【DREAM BOAT ~すてきな人~
】 ☆ ☆ ☆
――夜はきらい。おばけが来るから。
そう思っていたら、お鼻のくっつくすぐ近くに、優しい声を出す、自分の持っているドールよりもずっとキレイな人がきた。
あたたかくて、やわらかで。いい匂いのする人だ。
一人で眠れるようになるまで、おばけが見えなくなるまで。
怖いものを追いはらって、ずっと一緒に居てくれたのは、そんなひつじさんだった。
【FAVORITE ~お気に入り~
】 ☆ ☆ ☆
お勤めをして、それなりに遊んで。かなりのイ~イ男(自己申告)だって点を除けば、表面的には至ってフツーに生活しているように見える彼は、少し……いやいや、物凄く特別な事情を抱えていた。
三つ編みにした長い髪が背中で跳ねている。そんな、尻尾みたいなトレードマークを持つ彼の名はデュオ・マックスウェル。まだ十代だが、地球圏統一国家・秘密情報部の諜報員である。
ちなみに秘密情報部とは、ここの一員というだけで、そこの持つ隠れた功績を知る者たちからは、良い意味でも悪い意味でも一目を置かれているという特殊な機関だった。
以前は本業は『ジャンク屋』、副業は非合法すれすれの『運び屋』。という、二足のわらじを履いていたデュオが、裏で協力するならまだしも、そのに正式に籍を置くなど、彼自身、想像もしていなかったことである。
陽気な兄ちゃんにしか見えないデュオは、語る人間が語れば、涙なしでは聞けないような経験もたくさんしていて、生き抜くために険しい道を歩み、裏を見てきた人間なのだ。
「ぅえっ!? オレって結構、苦労してたの? ど~りで人間が出来てると思ってたんだよなぁ~」
おどけて、はぐらかすように笑うのは照れ隠し。だけど、この気持ちもデュオの中では本物。卑屈さのない性分は根っからのものであった。
人間、どこでどう生活が変わるかなんて本当にわからないもの。自分の中の重大ニュースのトップ候補には、この職業替えがあったのだが、それを吹き飛ばす勢いで現れ。ぶっちぎりで首位をかっさらったモノがある。
それはもう、デュオがショック死しそうな愛らしい姿で、現在も彼の家に鎮座している。
と言うわけで、彼のカッコ良いお仕事ぶりは右へ片して、転がり込んできた『特別な事情』へ目線を移そうではないか。
☆ ☆ ☆
『特別な事情』と記していたが、それは〈モノ〉である。もしくは、モノとモノに付属する事柄とでも説明しておこうか。
自分のため、世の常識のため。周囲には悟られずにすめば、それに越したことはないと考えているデュオは、とりあえず自宅へ人は招かないようにした。どんな注意力が散漫な人間だろうと注意を引かないわけがないから。
クローゼットか浴室に隠す手もあるが、長時間になると難しい。
おとなしい性質をしているから、言い聞かせればじっとしているだろうが。隠れている、ソレの姿を想像すると、デュオは平静ではいられない。
手のひらサイズなら良かったのだが、友人が室内を見れば、以前にはなかったものに一発で気がつくだろう。
――そのくらいの大きさを備えていたから。
しかも定位置を持っているわけではなく、自由意志で移動する。
――ここまで言えば、それが生き物であることは察せられよう。
今はあそこ。
ソファーにいる。
それでは、デュオのお家のソファーで、ゆらゆらしているコレについて……。
ソファーに居るものは、『眠り姫のお人形さん』のようだった。
目を閉じて、瞳が見えないぶん、まつ毛の長さが際立っていた。長さだけなら『つけまつげ』要らず。トラブルのない滑らかな肌は、均一なミルク色をして。赤ちゃんの肌の柔らかさを想像させる頬が、心地好さをあらわすように微かなピンクに染まっている。
『眠り姫』じゃないのは――生身の人間には見えないほど――あまりにも、ふわふわしていて、柔らかそうだから。
瞳を閉じて。おとなしくちょこんとソファーに座り、正面を向いているが、体がゆぅーっくりと円を描いていた。
小さく。微かに。首の座りが悪いのか、頭がぐらぐらと揺れている。後ろへぐぐぐーっと、体が目に見えて傾くと、後を追うようにカクンと首も……。
「ん、ぅぅう……」
唇から可愛い声を漏らして。
体勢を立て直したくて体を前へ戻そうとするが、上向いた頭が重くて後ろに引っ張られたまま。時折、横揺れもプラスされてのぐにゃぐにゃとした動きをくり返していた。
――うたた寝中。
とろとろと眠るこれは、本人にとっては眠っているうちに入らない。
「はんぶんは起きているのだから」
半分は眠っているくせに。
こんな勝手な言い分を述べる唇は、とても小さくて。リップクリーム不要の瑞々しさをしていた。
一緒に揺れている髪は、表面で光が踊るプラチナゴールド。少し開いた唇がすぅーっと静かな寝息をたてた。
「ん~んぅ、ぅう……んん」
きゅっと口角が上がると、むにゃむにゃと口を動かし声を出す。これは、「起きよう!」という本人の気合が出す声だ。
白金の髪を持つ綺麗な容姿とは不釣合いな、随分コミカルな玩具。
眠気の波に襲われて……とは言い難い。抗っているようにはまるで見えないから。成り行きに身を任せている。波間でたゆたう心地好さ。うつらうつらとまどろみ、このまま本眠りに突入するのか? ベッドの用意も整えないで。
……と、お節介を焼く寸前に、快調な調子の呼び鈴が室内に響いた。
おおっ!
見たものがつられて目を丸くしてしまうような、大きな瞳が、パッチリと音を立てて開く。
「デュオだっ!」
呼び鈴は「よ~い、どんっ!」の合図だったのか。
「よいしょぉっ!」
のそのそとソファーから降りると、お人形さんはドア目掛けて突進していった。
☆ ☆ ☆
まるで……。
そう、まるで、デュオの帰宅風景は、新婚家庭のソレのようだった。
「デュぅオ~~~、おかえりなさぁ~い」
特大のハートを飛ばした笑みで出迎えられ。
「お~ぅッ、今、帰ったぜ! ん!」
ちゅ。
とっててこ。と、駆け寄ってきたカワイ子ちゃんを抱きしめて、その柔らかな頬にデュオは軽くキスをする。
頬を寄せて音を立てる挨拶ではなく、本当に、チュッ。
「んっ、くふふ……」
デュオをメロメロに蕩けさせている張本人は、デュオの挨拶で体の中、胸がちりちりくすぐったくなると言って、可愛い笑い声を漏らして肩をすくめるのだ。
右と左のほっぺが不平を唱えないように、デュオが公平にキスすると、片目を閉じて、擦り寄るように左のほっぺをくっつけてくる。
「デュオぁ~……」
デュオのぬくもりを確認するように、すりすりと頬をつけて。
どうしてこんなに愛情表現が素直なのだろう。
自然にデュオの表情が和らいだ。
愛想のよい表の貌の裏に、眠ることない冷徹さが潜んでいる。それは本質を見、虚飾に惑わされないため。デュオのいた世界では、真意を嗅ぎ分ける術を持たなければ、生きてはいけなかったから。人と肌を重ねたときでさえ、気持ちの高揚はなかった。デュオは心から笑ったことなどなかったのではないか。
それなのに、ただ、頬を寄せただけで。喜びが、触れたところと体の奥から生まれてくる。
デュオの胸の音を聞いて欲しい。こんなにも透明に響いている。
高い体温がまといつく感覚は、他に類を見ないほど気持ちがいい。これが嬉しくてデュオは悪友達を置き去りにして、飛ぶように帰るようになっていた。だらか、冒頭のそれなりに遊んでというのはすでに過去の話し。
「寝てたろ?」
「ぇえ~っと……、今は起きていました」
だから。うたた寝は眠っているうちにはいらないから、口にした本人は正しいとは言い切れない主張をしている自覚は皆無。
「それまで、ソファーで少し……」
こっちは本格的に寝むっていた時間を指す。
「だよな~ぁ」
くっくっく。と、デュオは喉の奥で笑いながら、小さな背中を押してリビングへと向かう。エスコートしながら見下ろしたプラチナの髪が、寝ぐせをつけていた。
デュオが最近、もっとも嬉しそうに口にする音は、きっと『カトル』だ。
響きが好き。呼び掛けるのが好き。その単語から思い描く全てが好き。
カトルが好き。
デュオは『カトル』が、たまらなく好きだった。
ここまで言えば、『カトル』は勿論、寝ぐせ頭の主のことだとわかるだろう。
とても、清い関係のため同居という意味ではあったが、デュオはこの、カトルと一緒に暮らしていた。
【ASSISTANT ~助人~
】 ☆ ☆ ☆
文句のつけようがない容姿をしているカトルだが、突っ込むのが逆にはばかられるほど、出で立ちは一風変わっていた。
見慣れたデュオはナチュラルに接しているが、簡単に言えば、薄手の着ぐるみ姿で頭部を被り忘れたような格好をしているのだ。
これはカトルのお仕事着。古式ゆかしい制服なのである。
もふもふのボディーをしているから動物。でも、特徴はなくて、なんであるのか、ぱっと見だけではわからない。
では、目線を上に……。
膨れると、
「ぷふぅーーッ!」
と言って、とがる、ちっちゃな口は関係ない。その時、ぷくっと空気を溜める頬も、見惚れていないで無視をして。柔らかな耳たぶだって通り過ぎ。
――発見。
普通の人間にはない代物がここに。
頭部の両サイドに、とぐろを巻いたツノらしきものが引っ付いていた。
キッチンに入ったデュオの背を見送り、任せられた『テーブルを乾拭きする』というお手伝いをカトルは敢行していた。
ぬいぐるみのような手で、不器用そうに両手で作業を行っている。五指が分かれているだけでも有難いと思っているのか、カトルは実に楽しそうだ。
テーブルをスローな動きで、しつこく、しつこく、隅から隅までこすりたおして、満足したのか大きく息をついた。
「ふぅ~~~……」
かわいい人は、ただ一人、清々しい達成感を感じているご様子。
(デュオは「キレイ」だと、喜んでくれるかなぁ?)
という言葉とは違い、すでに、褒めてもらっているシーンを頭に描いてしまっているカトルだった。
……どうも、カトルの気性はのんびりしている。
親父と同化できそうなデュオと、園児を同化できそうなカトル。同年代とは思えない成熟の違い。
デュオの数倍は寝て生きているカトルは、ひっくり返して言えば、デュオの数分の一ほどしか活動していない。人生の大半を眠って過ごしたことになる。デュオの経験値が加算されていく最中もカトルは……。勿論、お互いの持って生まれた性格の問題だが、因果関係がないとは言い難いだろう。
かいてもいない汗を拭う真似事の延長で、カトルは頭の脇にあるものをこする。
カシカシカシ。
瞳を瞬かせながら、手の甲で乱暴に扱うが、位置を間違えたツノ的な耳あては、まったくズレない。
それはそのはず、「らしき」ではなく、ツノそのものなのだから。
よく見れば、コスチュームに埋まってしまいそうな小さなシッポだって、忙しなく振られていたではないか。
それではカトルの素性を明らかにするとしよう。
カトルは《ひつじ》であった。
……以上。
で、終わってしまってはあまりにも不親切なため、少しの説明を加えるとしよう。
《ひつじ》とは、眠れぬ者に安眠をもたらす者である。ようするにカウントシープだといえば、わかりやすいだろうか?
眠りを誘発するために、人の空想の中で柵を飛び越え、メェ~メェ~鳴いてる羊ちゃんではない。それは人々が《ひつじ》から創り上げた産物だろう。カトルは実際に人の傍に寄り添い、人を眠りへと誘う《ひつじ》の末裔だったのだ。
ひつじが出向いていくところは子供のところというのが普通なのだが、手違いがあってデュオのところに転がり込んできた。
本来ならあるはずもないことなので、手違いを一人で起こした(この場合は勘違いというほうがより正確だ)カトルにデュオは感謝しなければならない。
お陰さまで、毎夜、カワイ子ちゃんの添い寝付き。
何もしない。ナニはしないと誓ったデュオからすれば、拷問みたいな風情もあったが。幸せのほうが勝っているから、この関係が破棄される様子はなかった。
今だってこの男、キッチンで鼻唄を歌っているではないか。
ひつじちゃんといえば、デュオの様子をうかがい、もう少し時間が掛かりそうだと判断すると、テーブルにへばりつき、更なる磨きを加え始めた。
おっとりとしているくせに。
その勢いは”拭く“を通り越して。研磨作業の域に突入しようとしていた。
【FLOWER ~はな~
】 ☆ ☆ ☆
乾ききっていない髪の毛はすでに三つ編みに纏め、デュオは冷蔵庫から取り出した紙パックの牛乳で喉を潤している。コップも使わず……なのは、当然。
今、テレビのスイッチを入れればニュースの時間。
夜遊びにばかり興じていた男が帰宅していうる時刻とは思えない。
「え~っと……」
デュオが遣り過ごしたことはないかと、辺りを見渡していると、でっででっでででっ……と、足音がして、それは背中に激突して止まった。
「デュオっ! 寝ますかー?」
「カ~トルぅ……」
飲んでる途中だったら噴き出してるぞ、って言葉は「うへへへへ」と可愛く笑っているカトルに叩き伏せられ、口の中で音にはせずに唱えられた。
こんな笑い方でも可愛いんだから……デュオは困っているわけだ。
カトルあるところ物音有り。忍び足で歩くカトルが一度でいいから見てみたい。子供靴で音の鳴るものがあるが、カトルも「ここにいます」と周りにお知らせしながら歩いているようなものだ。
再度。
「眠りますかー?」
カトルが「寝ましょう」のお誘いにしか聞こえない声を出す。
ぴたりと張りついてくるカトルは、この時間にしては、おめめがぱっちりしている。そういえば、目をこする仕種も今日はあまり見ていない。
(ははぁ~、こりゃあ相当寝貯めしたな~)
デュオがそう考えるのは当然だ。
一時間後に熟睡していない保障はないがと思い、デュオは唇を上げ笑みを作る。
「さて、カトルのお誘いもあることだし、そろそろ移動しますか」
伸びをして肩を回していると、カトルは小首を傾げ口を開いた。
「痛いのですか?」
「い~や、一日、閉じ込められてたから鈍ってるだけ。人使いが荒いんだよホントに」
世間が平穏なのはいいことで、デュオも最近は、普通のお勤め人のような生活をしていた。
しかし、上司もくせ者で、残業を見越しているとしか思えない量の仕事をこしらえてくるのだ。カトルが待つ我が家へとっとと帰宅するため、なにがなんでもそれを定時でやっつけているデュオが楽なわけはない。
しかも能率がいいから、どんどん仕事を回されてしまうという、借金をかえすためにまた借金をするような、憐れな図式が出来上がりつつあったのだが。
「おつかれさまです。お仕事たいへんですね」
カトルは大きな瞳に優しさを湛えて、いたわりの言葉をくれる。
こうして思いやってくれるカトルがいれば、苦手なうちにこもったデスクワークも屁とも思わない。
「いぃ~やぁ。そんなことねぇよ」
カトルを安心させるように、髪が音を立てるほど、大きく首を振って、デュオは口端を吊り上げ破顔する。
揺れたデュオの三つ編みを目で追って、カトルは胸を撫で下ろした。
「よかった」
何よりの報酬だとデュオが思っていると気づきもしないで。間近で見たデュオの笑顔に、心底、安堵したようにカトルは微笑むのだ。
「デュオは、がんばり屋さんですね」
「お、オレがぁ?」
人にねぎらわれるのが照れ臭くて、語尾を上げ否定の意味を込めてデュオは言った。
「はい。とても、しずかに、がんばっています」
自信に満ちた表情でカトルは言い切る。
知っている。
この、ぼーっとしていそうなカワイイ人は、上辺ではなく土台をじっと見つめている。
「口数が多いってのは、よーく人から言われるけど、オレが静かだってのはないだろぉ!」
「いいえぇ。いつも笑ってくれるデュオは、とても強くて、やさしくて。ぎゅって、なにも言わずに、がんばっています」
どうして、胸の奥まで満たす言葉をくれるのだろう。
唇を「んっ!」と結んで、カトルは強く両拳を握り、少し前のめりになると、力を込めたポーズをとる。頑張っている『ぎゅっ!』なのだろう。
「ぼくはそんなデュオがとても、大好きです」
そして、見事に止めまで刺す。
「カトル、駄目だって。……オレ、イイ男が台無しじゃねぇか」
表情を引き締めたいが、緩んだ顔はすぐには元に戻ってくれそうにない。
デュオのキャラをもってすれば、にやけていたってイイ男なのに。
好きな子にはカッコ悪いところを見られたくないなんていう、せつない男心もお構いなしに、カトルはデュオの腕を引いてくるわけだ。
「一緒に寝ましょうー。ね。寝る時間ですよ。――先に枕をならしていたんです。きっとデュオの頭の形に調度良くなっていますよ。寝つきがよくなるといいんですけど……」
これじゃあ、愛嬌にものを言わせた脅迫だ。
「デュオがくれたぼくの枕も一緒に入れていいですか?」
「入れるって布団の中に? カトル、お前、枕をオレとカトルの間に入れるつもりじゃないだろうなぁ? そりゃー却下! とんでもないことだぞ!」
「とんでもないこと?」
それはきっと、おもしろくないこと、と言うほうが正しい。
『ぼくの枕』とは、先日カトルにデュオが買ってやった抱き枕のことだった。
デュオがシーツを買いに入ったショップは寝具専門店で、ベッド回りを彩る照明、安眠グッズに至るまで、つい衝動買いしてしまいそうな細かなものまで取り揃えられていた。
デュオの興味を引いたのは抱き枕。
シンプルなデザインのものから、独特の曲線を持つもの。心地好さを追求した機能的なものまで、幅広い品揃えがされていた。
充実したその中で、ことさら多くの女性が黄色い声を上げ、品定めしていたものは、動物がモチーフになった抱き枕だった。
「いや~ん、かわいーっ!」
(嫌ってことはないだろ)
デュオは被っていたキャップのつばを下げ、苦笑の浮かんだ表情を隠す。
オーナーの趣味でこのショップが『動物抱き枕』に特に力を入れているとデュオが知ったのは、隣で枕を吟味していた二人連れの女性たちがそう話していたからだ。
彼女へのプレゼントを選んでいるように見えるだろうが、女性客とカップルが占領したそのコーナーの前で、男一人のデュオは浮きまくっていた。きっと、デュオが立ち去ったあとに、女の子に話のネタにされるに決まっている。
立ち去ろう。
デュオがきびすを返したときに、ウォーターベッドに、でろーんと寝そべっているヒツジと目が合ってしまった。
(ディスプレイ……か?)
横目でもう一度、抱き枕コーナーを見るが、数ある動物の中にそいつと同類のやつの姿はない。
まるで喧騒から逃れるように、撫で回される心配もないそこで、のん気に構えている。
他のものなら素通りしていただろうに、どうしてよりによって、ヒツジだったのか。
ヒツジに目尻が下がる思いがするのは、カトルのせいだ。
どんな“ぶちゃいく”なカオだって、ヒツジだと思うだけで、特別なモノになってしまう。カトルの湖みたいにゆらゆらした碧い瞳がデュオの脳裏にこびりついているから。
「あの、これって売り物?」
食い入るように見ていたせいか、店員がタイミングばっちりに声をかけてきたとき、デュオはヒツジを指さしていた。
(これで多少、カトルもオレがいない時も寂しくないかな)
こんな大きな贈り物を人にするのは初めてだ。
すれ違う人が中身を知るわけもないのに、包みを抱えて歩いている間、妙に気恥ずかしかった。
プレゼントした抱き枕を、気に入ってくれているのは嬉しいが、そんなものを挟んで川の字で寝るなんて……。
「真ん中はぼくです!」
「真ん中ですって、カトル、お前……」
カトルはにっこり微笑むが、デュオには何が楽しいのかわからない。
わかるのは、
(……カトルは可愛いわけよぉ)
ってこと。
苦笑しているデュオの手を引いて、カトルは寝室にまっしぐら。
ふわふわと揺れているプラチナの髪。カトルの飛ばす音符が、後ろをついていくデュオの頭の上を跳ねていく。
「よっと」
「おょっ?」
デュオは脇の下から腕を回して、カトルの体を持ち上げた。
芯は細くて小さな体。着ぐるみ越しだってこうしてちゃんと抱きしめれば伝わってくる。見た目より軽い感触は、子供を抱いたときのその感覚と同じだ。
小柄なカトルだけれど、子供と同じ扱いをされては「そんなに小さくはありません!」と抗議することは目に見えている。たしかに身の丈だって、小柄なオトナくらいはありましょう。
笑い合う声を従え、ゴール地点でデュオはカトルを横抱きにすると、ベッドにそろりと下ろす。これは過剰サービスだ。
デュオはカトルの体に添えていた腕をベッドについた。
その両腕の間で、もそもそ動いて、座りなおそうとしている愛すべき人の頬に、デュオは軽く口づける。これがサービスとして許されるのなら、夜、看板に明かりが灯る特殊な職業に違いない。
薄ピンクのマシュマロみたいな頬をカトルが手でこする仕種をとるが、拭いているのではなく感触を確認しているのだとデュオにはわかる。
「おっと、チップはいらないぜ」
「ちっぷ?」
「チップ不要。……感謝の意思表示なら、キスしてくれればいい。ここにチュッとね。――このセチガライ世の中でタダときてる。ダテにイイ男じゃないねぇ~。太っ腹だろぉ? しかもこれ以上の表現はない、だろ?」
体温まで伝わるような近くで見つめるデュオの瞳は魅惑的だ。瞬きすらしないデュオの大きな目は、カトルの柔らかな光を宿す瞳とは違い、威圧すら与える鮮烈な強さを感じる。
「えぇえ~とぉ……。デュオ。とても、早口なので……」
しどろもどろのカトルがデュオの話を理解できなかったのは、気圧されてしまって、耳元で心臓がバクバク鳴っていたから。
一言、一言、噛み締めていたってわかったのか怪しいのは、カトルがデュオのペースに目を回すことがよくあるからだ。
「だけど、ありがとうの気持ちは、キスをすればいいのだということはわかりました。ぼくもそう思います」
ゆるゆると伸ばされた両手がデュオの肩に乗せられて、上向きすぎた角度のせいで尖らせた下唇だけが、デュオの焼けた頬にぶつかった。
微かに。
「ぅおっ!?」
瞬間、デュオの体が退く。
反射的に抱きしめてしまえるほど心に余裕がなかった証拠だろう。
嬉しさによる驚きでも、体は逃げてしまうものだと、デュオはこれを反芻したときに学んだ。
今はまだ茫然。
体の中がブルブルするような感激がはしっている。
すぼめていたって、柔らかいものは柔らかい。カトルのあっちこっちにキスをもう、五百回はしたデュオだったが、カトルからというのは……。
(カトルといるとガキみたいになっちまう……)
例えさえ思い浮かばない。こんな威力を持つものが他にあるか。心音はうるさすぎて耳鳴りみたい。
世界中の人に『宇宙一の色男!』とヨイショ……もとい、認められたって、右から左だろう。
頭のツノを照れ臭そうに掻くカトルは、笑みを浮かべている。
「デュオは大好きです。キスをさせてくれるから」
デュオの頭の中は、調子の悪いレコードみたいに同じところで針が飛ぶ。
――大好きです。
――……大好きです。
――……大好き、です。
「オレだって百回だって言ってやる! カトルがいっちばん好きだって!!」
瞬時に何度「大好き」だと、くり返された結果、飛び出したデュオの言葉だろう。
よくよく注目をすれば、言い回しに引っかかるところがあるのだが。
昂揚したデュオは気に止めなかったが、もしそこをつついていれば。
『させてくれない人もいるんです。とても、仲良しなのに……』
こう言っていたに違いない。そうなれば心中穏やかじゃなかったろうが、有難くも平和的に話は進み。二人は眠りのエキスパートであるひつじのカトルが、単なる好みでセッティングしたベッドへと入った。
替えたてのシーツはデュオの見立て。
さすがデュオさん。カトルの可愛い顔立ちが際立つものを選んだと、自己満足の自画自賛。
デュオがベッドを見るときには、付属品のようにいつもそこにカトルがいて、ごろごろ転がっていたりする。
カトルの好きな色は?
イメージに合う色なら、パステルカラー。淡いピンクにブルー、イエローなんかも、ふわふわしていてなかなかのもの。ふんわりとしたやさしい色彩はカトルの色だ。
昨日までの殺風景な真っ白なシーツは、それはそれで清潔感があってよかったのだが。どうせなら……。
ベッドはカトルの背景の色。だから、当然のようにデュオは、自分のベッドだということは忘れ――カトルの視界に入るシーツの色と自分のビジュアルの相性はそっちのけで――カトルがより可愛く見える色を選んできた。
遠慮したのか、ヒツジの抱き枕は、掛け布団の上でのびている。デュオの心中を察したのだろうか。
カトルには悪いとわかってはいるのだが、すぐに「ぐぐぐぅー……」とはいかないデュオ。
人を寝かしつける職人のひつじでも、デュオという子供よりも相当に始末の悪い輩が相手では、横になるなり寝かしつけるわけにはいかない。
ベッドに入って照明を消して、
「さぁ、目を閉じて……」
と言っても無理なので、ベッドサイドの灯りはまだ、燈したまま。しばらくは、お話の時間。
「デュオは力持ちですね」
軽々と自分を抱き上げた、さっきのデュオを思い出しているのだろう。
「カトルが軽いんだよ。中身、空っぽみたいにさ」
掛け布をカトルの肩に掛けながら、デュオはニヤリと笑う。
「……ああ、よかった。頭がカラッポだと言われなくて」
その場合、褒め言葉ではないと、ひつじちゃんでもご存知らしい。
「のーみそはピンク色してそうだけどなぁ」
「ぅう……デュオ、こわい。……ちょっと、想像しかけてしまいました……」
「生々しい想像してどうすんだよ~。こういう場合は頭のてっぺんに花が咲いてるようなのを想像すんの!」
「とても、かわいいですねぇ~」
何を想像しているのやらカトルは手を叩く。上がる音はパチパチやペチペチではなく、空気をたらふく含んだ、ぱふん、ぱふん。着ぐるみもどきゆえ、そうなるわけだ。
目の前で生まれた風にデュオは目を寄せた。
カトルの髪に花飾りなら、さぞ、似合うだろう。
デュオ好みの色調を背にした真横にあるカワイイ顔を見ながら、その光の波の重なりのような綺麗な髪に花を一輪添えてみる。
「カァ~~……可愛いじゃねぇか、まったく……」
ならばもう一輪。一花咲かせて、さらに一輪。可憐な蕾の姿もいいか。
それならば、ココにもソコにもアチラにも。このゴージャスさなら花冠。ツノの魅力も損なわれぬよう、デュオの気遣いと愛の溢れるカトルのためのスペシャルバージョン。
「かぁわいいわぁ~~……」
デュオはベッドに突っ伏して、肩を揺すり出したと思ったら、そのまま自分の想像に耐えかね大笑い。
「ふゃぁっ!」
びっくりしたのはカトルだ。横でおなかを抱えて笑い出したデュオを見て、
「すごいデュオ。『抱腹』ですね」
……ごっくん。
固唾をのんだ。