げんきのひけつおしえます♪
【講師】カトル・ラバーバ・ウィナー
あと何日。次の休暇まで、あと何日だったかなぁ……。
近頃の僕は少し……じゃなくて、本当に疲れているらしい。
あいまいな表現になるのは、少し自分が鈍いせいなんだけど。そうだと気がついたのは、ほんの最近のこと。疲労の度合いを教えてくれる人が現れたからだった。
それがなければのん気な僕は、自分の疲れすら自覚することもなかっただろう。少々の熱が出ようと、病気になろうと気づかない。倦怠感はナマケ心や甘えから出ているものだと、いつの頃からか思い込んでいた。
僕さえ我慢できれば、みんなに余計な心配や面倒をかけなくてすむんだから……って。いつしか僕は、無意識でそう考えるようになっていたんだろうなぁ。
だけど今回は珍しく指摘される前に自覚できてしまった。だって、体が鉛みたいに重くて、一度、座りこんだら置物になったみたいに、動けなくなってしまったんだもの。一人の今は脱力してしまって、指を動かすのさえ億劫だなんて、これってある意味、衝撃的だよ。ガーンと頭の中では効果音が鳴っていたけど、動かない表情を補おうとする瞳だけがキョロキョロと動いただけだった。
ゼンマイの終わりかかったオモチャというより、油切れのロボットの気分。錆びてるって状態はおそらくこんな感じ。ポンコツのからくり人形って表現がはまるくらいレトロなわりに、ヒートまでしているっていう始末だ。氷をタオルでくるんで、まぶたの上に置くと、ジュ~なんて、……なるわけないか。こういう発想は健在だっていうんだから、……なんだか僕って悲壮感ゼロ。まだカーディガンも着ていないのに、ちゃんとしてから座ればよかった。今はいいけど寒くなったらどうしよう。ああ~まぶたが熱い……。
頭の角度を変えたくて、僕は少し首を動かした。ギ、ギギギィギ、ギギ……。って音が確かに聞えたんだから。無駄な体力の消耗を避けるため、やっぱりじっとしていよう。
……こんな状態で、濡れた髪も乾ききらないうちに、リビングのソファでぐったりと目を閉じていたら、突然、僕の頬に触れてきたものがあった。
「ぅわっ!?」
反射的にビクリと跳ねた僕を見下ろしていたのは、反応を恥ずかしくなることを倍増させる瞳を持った人。いつの間にか入浴を終えたトロワが戻ってきていたんだ。
急に大きな声を出されるのも苦手。意外と僕が些細なショックにさえ弱いって事は、よく知っているはずなのに。(エージェントといえばそれまでかもしれないけれど)こんなときまで気配を消していなくたっていいと僕は思うんだよね。おかげで、まだまだ、やろうと思えばトランポリンなしでも跳びはねることだってできるって知ったけど。
「カトルは本当に驚きやすいたちをしているな」
「知ってるだろうー」
トロワの静かな声に答える僕の声は、あからさまに照れを含んだものになっていた。
こういう声はトロワにどんな風に聞えているかなと思ったんだけど、きっと変に決まっているから、ますます僕は焦ってしまう。
見上げた瞳が柔和な光を湛えている。トロワはいつもこうして僕を見る。
だから僕は何となく呟くんだ。
「トロワってずるい、ずるいよ。ずるい、ずるぃ。……ずるいんだから……」
こっちが恥ずかしくなるような人って。君ってどういう人?
「……笑うことないじゃないか」
なんて、照れ隠し。僕は抗議の声を上げる。
否定するみたいに言葉も返さない彼だけど、ほら、ほんの微かに、唇の片端を上げるんだ。そういうさりげない表情にさえ、僕がいちいちドキドキしてるって知りもしないで。
男ってのはたいがい表情が乏しい。(これって男の僕が言うんだから信憑性あるだろ)……そう、だからね、イコール、“トロワはとびきり男らしい”と、なる。
出逢ったときからトロワは身長に不釣合いなほど大人びていた。(僕のほうがそのときだって小さかったことはわかってますから……)すっかり大きくなってしまった今は、落ち着きに違和感がなくなっている。年齢を重ねていけば、きっといつか、その空気は“いぶしぎん”って言われるものになっていくんじゃないのかなぁ。
ガンダムを駆っていたときは、ドライな印象ばかりが強く漂っていたけれど、今は違う。とても穏やかな雰囲気になっていた。静かなことに変わりはないけど、そこのところって、大きな違いだと思うんだ。もしかすると僕にだけトゲトゲしていたのかもしれないけどね。
表情の豊かさに欠ける彼は、何を見ても何を知っても飄々としていて、考えていることがまるで掴めなかった。主観的な意味だろうけど「何も考えていなかった」って、トロワは言っていた。
彼は色も音も匂いさえもない世界にいたと、僕に話してくれたとこがあった。
もう随分と遠くに感じられる、彼との再会を果たした船上での瞳は、思い出せば今でも少し“くる”ものがある。クールなはずのトロワがはっきりと険しい表情を浮かべ、押し殺した感情を叩きつけてくる。拒絶の意思は痛いほど伝わっていた。本当に感激していた僕とのギャップは痛烈すぎるものだったから、鈍感なふりをして笑っているしかできなかった。それでも、惹かれていたから。こうして一緒にいられるようになるなんて……。不思議で。人の縁なんてどこから繋がっていくのか本当にわからないんだなぁって。トロワの存在を身近に感じるたびに、『あきらめなくて、よかった』って強く感じる。今度は嬉しくて涙腺が緩みがちになってしまうんだけどさ。――この僕のふてぶてしさも捨てたものじゃないね。
「少し熱っぽいな。眠いんだな」
トロワはおとなしくしている僕のおでこに手を当てて、次はほっぺ、そして首筋に触れて言う。――そのあいだ僕は目を緩く閉じて、じっとしている――こういうときのトロワの口調は、なんだかお医者さんみたい。じゃあ僕は患者ということになるんだろうけど、始末が良いのか悪いのか、自覚症状が……。
「よくわからないけど、多分、そうじゃないのかな」
自分で勝手に病名をつけているよりはいい……はずさ。
だけど、そう言うとトロワは、
「どうしてカトルはそうなんだ」
呟きながら、ため息と同じ意味のこもった息を細く吐く。
「すぐに休め」
トロワって意外と世話好きなのでは……という、一部の人が囁いている噂は、きっと彼のこんなところが発端に違いない。
「ぅう~ん……」
言葉を濁して僕はトロワを見つめた。
緑の森みたいに深くせつない瞳を見る。惹かれるように、のみこまれそうになるから。負けないようにと力む僕は、下から見上げ目を見開く。目指すイメージはへの字口したヒイロの眼光なんだけど……。
「そんな顔をしても駄目だ」
どちらかと言えば口調はつっけんどんだけど、それとは違ってトロワの表情微かに緩む。にらめっこなら僕がウィナー。だけど、今は勝負のときじゃないじゃないか。
眉の動きさえ綺麗な彼の視線から逃れたいのに、それでも、ぷいっと横を向いたりはできなくて、僕の瞳はあらぬほうをさ迷う。
こういうときは恥ずかしがってちゃダメ。怒っているときと同じで、気恥ずかしいと思うことが照れを増長させていく。これってセオリーだろ。
……そうそう、仕組みはわかってるんだから、何とかできるはずなんだよね。
僕は平静を装うように「困ってないぞー」とアピールするつもりで、じっと彼の視線に堪えていた。
(ぐぐぐ……ぅぐ)
で、今の僕って引き締まった表情を保てているのかな。鏡がないからわからないよ……。映すものはトロワの瞳なんだもの、僕の頭の中の状態を映像にすれば、思考なんて迷走しっぱなし。
「疲れてるんだろ」
「トロワ、忘れたわけじゃないだろ。僕はガンダムのパイロットをしていたほど丈夫なんだから!」
もちろん、立っていれば腰に手をあて胸を張っていたとも。
「カトルが見た目と違って強靭なことはよくわかっている。おかげで俺は抑制や自重を一蹴する要因を責任転嫁できているようなものだから感謝している。壊れないということは凄いことだなカトル」
「……ぅ、ぅん」
頑丈なのは素晴らしいって意味かな?
首を曲げながら縦に振ったから、斜めにねじるみたいな妙な動きになってしまった。
「それでも睡眠が不足すると機能を保っていられなくなる」
注意込みの呟き。
伸ばされた大きな手は僕の髪を撫でつけ、長い指が毛先を弄ぶ。トロワの指が器用なことは僕の……じゃなくって、僕が、知っている。――しなやかに繊細に動いて、ときにとても情熱的。そして不敵でもある。
トロワはこうして言葉を使わず手のひらで僕を説得するよう、饒舌に慈しむよう触れてくれる。
「髪が乾ききっていないな。それに上も羽織っていない」
あー、トロワぁ~、だめ! だめだよ、それは……。
これがトロワの責めかただ。それは、僕の好きな声のトーンで、小さく事実だけを突きつけるという、物凄い技だった。いたずらしたことを見透かされているような気持ちになるんだ。
自分の髪の毛は、水がしたたるほど、どぼどぼだって気にしないような人なのにぃ。わかってるんだよ、僕にだって。
……心の中ではそうやって反発もするんだけど。優しい手の動きの中で囁かれてしまうと手の足も出ない。簡単に僕の口を封じてしまうというトロワの専売特許だろう。
髪の毛を梳いていたトロワの手は移動して、僕の頬をひたひたと打つ。訂正しなきゃ、優しい動きは“撫でる”の方が正しいよね。
「カトル」
トロワの優しさは、動物に対しては顕著にあらわれるようで、サーカスを訪ねたときに見た、ライオンを撫でていたときの彼の仕種を思い出していた。そう、ちょうど、こんな感じで。
……あれ? それじゃあ、僕は彼らと“同じ”ってことなのかい?
口には出さずに僕は小首を傾げてしまう。
そうしたせいだろうか、トロワの手が僕の顎をとらえるように移動した。
くすぐるみたいな指の動きは猫の喉を撫でる手だ。その動きと似ているとわかっているけど僕は怒れない。それは「もしもし?」って感じの困惑よりも、心地好さのほうが勝っているせい?
どうしてだろう、ドキドキと僕の心臓は音を大きくしている。でっち上げた効果音みたいな、はっきりとした音を立てている。
だけど……。
(えいっ!)
なんの、
(ていっ!!)
僕は押し退けてもどこ吹く風で優しくしてくるトロワの手を撃退する。――うおっと、また来た! 負けるもんかで蹴散らしてやる! さらに迎撃。とどめに追撃。
それなのにトロワときたら……。
「……んんっん、ん、ン……」
グルグルグル……。きっとこんな感じ。猫なら喉が鳴っていただろう。そんな芸当のできない僕も喉の奥を鳴らして、小さく声を洩らしていた。
誤解しないで! これはトロワに「だめだよ!」っていうつもりだったんだから。
トロワの攻撃から逃れるため、闇雲に振り上げた手に当たった彼のパジャマの袖に狙いを定め、それを弾き飛ばす勢いで両手を突き出しバタバタと動かした。僕にだって意地があるんだっ!
功を奏したのか、なんとかトロワが距離を置いてくれたから、ほぉ~っと息を吐き出し、僕は大きく深呼吸。息が乱れる運動になってしまった……けど、目的は達成だ。呼吸を整え。そして、改めて彼と向き合う。
「せっかく時間が合ったのに。少し話をしようトロワ」
やっと言えた。でも。ふくれてしまったぁ……。
ためてしまった頬の空気をこっそりと抜く。それに合わせてほっぺが、赤く、赤くなっていくのを自覚する。火が出そうに熱くなったから間違いないんだけど、見つめてくるトロワの瞳は綺麗な色のまま。もちろん頬に色がつくわけもなくて。また僕が赤くなるんだ。
「……トロワが平気ならば……で、いいんだけど」
僕はトロワにはわからないように表情をうかがい見たつもりなんだけど、口調が弱気だった、かな。
もっと大人になれば引き締まるに違いないと確信を持って信じていたのに。それから、どれだけの月日を過ごしたのか、僕の顔に入りっぱなしになっているエアパックは、ぺたんこになることはなかった。衝突の衝撃を和らげるって、顔から地面や壁に突っ込んでしまったときのためだろうか。これのおかげで命拾いしたという経験はいくら記憶をほじくり返してみたって出てこない。だけど「このままでもいいかな……」って思うのは、ここも気持ちがいいと言ってくれる人がいるから。たくさん触れてくれるから、嘘じゃないんだと僕は思っている。目の前の彼に弱いんだよね~僕って。
トロワの伸ばしてきた腕が迫るとき、なぜだか僕は押し潰されるのかと思って、要領を得ない表情で口を開けたまま固まってしまっていた。
「ぅぁああっ」
って言う、音にしかなっていなかったのは、どう省略してしまったのか。近付いてくるトロワを前に「パジャマを着ててもカッコイイのはどうして?」と、僕の頭の中は関係のない悲鳴を上げていたのだった。
そんな反応をまるで気にも留めないで、トロワはさっさと僕を横抱きにしてしまう。
痩身の彼は着痩せするタイプ。引き締まった筋肉をつけた均整の取れた身体をしていた。だけどその筋肉にしても計算が合わないくらいの力持ちだった。僕をこんなに軽々と持ち上げてしまうのはそのせいだ。一度でいいからヒイロと腕相撲をしてみて欲しいんだけど、どっちが勝ったって僕は驚くことになるだろうな。お願すれば五飛も参加してくれるだろうか。どうせだったらデュオも誘ってみんな一緒に腕相撲大会でもすればいいよね。どうしよう、想像しただけでも楽しくなってきてしまう。トロワにも意見をきいてみようかと、僕はウキウキしながらつらつらと考える。
「カトルは重さを感じさせないな」
なんて、トロワは済まして言うけど、子供ならまだしも、この年になってそんなはずないじゃないか。本当だとすれば、
「君の腕力がありすぎるんだよ」
それ以外考えられると思う?
宙ぶらりんの脚をじたばた動かし、両手を振り上げ踊ってたって、トロワは僕を落としたりしないよね。だけど僕は安全と安心のためだものってふりで、トロワの肩に手を添えて、もっとしっくり馴染む姿勢を求め、「よいしょ」と、彼の首に腕を回した。
まつ毛の数まで数えられるような近くで見ても、トロワの顔立ちは綺麗だった。……「やっぱり」とつけなきゃ。
トロワの瞳が綺麗なことに気がついている人は多いと僕は予想する。(思わないのは不思議)それくらい、深層の想いを宿したものだから。だけど、付随する眉はどう? きっと“柳眉”という表現は、トロワみたいな人を見て生まれたに違いないと、僕は見も知らぬ言葉の生みの親に「だろ?」と、肯定を強要する。理屈を無視してせつなさを呼び起こすトロワの瞳の威力は、眉の微妙なたわみで破壊力を倍増させ、最強タッグで人を翻弄するんだ。瞳をメインに据えるなら、眉のほうは《増幅装置》と、たった今命名した。
悟られぬよう瞬きの振りで、少しゆっくり、長く目を閉じて。心の中で近くにあるトロワのほっぺにちゅっとキス。
(だって、好きなんだもの……)
誰に言い訳してるんだか……。
意識の中で僕が三つ目のキスをしたとき、それを知る由もないトロワはおもむろに口を開いた。
「――そういえば、言っていたな」
「何を?」
タメが多いのはトロワのリズム。わざとじゃないとわかっていても、彼の思わせぶりな態度を見ていると、僕はいちいち首をひねってしまう。当然「誰が?」も含めて言ったつもりなんだけど、トロワは僕がちゃんと訊ねなかったせいか、その辺は省略してしまった。
「もし、有翼人種が存在したとすれば鳥のように骨自体が軽量化されているんじゃないのか、という話だ。そいつはカトルぐらい軽ければ飛べそうだと言っていたぞ」
僕の名前が出てきたってことは僕も知ってる人なのかなぁ。誰だろう?
「羽根つき人間。……キメラだね。……んん? 僕ってキメラみたい?」
「表現がまずいな。天使だろ」
「えっ! そんなんじゃないよ」
驚いて、大げさに僕は笑う。どんなイメージを抱き、口にしたのかはわからないけれど、照れ臭く感じたのは、そういう天使のイメージが綺麗な気がしたから。たんなるおべんちゃらだとしてもさ。相応しく……ない。
だからだろう、あえて僕は“笑って流す”それを望んだ。
「そんなに軽くないってば。それに定期健診でも注意は受けてないから骨密度は大丈夫なはずだよ。スカスカ骨の気はないから、残念ながら重くてとても飛べないね」
「ああ、羽根も要らないし、飛べなくていい。カトルが希少な存在なら俺だけのものじゃなくなってしまうかもしれないからな。どこへ逃げても掴まえる自信はあるが、飛ばれてしまっては敵わない」
さらりと言った。
トロワの表情ときたらちっとも「かなわない」顔なんてしてない。飛んでいこうとしても、足首を掴んで引き摺り下ろされそう。……もっとも、僕はトロワと一緒がいいから、そんなことはしないけど。
余裕めいた表情を浮かべる理知的な唇は、微かなぶれだけで僕の思考を奪ってしまう。瞳を見てはダメ。お手上げの降参ポーズを取るしかなくなるから。目線は早々に逃げをうつ。
びっくりしたまま、軽口も叩けなくなった僕を抱き上げる腕は、微妙な角度を保っていた。見つめたトロワの薄い唇の端が、軽く上がったのを僕はこの目で見てしまった。
瞳は、僕の好きな緑。余裕たっぷりの色のまま。……トロワは、笑ったんだ。
赤面ついでに火照り出す僕の体は、お風呂上りと同じくらい肌が赤く染まっている気がする。
いつから歩き始めていたのか、広くもない家内の移動なんてあっという間で、気づけば僕は寝室、ベッドの前まで運ばれていた。――寝ろって意味だなこれは……。
着地は横たえるように。僕の体が安定するまで、トロワの力は緩められることはない。体勢を崩さない状態だと確認したのか、トロワの腕が僕の体の下から差し抜かれた。
姿勢を変える。
「トロワ」
呼びかけに応え、視線を合わせてくれるトロワに僕は小首をかしげた。
「仕事が大変だから疲れてるよね」
「いや、カトルほどじゃない。俺のことはどうでもいい、自分はどうなんだ? 勤勉だ頑張りすぎると言えば聞えはいいが、お前は自分を追いつめすぎる」
「トロワは僕のことばかり言うけど、君だって疲れているだろ。僕よりずっと頑張ってるじゃないか。ほら~、そんな澄ました顔をしてさ」
トロワがいつも僕に言う言葉を僕も口にしていた。
いつもそう、二人の会話は噛み合わない。でも、想いだけはあたたかくしみて、からむように溶けていく。
ベッドの端に腰かけ僕のほうを向いてくれているトロワに、身を乗り出すよう、ずいっと迫る。僕よりも大きくて、ずっと長い指をしたトロワの手をとって、両手ではさみ、労りを込めその手を撫でた。
「無理ばかりだね……トロワ」
いつも僕は、君が心配でたまらないってわかっているのかいトロワ。
口にしない代わりに、僕はトロワの腕にぴたりとひっつき、おでこを彼の肩にあてていた。
「カトル、いつも言ってるだろ、俺は大丈夫だ。カトルのほうが――」
「――だまれ」
僕はトロワにそう言って“愛しさで抱きしめて、背中を撫でたい気持ち”を抑えきれず実行していた。
ブラウンのサラサラした髪に触れ、擦りよせるように頬を重ねる。トロワの背にしがみつくよう腕を回して。そこを撫でる。何度も、撫でる。
優しくて。
「トロワ、大好きだよ」
呟く。
甘えのない君の本当の頑張り、自分への厳しさは、僕が見てるから。僕が知ってるから。トロワがそんなものを必要としているかなんて、わからないけれど。自分のことを構わない彼に代わり、僕はたくさん彼を、いたわり、ねぎらい、いとおしむ。
腕が僕の背中に回り、添えられた手がやさしく上下する。ゆっくりと撫でてもらうだけで、トロワに抱擁されてる気分。彼を抱く僕は、いつしか彼に抱かれていた。――そうだね。そしてトロワは、僕を見てくれている……よね。
「君が疲れていたら無理は言えないんだけど、もしよければ少しだけ、話すくらいの余裕はある?」
まどろむような感覚の中でゆっくりと口にする。それは、囁きになっていた。
「横になれ」
「……わかった。おやすみなさい」
穏やかな声で即答して彼から身を離し、僕はうなずく。トロワがお互いのことを思って言ってくれているとわかっているから、僕に不安はない。明日も頑張ってね。そんな気持ちを込めて。
「お疲れさま」
僕の想いが伝わりますように――いつも、そう思う。
――――あれ、どうして?
ベッドを整えようとする僕を見て、トロワが笑った……ように見えた。
「座って話す必要はないだろ。ベッドの中でも口は利ける」
僕がトロワの言葉に背筋を伸ばしてびっくりしたのは当然。だって、駄目だと思っていたから。
「はじめから、そのつもりで移動したんだが」
だったら一言そう言ってよ。と、内心で抗議しながらも、
「そォだね。じゃあ、はやく」
いつもより少し声が高くなる。そんな現金な態度は我ながら気恥ずかしいんだけど、布団に潜り込みつつ喜色満面でトロワを急かす僕は、ごそごそと体勢を整えて、彼が横に来てくれるのを待っていた。
右往左往で僕は家の中でもトロワの十倍以上は無駄に動き回っている気がする。トロワは静かなんだもの、デッサンのモデルにはもってこいかな。
トロワがゆっくりと動くのを、じーっと見つめながら待っている感覚は、何とも言えないワクワク感がある。
こうしてトロワが掛け布団をめくると肌寒くって、その感覚さえ楽しくて……。何も体を覆うものがない時って、どういう体勢をしていたらいいか、わからなくならない? パジャマの皺をひっぱって伸ばしたり、寝転んだまま無意味にもぞもぞ足を擦り合わせたりするんだ。
横にならずに、まだ座ったまま何かしているトロワの膝が目に留まり、無性にそこを叩きたくなったけど、僕はぐっと堪えた。――どうせなら頭を乗っけたいくらいなんだ――譲歩して、ベッドについているトロワの手を、寝そべっている僕はチョンっと触ってみたりする。僕って「トロワの骨の硬さも好きなんだ……」と、しみじみ感じたのは、手の甲に触れるとき、指先で撫でて、その感触を確認しているから。
(寒いんだけど……)
口では言わずにトロワのパジャマの袖をついついと控えめに引いた。
見ていないことをいいことに、横を向いているトロワに口を尖らす。暑いのはいいけど、寒いのはホント苦手なんだよねー。ほら寒いから背中を丸めてしまうじゃないか。このままだと膝を抱えなきゃいけなくなるだろぉ。
(トロワ。トロワったら、トロワーッ)
手が冷たくなる感覚に耐え切れず、僕は自分の腿の間に手を突っ込んだ。
「どうしてカトルは自分で布団を被らないんだ」
……掛けてくれるのを待ってるからです。
僕はぷいとそっぽを向いたまま、聞えない振りをして黙んまりを決め込む。独り言みたいに言ったけど、トロワも半分はそのつもりだったのか、ベッドで転がっている僕に視線を向けているけど、もう何も言わない。いつから見てたんだよ……。
カッコ悪い姿勢になっている最大の要因である、自分の体温で暖をとっている手を、素知らぬ顔でそろそろと引き抜く。どうかトロワが気にしていませんように。
ちらりとトロワを見たあと、僕はまつ毛を伏せた。
――トロワが動いた。
ベッドを伝わる動きで彼がついに横になろうとしていると勘付いた落ち着きのない一人の僕が、意気揚々と「トロワが来るぞー!」と声を張り上げる。わかっているから落ち着いて!
少しトロワのために場所を譲って、ちゃんとここに彼が来てくれることを期待しながら見守っていた僕は、望みが叶いご満悦。肩の力がすーっと抜けて、そのことで、まだ体に余計な力が入っていたと気がついた。
二人を包む布がパフンとかかると、まだシーツは冷たいのに、その中はあっという間にあたたかくなる。
僕の肩まできっちりと布団を掛けてくれるトロワ。この間、トロワの行動をつぶさに見て、僕はすこぶるご機嫌になってしまっていた。「カトルは枕が歪んでいたらまっすぐに直さないのか?」って逆に聞き返されたくらい、トロワからすればそれと同じように不思議なことじゃないんだって。
こうしているときは、ちょこんと身を置いて、布団の中でおとなしくしているけど、完璧にはそわそわを隠し切れない。それを指して「緊張の面持ちで、おもてなしをうけているみたいだな」だったかな、トロワが言っていたことを思い出していた。本当に今も僕は、そんな顔をしているんだろうか?
それよりも、
「今日のランチは珍しいものを食べたんだ」
僕はさっそく取り留めのない話を始め、しゃべりやすいようにだものってカオをしながら、トロワと向かい合うように体をそちらに向ける。
無口なトロワは相づち専門のうなずきマシーン。あっ《カトル専用》って言ったのはデュオだった。
まぶたが重くなるのに時間は掛からなかった。もともと熱っぽくなっていたから目を閉じているほうが楽。
返事をしてくれるトロワの声は、なんて気持ちがいいんだろう。振動が鼓膜に心地好い。囁かれると思考が崩れてしまうけど。――ついでに体までぐにゃぐにゃになってしまうことだってあったりして……ぅう~ん。
重み。この重みはトロワの腕。
(腕だね、トロワの……)
ほらね。こんなことを考えてる。
もう思考は停止寸前の状態。話題もワープするような脈絡のなさ。髪を背中を撫でられる感覚に、僕の意識はおちていく。そう腕も……さすられていると気持ちがいいんだぁ。
僕も「よしよし」って思いで、トロワの腕を撫でていたんだけど、もはや、触ってるだけ、蠢いているだけ、乗っけてるだけ、って具合になっていた。逆に動かすぶんくすぐったくて、迷惑になってなきゃいいけど。
鼻先どことかいろんなとこが触れ合うようなこんな近くで、トロワの優しい瞳を独り占めできることに、こっそりと感謝。――誰にって? 決まってるだろ。トロワにだよ。
「……カトル」
夢? ほんと?
わかるのは、
(トロワの声だ……)
ってこと。
月並みだけど、トロワは僕に活力をくれる、充電器。それとも、背中についてるゼンマイを、巻いてくれる人。
わかります? とどのつまりはトロワって、ギシギシないてる僕の心を滑らかにする“油”みたい! ……って、あれぇ? どうして無機質ばかりになっちゃうんだろう。
こんな貧困な表現力に苦笑しつつ。
「おやすみ、トロワ。……ありがとう」
むにゃむにゃした上に、途切れ途切れの寝言みたいな僕の声に、トロワは、
「おやすみ、カトル。礼を言うのは俺のほうだ」
キスまでしてくれた。
僕の頬に体温が降る。これはきっとトロワのキスだ。眠り込んだはずの僕なのに、夢の中でさえはにかんでしまっている。
満たされた僕は、きっと晴れやかに明日も仕事に励む。君に負けないようにがんばるよ。
どうかトロワも、あしたもお仕事がんばれますように。がんばれますように。……僕も一生懸命がんばります……。
■FIN■
初出/2001.1.7「元気の秘訣おしえます!」から「げんきのひけつおしえます♪」
それに少しだけ加筆訂正しました
第一回戦。
ここまで、お付き合い、ありがとうございます。
トロワのセリフ。
「カトルが見た目と違って強靭なことはよくわかっている。おかげで俺は抑制や自重を一蹴する要因を責任転嫁できているようなものだから感謝している。壊れないということは凄いことだなカトル」
これは、どういう意味でしょうか?
しれっといろんな含みのあるとこを言う男なんです。(ニヤリ)
ここからわかるのは、夜の営み(表現が古い。。)が充実しているということにほかならないということであります。
まったく含みの部分がカトルには伝わっていませんが、
頑丈なのは素晴らしいって意味かな?
は、あながちまちがいではないんですなぁ(笑)
確かにだんなからすると素晴らしいから(笑)
トロワは何の仕事をしてるんでしょう?
サーカス勤務のイメージでは書いていません。
制服カッコイイし、プリペンにお勤めだったらいいなぁという思いをこめて。
次は講師にバートン先生をお迎えして、になります。
さてさて、カトルの一人称とトロワの一人称、どう違うでしょうか。
もし、まったく同じ人でしかない。。とかっていう恐ろしいキャラの区別のないことになっておりましたら、苦情くださいね;;
大丈夫かーー?と心配しながら。
いちおうは、大丈夫だと思うんですけどねぇー。。
こんな、カトル先生の一人称も楽しく読めたZE★というかたがいらっしゃいましたら、拍手などしてやってくださいませvv
コメントもお待ちしておりますvv
ご意見ご感想ご抗議ご苦情ご非難などなど、たっぷりでも一言でも、心からお待ちしておりますv
そいでは、トロやんに続く。。