周囲の反応で骨身に染みていたカトルにとっては、彼のような人間は羨望の対象だった。俗な表現を使えば“カッコイイ”と感じる。
今の感覚は単なる羨ましいを通り越して、憧れ。
特別なほどの、あこがれは。こがれ……焦がれに近くなる。
まだそんな微妙な感情はカトルには感知できないが。
なんとなく距離が縮まったような気がして、咄嗟にカトルは目を強く閉じてしまった。
ふわりと顔にタオルが乗せられた。
(よかった……)
百面相のような自分の顔をあまり見られたくなかったから。
たくさんほっとしたけれど、同時にちょびっと感じる、がっかりしたような気持ちは何なのだろうか。
息を吐くように身体の力を抜いた。
シャワーノズルから勢い良く水が噴射される音がして。鈍る水音。水温を見ている音。続いて、後頭部に手が添えられ、温度の調整されたお湯が毛先を濡らした。
ゾワリと背筋に走る感覚に、微かにカトルの背は浮き上がる。
シャワーが徐々に髪全体を濡らして、水気を行き渡らせるように、大きな掌がその細く艶やかな金糸の間に差し込まれ、わさわさとゆったり動く。
「……っ!!」
息を止めてカトルは身を竦ませた。眉をしかめてギュッと強く目を閉じる。
どうして自分はこんなにくすぐったがりなのだろう。
妙に恥ずかしくて耳まで赤く色付いてしまう。まだシャンプーすら使わずに、その手は頭皮をマッサージする。
何となくそういうサービスなのかなと納得しながらも、もぞもぞと身体は動いてしまうし、背は浮いて胸は微かに反る。指先に力が籠り、震えていないか心配になるが、すでに身体自体が小刻みに震えていて、それすらもわからない。耳元で聞える大きな水音や手の動きは耳をくすぐる振動になる。
タオル越しに店員の体温を感じて。
うっかり小さな声でも洩らしてしまえば、きっと聞かれてしまうだろうと、ますます焦りを覚える。
こんな些細な感触さえも、悲鳴と溜め息を零しそうに感じてしまう。
つらくて、イヤだ。
極親しい友人が相手ならば、身を捩じって声を出して笑ってしまうだろう。それ程くすぐったいのに、身動きすらとれず、その気配さえ気取られないようにしなければならないのだ。
エレベーターに乗ったときに背筋にぞぞぞーと怖気を感じる人間と感じない人間の差のようなものだろうか。自分の意思とは関係なく、それは
くるものなのだ。そうではない人間には一生理解して貰えないかもしれないが、拷問をうけているような気にでもなってくる。
気のせいか微かに笑う声がして――と言っても吐息のようなものだったが――一度その両手が頭から離れた。
(ふゃぁ……)
ホッとしたようにカトルは全身の力を抜いた。
立っていれば間違いなく崩れ落ちていただろう。幸いに緩やかな傾斜のついた椅子に寝ているような状態だったため、その身がシートに深く沈んだだけだった。
「少々お待ちください」
何だろうと思いつつも、タオルを乗せられたままのカトルには何が行われているのか分からない。とりあえず今の解放にホッと一安心する。
店員はその場を離れると、窓の上に纏められていたブラインドを下ろし、光を遮断した。
扉にも看板を裏返して『CLOSE』の文字を。
誰の目から見ても真面目な表情、もしくは憮然とした表情にすら見えただろうが……。彼は確かに微かな笑みを洩らしていた。
◇◆◇◆◇
淡く霞み掛かる夢のような君は、浮き世から隔絶した時の中にあるように儚く揺れる色彩をして。硝子を隔てた空間に、時に現れ、届くはずもないその残り香を、甘くせつなく残し去る。
気紛れのように振り返り、見せる、その面差しは、曇りなく澄明で麗しい。自らの心底にある物が具現化した幻かと自嘲していたのに。
風に追われて迷い込んだのか、現実の物であると証明するように……。
遠目では識別出来なかった、蒼(あお)と碧(みどり)を微妙に混ぜた美しい瞳の色や、白磁器のような肌理細かな肌に、微かに滲んだ淡い桜の色までわかる。
無声の映像の中の人形かと思われた人物の声が流れ。清音(きよらかなおと)が肌に触れた。
夢が、夢ではなく現実として動き出した。
◇◆◇◆◇
おそらく気付かれないように本人はしているつもりだろうが、名残りでまだ背筋が気持ち悪いのか、もぞもぞとしているカトルの傍らに戻ると、その耳元に囁き掛けた。
「どこか凝っているところはありませんか」
「? ……いえ、別に……」
痒いところの間違いだろうか? 洗髪はもう終わったのだろうか? と、訊きたそうにしているカトルが洩らした声を無視するように、その長い指を持つしなやかな手は肩へと掛かり。カトルのすぐ耳のそばで面テープが剥がされるベリベリという音がした。
カタカタと小さく窓を叩く風の音に感謝しながら、どうしてその名を聞きだそうか、縁を繋ごうか、
彼は静かに思案した。
どうやって縁を結ぼうか?
トロワは静かに決心をした。
■FIN■
「初出 1999.1.31」に、少しの訂正を加えました
美容師トロワの1本目でした!
リクエストを強奪してから、やっとやっとUPできました;;
まだ、出会い編なのですが。
このあとどうやって距離を縮めたんだトロワ!?とか、疑問です(笑)
たぶん、おそらく、トロワに夢見がちじゃないと容認できそうにないトロワ像かもしれませんが、こんなヤツでもOKだぜ!というかたがいてくださるとうれしいのですが。
本とネットで読んでくださる方は反応が違うみたいなので、ドキドキです;;
こんなのトロワじゃない!とか怒られたり、気持ち悪がられたらどうしよう。。
ネットって不安です;;
ドキドキすぜぇー;;
こんな美容師がお嫌いじゃないかた
こんなカトルがお嫌いじゃないかたは
2本目も読んでやってくださいませね。
こんなお話やトロカトがお嫌いじゃなければ、拍手やコメントいただけると、とってもとっても嬉しいですv
求む反応!(笑)
2本目はラブラブですので、そちらもヨロシクおねがいいたしますv