『Happy Sheep 5』 ひつじちゃんは、たいそう暇だったのだ。
「ヘンですよ」
眠いけど、眠れないのだ。
「寝不足です」
十二時間しか眠っていない。
「デュオ……」
呟いてみれど、その人の影はなし。デュオはお仕事に出掛けたのだ。
いつも、デュオのいない時間は寝てばかりいたので、とても寂しかった。
大きなあくびをひとつして、独りぼっちの寂しさをやり過ごすため、コロコロお掃除をすることにした。
「デュオ」
居ない人を呼ぶ。いつもなら力一杯抱きしめて「なんてカオしてるんだぁ?」なんて、言ってくれるのに。今は返る声もない。
座り込んだまま、ぐるりと周りを大きく見渡した。
「デュオ!」
だからいないって。
わかっちゃいるけど、いたずら好きの、いつも抱きしめてくれる人が、ひょっこり現れてくれるかもしれないではないか。なんていう期待もゼロではないわけで。
だがデュオは二泊で出張に出掛けていた。「カトル大丈夫か~」と言って大きな碧い瞳を覗き込んで心配そうにしていたときに、カトルは胸を叩いて「大丈夫です!」と、元気に応えたのだ。
ちっとも大丈夫じゃなかった……。
あの晴れ渡る誇らしげな笑みはどこに。
「寂しくなんてありませんよぉ」
誰も居ない部屋の中で一人宣言する。虚しい。虚勢が虚し過ぎる。
「お留守番なんて子供にでも出来ます。僕はオトナなので、たくさん出来ます」
誰に説明しているのか、カトルは声に出して言う。
そして鼻唄を歌いながら、また、コロコロと絨毯の掃除を始めた。起きていたってすることがないのである。
「少々痛々しい」
水鏡を見つめていたトレーズがため息の中で言った。
「私の可愛い人は、弱音を吐かないぶん不憫だ。そうは思わないかね?」
遠くに腕を組んで立つ無言の痩身の人物を見遣るもその影は身じろぎもしない。声は届いているのだろうか。
違う場所から凛とした声がした。
「我慢できなくなれば、尻尾でも引くだろ! そうなれば直ぐに行く」
言いしな声の主ウーフェイは、身をひるがえした。
しっぽを引くとは? カトルのしっぽは警報機になっているのだ。非常時に引けば、必ずヤギが助けに来る。カトルを危険から救うため、ヒイロ、トロワ、ウーフェイのうちの誰かが現れる。ともすれば三人とも一気に現れる。
カトルの親衛隊である四十人のウシも、カトル様のためならば駆け付けたいと、モオモオ口々に言うのだが、今現在は、やかましいので別の仕事に就かせてある。
カウントシープであるカトルには、同種の仲間はいなかったが、たいそう周りから愛されて育った。カトルは「微笑ましさ」で多くが出来たもののように「なごむぅ~」「いやされるぅ~」「もももぉ~」となると、人を優しい気持ちにさせるような人であった。
みんなが総出で寄ってたかって蝶よ花よと、大切にし成長を見守ってきた。その人は只今独り立ちをして、デュオという人間の元でお仕事に就いている。
カウントシープとは、人を眠りへと誘うスペシャリストである。カトルは現存するカウントシープ最後の末裔だ。非常に珍しくも希少な人なのである。本人の威厳は限り無くゼロに近いが。気にしていないカトルである。
本来は子供の元にのみ行くのだが、ひょんなことからカトルはデュオのところへ転がりこんだのだった。
カトルの容姿はとくれば。まず、着ぐるみみたいな服装(?)をしている。もふもふの着ぐるみが頭をかぶり忘れたようないでたちで「はふあふ」言っている。だけどカトルのすごいところは、着ぐるみのようで、美しいお人形さんのようでもあるのだ。まだ、やや、ふっくらと丸みを残したピンクの頬に、紅もつけていないのに唇は桃の花の色だ。肌はミルク色に、柔らかな感触の中で澄み渡り、髪の色まで淡さに箔を付けるように、美しいプラチナゴールドをしていた。すべてがパステルカラーの乙女色のなかにあるのである。唯一己を強く表現しているのは、宇宙から見た地球のような碧く大きな虹彩をやどした瞳。その前で長い睫毛が瞬きのたびに、パチパチと星を生む。甘ったるい少年の声はカトルによく馴染み新たなおパワーとなっている。
だからウシたちは毎夜どこかで詩うのである。「カトル様、フォーエバー、モモモォ~」と。
めでたいことに、デュオさんもカトルにメロメロである。遊び人はカトルのせいでマイホームパパになった。
カトルの後見人のトレーズの見守る中、デュオに大事にされている。ちなみにデバ亀されているなんて、デュオはまったく知らない。それでも世の中は流れていくのである。
デュオもカトルを一人にしたくなかったのであるが、いかんせん仕事の都合である。泣く泣くカトルを置いて、家を空けることになったのであった。
「寂しくなんて、ありません。えいっ!」
気合いを入れて、寂しさをなぎ倒したとき、寝室に繋がるドアが開いた。
のそっとした動作でカトルがそちらを見ると。
「ああーーーー!」
直ぐに大声を放った。
ドアをくぐり、近づいてくる痩身の人影に、よいせとカトルは立ち上がると、両手を伸ばして駆け寄った。
「トロワだーっ!」
そう、その人は、カトルがデュオに言うところの、キレイなヤギことトロワであった。
ぶつかる勢いで突進したのに、そのままトロワはなんでもないように、ふわりと華奢なカトルの身体を抱き上げた。
カトルが両腕をトロワの首に回すと、頬を触れ合わせハグをする。頬が触れ合うたびに、やさしく、ちくんと胸を刺す。スキ、スキ、スキと音がする。
「トロワー」
着痩せするタイプのトロワは見かけとは違い、ヒイロ、ウーフェイに劣らぬ力持ちだ。
「……カトル」
ああ、その声に、どれほどの想いが込められていようか。切ないほどに、やわりと光る、テノールの腰に来る声が、静かに愛しい人の名を呼んだ。慈しみ、ぎゅっと抱きしめる腕の力強さ。
「何をしていた?」
「お掃除をしていました」
「寂しかったのか?」
「いえ」
ぷいぷいぷいと顔を横に振りながら、けろりと言った。ケロリ、ケロケロだ。
カトルはウーフェイのいうように、しっぽを引いたりはしなかった。弱音を吐くのも嫌い、顔に似合わぬ堪え性の頑固者なのだ。オトコマエなのである。だからトロワはカトルの元へやって来た。愛しくて放っておけなかったのだ。
「眠れないのか?」
ひつじっ子は両手でVサインをつくる。なんとなく指の関節が曲がっていて、へなちょこなダブルVだった。
「二か? カトル」
「あい」
「二十二時間か?」
「違います」
首をちょこんと傾げる。その後、自分の手を見てあぶあぶとうろたえた。立てる指の数を間違っていたのだ。
「こっちは一です」
「二十一時間か」
「違います! 十二時間です!」
「……十二時間?」
「驚きましたかぁ?」
トロワは言葉ごとカトルを抱きしめていた。
「ひゃう!」
「カトル」
寝室へと行き、ベッドにそのまま引きずり込む勢いのトロワにカトルは慌ててしまった。
「と、トロワ?」
「ありえない。傍に居てやるから、ゆっくりと休め」
「トロワぁ! あのですねぇ。眠くないんです」
「無理は?」
「していません」
「辛くはないのか?」
「元気ですよー!」
切れ長の瞳がカトルを凝視する。カトルはこの人の翠の虹彩に弱い。背中がもぞもぞとして、顔が熱くなり身体が火照りだすのだ。
「あのですね、どうせならお話をしましょう」
「それがカトルの望みなら」
トロワの口許に、ふっと笑いが掠めた。世界で一番綺麗な笑みだった。
「カトル、今日は外を見たか?」
「いえ」
「雪が降っているぞ」
「本当にっ!」
「ああ、積もってきている」
「そうですかぁ」
少し寂しそうな声だった。
「行きたいのか?」
「えっ?」
「外に行きたいんだろ」
「……でも」
カトルは着ぐるみもどき姿がお仕事着なので、普通出かけられない。
「待っていろ、カトル」
トロワはそういうが早いが、さっき入ってきたドアの向こうへと消えてしまった。
「トロワ?」
カトルはぺたんと座ったまんま、きょとんとしていた。頭の両サイドにある、新手の付け耳みたいな曲がったツノを、むにょむにょと掻いた。
少しすると、トロワが戻ってきた。用意されたのは、大きな傘と大きなレインコートと、大きな大きな大きな長靴。
促され、恐る恐る長靴に足を入れてみると。
「うおぉぉ! 入ります」
トロワに向けて、てひっ、と笑う。
レインコートを羽織ると、トロワがボタンを留めてくれた。
カトルは鏡に映る自分の姿をまじまじと見つめ、かしかしとツノの付け根を掻いた。
へへへへへと笑っている。おニュー好きなのだ。
「これで出かけられますかー?」
「ああ、しかし、内緒にしておけ」
「どうしてですかぁ?」
自分の愛するカトルを寝不足に追いやった罪は重いのだ。それ以上に奴がカトルにそんなに慕われているのかと思うと面白くない。これくらいの秘密の共有など可愛いものではないか。
きょとんとしたカトルに、トロワは言う。
「理由がいるのか?」
「いりませんか?」
「いらないだろ」
「はて?」
「俺と外に行きたくはないのか?」
「行きたいですっ!」
頭が飛んでいきそうな勢いで、カトルはぶいんぶいんと首を縦に振る。
寝癖のような髪になってしまった。しかし、乱れた髪は、当たり前のような仕種でトロワが手櫛を通してくれる。彼の長い指はそれをするために生まれたように、優しく、優しく、カトルの白金に揺れて光を遊ばせる髪を梳くのだった。
その慈しむような扱いに、カトルはポッと頬を染めた。
「トロワァぁぁ」
とてとてと近くに、めいっぱい近づくと、両手を広げて、がばちょとトロワにしがみついた。一応ひつじなりのハグである。
すりすりと頬とツノをトロワにすりつける。
「だぁいすきです」
自然な呟きだった。
手をつないで、よいしょ。
二人は寝室へと繋がる扉をくぐった。
寝室??
で、どこへ行くんですかーーー??
■FIN■
初出 2007年9月2日
に、少しの加筆訂正をしました。