「ハッピーシープ 6」「おうよ! オレがいつかは天国見せてやるよ!」
オレ無しではいらんねぇようにしてやるよ。なんて色っぽい意味あいの言葉に、満面の笑みのなか、カトルは大きく頷いた。
「デュオといれば、天国よりも、しあわせです!」
首を縦にぶいんと、「うん!」ってね。
至福のなか、微妙にズレてるふたりだった。
デュオはジャンク屋をしていたが、紆余曲折あったすえ、縁あって現在は地球圏統一国家・秘密情報部の諜報員をしている。
カトルと暮らして幾月。
最近は安寧で、ドタバタするような事態には遭遇していない。
そう、たとえば、カトル様の護衛との戦闘とか。
だから、ほとぼりさめて、ちょっと思った。
「しっぽってまだブザー?」
「しっぽ? しっぽ? ブザー?」
「引っ張られたら、ピンポーンって、まだ誰か来んの?」
きょとんとした顔でカトルは言った。
「ひいてみますかぁ?」
「いい! いい! 引かなくていいって!」
デュオは、ブンブンと首を横に振った。
警報器の役目になっているなんて知らなくて、過去にカトルのしっぽを引っ張って(イタズラして)しまったおかげで、メルヘンの国からの使者である、カトルの護衛その一のヤギのヒイロに、ムチでしこたましばかれたことがある。しかも来るのはヒイロだけではなくて三人。同じくヤギのトロワという奴とウーフェイという奴がいて、三人がランダムに遣って来るらしかった。
トロワとも正面きって対峙したことがあったデュオだが(カトルの前でするには、キワドい大人の舌戦を繰り広げはしたが)こっちとは遣り合ってはいない。脚の長さがやけに目に付く、モデルが霞みそうにスタイルのいい、感じの悪いスカした野郎だった。ちなみにトロワの得物は超ロングサイズのムチらしいことを、そいつが腰に帯びていたので覚えている。ヒイロの物は、スズメのガッコの先生サイズ。ムチをふりふりちぃぱっぱだ。あんな避けても掴んでも、しなって攻撃してくるような厄介な得物遣いと遣り合うなんて、真っ平ゴメンだった。もうあんな思いは結構だ。
でもデュオはカトルがあったかいお日様よりも眩しくて、大好きで、どこのセクシーなボインちゃんより、貧乳カトル(男の子だから当然である)を愛していた。
愛すると欲しいのである。何もかも。貧乳だって(擦ってるように見えたって)揉みたくなる。生まれる独占欲。だから、カトルのためならば何度だって戦ってやる。
裏の世界も見尽くしてきた自分に、そんな人並みの感情があるなんてデュオは思ってもみなかったが、カトルと出逢って芽生えた恋心。このどうしようもなく愛くるしいカワイコちゃんを、手に入れたかった。生まれたのは純粋な、自分だけが占有したいという気持ち。
――オレだけのモノに、したい……。
脳みそ三歳児みたいな動きで、漢字検定一級所持者みたいな単語を使うカトルのアンバランスさも可愛くてしかたないと思っている、デュオの心は愛と恋という名の想いで腐食されていっている。
だって、しっぽ触んないから、
「カトル、イイコトしようぜ!」
って、下心満開で言っても、にこにこと、お花の冠よりも可愛い笑みで、
「善いことですかぁ? デュオとならしますよ、すぐに。では、はじめますかぁ?」
とか、信頼に満ちた眼差しでデュオを見つめ、あっけらかんと返してくれるので、あまりの無垢さに、さすがのデュオさん良心痛んで、手が出せずに今日に至る。
きっとカトルは公園のゴミ拾いとか、デュオが善行を行おうと誘っているとでも思っているに違いないのだ。カトルの思考は恐ろしく平和なものであるのだから。『オレの気持ちを察してくれっていうのは、無理な相談なんだな……』と、デュオはいつも思うのであるが、果敢なアタックを止める気はない。『だって、カトルちゃんカワイイんだモノ……』野生と本能が止めさせてくれないのだ。
デュオさんがメロメロになっているカトルの容姿は、その胸の裡同様、花の子ルンルン♪という響きよりも愛らしく。外気に晒すのが勿体無いようなミルク色の肌は、裡からほんのりピンクを透かして、ほっぺは桜色。人を疑うことを知らない無垢な瞳は、美しいと思う地球の碧をしていた。プラチナゴールドの髪はきらきらと眩しく光を抱いている。
着ぐるみもどきのもふもふした制服からやっとこさ出た手を握ると、デュオのものよりも本当に小さくて、わきわき指が動くだけで感動と愛しさで、胸がいっぱいになる。
「カトル、好きだぜ」
想いを告げると。
「ぼくも、デュオのこと、大好きです」
頬を染め、はにかみながら伝えてくれるカトルの言葉は、真っ白で嘘偽りがない。
「で、お姫様、そろそろいいんじゃない?」
片方の口角だけを上げ、ニッと笑ってデュオは言った。
「おひめさま?」
くるっと背中を見せると、小さな小さなしっぽをふりふり、カトルはお気に入りのベッドの掛け布団の膨らみを、ぱんぱんぱふぱふ叩きまわす。どうやらお姫様をお探しのご様子。乱暴ですカトル様。
デュオの愛しの君であるお姫様はたった一人、カトルしかいないのに、何にもわかっちゃいない。
「カトル、カトル、そんなところに誰も居ないって!」
デュオはベッドに撃沈してしまう。
それをなんと取ったのか、カトルは瞳を輝かせ、姿勢を改める。
「寝ますかー?」
「……はい、はい、寝ますよぉ」
いつものカトルのやわらかい笑顔に、とほほムードで『萎える』と思いつつデュオは答える。
「カトル、おいで」
「あい」
こくんと勢い良く頷いて、先にベッドに横になったデュオの傍らに、カトルがいそいそと遣って来る。身体をぴとっとくっつけて寝ると、カトルがデュオの頬に、やわらかなほっぺで、すりすりと頬擦りをした。
「デュオ、大好きです」
「オレもカトルのこと大好きだぜ」
カトルのやわらかで心地よい感覚に目眩がする。
すぐ近くにある顔をまじまじと見て「カワイッ!」と、鼻血を抑えつつも、カトルに対してはスキンシップ過剰が信条のデュオは、ちょこんとした鼻の頭と、滑らかな頬と、まなじりにキスをする。
カトルは鈴を鳴らすような綺麗な音を立てて笑った。
ドクンと心臓が鳴った。
『ダ、ダメだ。オレってケンコーなオトコのコだわぁ~』
血流が大きく流れたのは、もそっと下のほうも。
それを隠すためではないが、デュオは全てを外気から遮断するように、ふたり一緒に一枚の掛け布団をかけた。あたたかい空間が生まれると、そこはまるでふたりだけの世界のようでほっとする。
鼻孔をカトルの甘い芳香がくすぐる。
華奢な背中に腕を回すと、くいっと抱き寄せた。
「ひゃふ」
なんだか「アンッ」じゃないマヌケな反応の声が、凶悪に胸倉を掴んだ。
『ダメだ! オレ、末期。猛烈にカトル可愛いんだもんなぁ。萌え死ぬ!』
そんな思いを抱えるデュオのことなんてカトルはお構い無しに、
「では!」
はふっと息を大きく吸い込むと、可愛い口唇でカトルは言った。
「ひと~つ。……ふたぁ~~~~つぅ」
みっつ。よっつ。数字を数えてカトルはデュオを眠りに誘おうとする。これがカウントシープであるカトルのお仕事なのだ。毎晩毎晩デュオはこうしてカトルにカウントされている。
本来は、子供相手の仕事なのだが、青年であるデュオのところにカトルが勘違いして転がり込んで来た。お子ちゃまのようには素直に寝付かない、元来夜行性のデュオ相手にカトルは、毎日まじめにマイペースにお仕事に勤しんでいるのだ。
「くはぁあ」
とカウントの合間に欠伸をしたせいで、潤んだカトルの瞳を見てデュオは思う。
『ぐおっ! カトル可愛すぎるぅぅぅ』
末期のデュオは、毎夜理性と戦いながら、力尽きて眠るのであった。
そんな、のーてんき百パーセントのひつじちゃんが、長い出張から帰ったら、猛烈な勢いで玄関に駆けてきたのだ。こんな早く動くカトルを見るのはデュオは初めてだった。
「デュウオオォッ!」
タックルする勢いで突っ込んできたカトルを、デュオは難なく抱き上げた。
「どうしたカトル、元気だなぁ?」
デュオの首に掴まったカトルは、そこに顔を埋めたまま、ぐりぐりと頭を動かした。
「カトル、ただいま」
「…………」
「カトル?」
顎に当たるプラチナの髪の感触を心地良く感じながら、ことさら優しい声で呼ぶ。
「……デュオぉ」
その声はまるで泣き声みたいに力なくて、デュオを驚かせた。
「何かあったのか……」
一瞬で渇いた喉が張り付く感覚。自然とデュオの声を険しいものにさせた。
ドールよりも可憐で可愛いカトルが腕の中で震えている。
デュオが抱いたのは最も忌まわしい想像だった。誰かに何かをされたのか?
カトルほどの美貌だ。自分の留守を狙って、よからぬことをしでかす奴なんて、五万といると思った。世界に百人のデュオがいたら、九十九人はそうする。残る一人は、今、小刻みに震える、小さな身体を抱いてここにいるデュオさんだ。
「デュ、オ……い、たい」
自然とカトルを抱く腕の力が強いものになっていた。
「す、すまないカトル。苦しかったか」
カトルはふるふると首を振る。
「……より……いい」
「え?」
聞き取りにくくて、思わずデュオは疑問の声を出す。
「デュオ、が……いない、より、いい、です。……デュオが……いない、ほうが……ふぇっ、くるし、い……ふっく」
泣き声だった。
「カトル」
不謹慎かもしれないがデュオは強い喜びを感じた。身体が震え出しそうだった。同時に湧き上がるのは、愛おしさ。
「……カトル」
「デュ、オ……、さみし、かった、です。デュオぉ。……デュオが、いなく、て……ひとりで、さみし、かっ、た。……おるす、ばん、できないと、……ぼくの、こと、きら、い、に……なり、ます、か?」
「バ、バカ言え」
留守番なんてそんなの関係あるわけがない。ただあるのは、自分の留守にカトルは心細い思いのなかにいて、帰りをひたすら待ってくれていた健気な姿だ。こんな愛しく、胸を駆り立てる存在がこの世にあるのだろうか。
人間誰もが独りだと思ってきた、デュオの渇いた心に、カトルは、いろんな花を咲かせる。カトルを愛おしむ心。カトルだけを愛する心。結局「カトル」なのだが……。
「オレ、カトルのこと、愛してるんだぜ。寂しかったんだろ」
「……はい」
「オレのこと、待っててくれてたんだろ?」
「……は、はい。待って、いました」
詰まりながらも、素直に返答する。
お互いの顔の見える距離まで離れると、デュオは、ぽろぽろと泪を零すカトルの顔を覗き込んだ。
いっぱい泣いた証拠に、可愛らしく鼻の頭が朱くなっている。大きな瞳はゆらゆらと、絶える事無く雫を生み続けている。その清らかな姿に圧倒される。なんて綺麗に泣くのだろう……。
寂しくて胸がきゅうきゅう痛んでカトルは泣いているのに、そんなことを思うなんて、不埒者だろうか。でも、偽れない想い。
「カトル」
ふにっと優しく両手で頬を包み込んで親指で泪を拭う。それでは追いつかなくて、デュオは顔を近づけると、そっと、口で泪を吸った。
「ひゃ」
目元の泪を舌先で舐め取る。
「カトル」
「デュ、オぉ……」
デュオは一本指を立て、カトルのふっくらしたピンクの小さな口唇に触れた。
「いいか?」
キスしても。
カトルが家に来てから顔やそこいらに、二万回はキスしているデュオだが核心には触れていなかった。操を守るみたいに、触れてはいけない場所な気がして。軽いスキンシップの延長では決して触れられなかった聖域。神秘の口唇。
それなのにカトルは泪が止まらなくて、すんすん云いながら、首を傾げてこう言った。
「……ないしょ。ですか?」
『シーっ!』てこと。と、思ったようだった。
こけたのはデュオさんだ。
「カトルうぅ」
「ぁい!」
瞳を瞬かせながら、お利口な返事をする。
『なんでそんなに、カワイイんだよおぉーーー』
心の中で雄たけび、デュオはカトルの肩に額を乗せると脱力した。
「カトル言ってくれよ。オレが居なくて寂しかったって」
その通りなのだから、こくんとカトルは素直に頷く。
「はい。デュオが、いなくて、すごく、すごく、さみしかった、です」
耳に心地良いボーイソプラノの声を聴きながら、蕩けそうにやわらかな髪を梳き、覗いたおでこにデュオは自分の額をくっつける。
「寂しかった?」
「はい」
必要です。ぼくにはあなたの存在が必要なんですと、合わせたおでこからカトルの心が、感情が、流れ込んでくるようだ。こびりついた闇が浄化されるように、デュオの心は光に支配されていく。
「カトル、オレも寂しかった」
「ぇ? デュ、デュオ、も?」
眼を真ん丸にしたカトルは、袖を握って、ぐうにした手に力を込める。
「ずっと、カトルのことが頭の中から離れなくて、寝ても覚めてもお前のことばっか考えてた。カトルのことしかなかった」
「ぼくも、ずっと、デュオのことを……考えていました。デュオに、早く、逢い、たくて……ほとんど、眠れませんでした」
「え、ええーーーーッ!」
「ひゃうぅーーー!」
デュオの放った大声にびっくりしたカトルは、悲鳴を上げた。
カトルが大きな音を怖がることを忘れたわけではなかったが、カトルはカウントシープで日の四分の三以上でも余裕で寝るのだ。寝ている合間に起きているようなカトルが眠れなかったなんて、衝撃的すぎて信じられなかった。
「なんて可愛いこと言ってくれるんだよ。この、ひつじちゃんはよう!」
デュオは驚愕を隠すように片手で口元を覆った。
カトルはというと、ちっちゃくなってうずくまると、ぶるぶると震えている。
デュオは自分のあるまじき失態に焦るわけで。
「ゴメン、ゴメン、カトル、すまなかった。大声出して悪かった。怒ってんじゃねえんだから、怖がらないでくれよ」
デュオは、カトルの頭の両サイドにあるチャームポイントの、くるっと曲がった(添い寝する相手のことを考慮してそう進化した)クッションみたいにやわらかなツノの根元を、こしょこしょと掻く。
「きゃうん! ぅんン!」
むずむずして気持ち悪くて、カトルは守るように両ツノをサイドからクラッシュすると、デュオさんのイタズラする魔の手から逃れようと、もじもじと身もがいた。
ここはカトルの性感帯なので(だと、デュオが勝手に判断したのだが)普段は何をしても意外と、ニコニコと笑っている、なすがまま子さんのクセに、そこに触ると珍しく「いやいや」と抵抗するのだ。
厭々するカトルも嗜虐心を刺激されて、デュオは好きなのである。
舌っ足らずな甘い声も、カトルは全て全てがデュオのツボを刺激する人だった。自分がいたいけなひつじっ子を狙う悪いオオカミだと自覚するとき。
『ヤりてぇ~~~~……』
心からの叫び。
少しで良いからあの匂い立つような、新雪みたいな真っ白な肌に、触れて味わって花咲くような紅い所有痕を残してみたい。
それから、ちょおっと、自分の身体の下に組み敷いて、泣かせてみたい。……ホントは、かなり。
『うわぁぁあーーーーッ。悪いオオカミが居るぅーー』
と、自分の妄想にデュオは無意識で両耳を押さえる。
「デュオぉ?」
カトルは不思議そうにデュオを見上げて、小首を可愛らしく傾げた。
妄想のネタになっているとは知らないのだ。実に哀れである。無垢なひつじっ子を捕まえて、本当に悪いオオカミだ。
デュオは『うるへぇ!』と思う。
自分はカトルの着ている着ぐるみもどきの、後ろのファスナーをジジジジジィと、頼まれた以上に下ろしたことはあるが(あの肩の滑らかな肌質が忘れられない)眉間に縦線ねじ込んだヤギ公なんて、話し合いと称して個室に篭って、カトルを泣かしたことがある。あの、ヒイロって奴はむっつりスケベだと思う。オープンスケベが言うのだから(根拠のない断定ではあるが)間違いない。長身の無表情のヤギのほうもきっとそうだ。まだ遇ったことは無いが、ウーフェイというヤギも、きっとむっつりだ。むっつり三兄弟なのだ。ヤギむっつり説はきっと当たっているとデュオは結論を出す。そうだ、そうに違いないとデュオは思った。
そう思うとムカついてきた。人懐っこいカトルのことだ、ヤギ公相手にも『抱っこしてください』なんて、ハートマーク付きで可愛らしく、上目遣いでお願いしていたのだろうか。ああ、いじめたくなる……。
『ああーああー』と、不機嫌な思考を抱いてデュオは、うずくまっていたカトルを軽々と抱き上げると荷物も置き去りに、ベッドルームに移動して、とりあえず一緒に布団に入った。
機嫌が悪くともデュオにこの人を無視することなんて出来ないのだ。それはだって、骨抜きだから。
陣地であるベッドに戻って少し安心したのか、カトルが、もぞもぞと身じろぎながら、身体の力を抜いていく。
ちょこんと掛け布から下界を覗く。大きな瞳が前髪の隙間から、おずおずと周りの様子を伺っていた。
「カートル」
陽気な声で名を呼んで、デュオはカトルの頭をぽふぽふと叩いた。まあ、叩くというより撫でるだ。ゆっくりと髪の毛を撫で付けるので、ちいちゃくなぁれ。ちぃーちゃくなぁ~れぇ。と唱えているような撫でかたではある。
デュオの手がくるたびに、カトルは閉じてしまった目元にぎゅうッぎゅうッと力を込めた。
「ドキドキは止まったかぁ?」
言われてカトルは両手をきゅっと胸元に当てる。
とく、とく、とく。
「ああ」
「怖くないだろ?」
デュオの魅力的なコバルトブルーの瞳をカトルはそおうっと見つめる。視界の中のカトルは口元が少し緩んで、物言いたげにも、間抜けなだけにも見える。ようは、受け取りようだ。
デュオにはもちろん、声にはしていないカトルからの、感嘆の溜め息が聞こえていた。
「な。オレと居れば怖いものなんて、なんにも無くなっちまうだろ? カ~トル。なんとか言えよぉ」
「デュオぉ」
布団の間から手を伸ばして、カトルはデュオに向かってもみもみっと五指を曲げてみせる。
「ぁぅ、ぁぅ」
愛しいカトルの声と手招きに、デュオは見事なほどに一本釣りされる始末だ。
自分も手を伸ばすと、カトルと指と指を絡めた。
それは正解。思いが通じたようで、五指を絡め、むいむいとしながら、カトルは満足そうに「くふふ」と微笑む。
触れ合う体温を楽しんでいる。
「デュオの手は、大きいですねぇ」
いつの間にか包み込まれてしまっていたから。
「おかえりなさい。デュオ。お仕事ご苦労様です」
「おお、ただいま」
「やっと、言えました」
にっこりと微笑んでカトルは「ふへへ」と笑った。
デュオを寝かしつける使命のもと、カウントを取っていたカトルが、いつの間にか、デュオにくっつき眠っているのを見て、
「こら、カトル! オレ以外の奴には、もう甘えんじゃねぇぞ!」
と、小声で悪態をつく。
ふにふにのほっぺを人差し指でちょいちょいとつついても、微動だにせずひつじは眠っている。
規則正しい微かな寝息が、カトルが安らぎを得たという証拠なのだろう。添い寝のプロのカウントシープだけあって、寝相が良くて、いくらイタズラしてもお人形さんみたいに動かない。本物のドールのように綺麗だ。デュオはカトルの髪の毛で、小さな三つ編みを、すでに七つ作っていた。
あと知っているカトルの可愛いところは、身体がすっごくやわらかいこと。男一匹デュオ・マックスウェルは「えっち」だと思った。「この人、サイコ―、体位無限!」と思ったのだ。アホである。口唇にキスもできないでいるクセに、妄想ではもう「ぼくをデュオの好きにしてください」「無制限で戴きます!」と、両手を合わせて合掌。ってな、仲だった。
夢オチを何度見たか。それでもあの時見た、うなじの色っぽさには敵わなかった。どんな妄想も色褪せる、カトルには媚びない無意識の艶がある。どこまでも純真無垢なのに、なにより蠱惑的だ。口を開けば「寝ますかぁ?」で、緊張感皆無だが、幼稚園児のお遊戯を見ているよりも微笑ましい。
「おお、やべぇ、便所、便所」
親馬鹿みたいなにやけ面で、カトルのあどけなさのまだ残る寝顔を見つめていたら催した。カトルを起こさないでベッドを抜け出すのは容易い。もともと眠りの国の住人みたいなひつじは、眠りに対して貪欲だから。
言ってみれば人間の三大欲の睡眠だけで、できているような生き物なのだ。眠りが血となり骨となり、あらゆる組織を形作るのだという。カトルは恐ろしくメルヘンな国の人だった。
食事も摂らなくていいカトルだが「デュオのマネがしたいから」とデュオの胸をくすぐることを言って、食事のときは両側に取っ手の付いたマグカップで、水をあぐあぐちぴちぴ飲む。そんな発想を持つカトルが愛しくて堪らない。
いつも家にいるときは独り飯だったデュオだが、今では目の前に癒し系のカワイコちゃんが座り、その人が、にこにこ笑って「おいしいですかぁー?」と、話しかけてきたりして、食事を楽しいものにしてくれるのだ。
「カトルと食うと何でも旨い!」
と、答えると、花が綻びるように艶やかに微笑んでくれた。
それはさておき、眠りにめちゃめちゃ弱い(ちなみにツノと、しっぽの付け根は、あっちのイミでめちゃめちゃ弱いとデュオは言う)カトルに腕枕している腕を、そこからゆっくりと引き抜くのは、難しいことではなかった。
この、愛しい人とふたり、混ざり合った体温で出来た空間から抜け出すのは、少し惜しくて、思い切りが要ったが。
「おっと、そのままでな、お姫様」
ちゅっとプラチナゴールドの髪にキスをする。カトルは何事も無かったように、睡眠を貪っている。
デュオはコバルトブルーの瞳を優しげにカトルに向けると、
「おやすみ、カトル」
囁いてベッドルームを出た。
出すものを出すと喉が渇いて「なんでだよ」と、ツッコんだ。
頭をくしゃくしゃと掻いて、デュオは冷蔵庫を開けると、無造作に牛乳をパックごとあおった。何事も豪快なデュオさんだ。
一気に飲み干すと牛乳が底を付いてしまった。
「いっけねぇ。買い置きも無しかよ」
オーバーに肩を竦めてデュオは買出しに出ることに決めた。
まだまだ身長を伸ばしているデュオは、育ち盛りだと冗談めかして自分のことを悪友たちに言っていた。
基本的に朝と夜は絶対に牛乳を飲む。ストックが無いと落ち着かないのだ。
ついでに新発売になった天然水を、カトルのために買ってきてやろうと考えた。長く伸ばし後ろに一本に纏めた、トレードマークの三つ編みが跳ねる。カトルに「ため」と言ったときの、あの人の喜ぶ顔を想像し、ニッと笑ってデュオは口笛を吹きながら玄関から出て行った。
♪闇のなかにいた
ボクに光がさした
それはキミのほほえみ
キミがいるだけで
ボクは笑顔になれる
だれよりも
なによりも
強くなれる
鼻唄を歌いながらデュオは帰宅した。
絶対切らしたくない牛乳は、一リットルパックを四本買った。それから、硬水は口の中が痛いと言って「えげえげ」と泣いたことのあるカトルのために、まろやかな軟水も買ってきた。お姫様のお口に馴染めばまとめ買いだ。
そうそう、牛乳を切らしたくない理由は、自分の脚の長さを維持するためだけじゃなく他にもあった。一度挫折したことがあるが、何となく「ぼくもミルクが飲みたいです!」とカトルがいつか、言い出す気がしてならないせいだ。根拠は無い。ただ、カトルにミルクって似合うと思うから。何気に『カトルとミルクとイチゴ』で、ウハウハなデュオだった。『イチゴ買って来よう~っと』と、ウキウキと思う。マイブームのビッグウェーブが来た。
「……オレって、ケダモノ、だわ」
と、呟いたデュオの妄想はプライバシー保護の観点から伏せておく。誰のプライバシーを護り、誰の肖像権を汚さないためかは、想像していただきたいものだ。デュオさんは健康な、たいそう健康な青年だったとだけ伝えておく。
浮かれて一人百面相をしながら、くるくるとキッチンで立ち回っていたら、まだシャワーも浴びてないことを思い出した。カトルのことで必死だったせいだ。
「やっぱり汗くらい流そ」
デュオはバスルームへと向かった。
気持ちよく長い髪を乾かし終えると、なにやら先程までは無かった物音が聞こえるではないか。
「ん?」
それはベッドルームから。
「…………」
声だ。
この聴き馴染みのある甘く可愛い声は。
「カ、カトルか?」
ベッドルームへ足早に移動する。
「……でゅお。…………でゅおぉ…………でゅぅおぉ~……」
いつの間にか起きてしまったのか、カトルがベッドの上にへたり込んで、デュオの名前を呼びながらすすり泣いていた。
いつも笑っている陽気なカトルがこんなに泣くなんて、今日はなんて日だ。
「カトル!」
急いでカトルの元に駆け寄る。
心配で堪らなくて、デュオの心臓はバクバクと音を立てた。
「カトル、どうしたァ?」
切迫したデュオの声を聞いても、カトルはひくひくと泣くばかりだ。
「でゅ、お、……ひっく、……でゅおぉ」
舌足らずが酷くなっている。もつれる可愛い朱い舌。
「どうしたカトル。なに泣いてんだぁ?」
「でゅお、でゅお」
おしりを付けたまま、ベッドの端に片膝を乗せたデュオに、カトルは両腕を伸ばしてにじり寄る。
手を伸ばせば届く距離まで来ると、デュオは待っていられなくて、乱暴に扱えば折れてしまいそうに細い手首を取ると、自分の元へグイッと引き寄せた。
「カトル」
「でゅぅおぉ~」
「ふぃーん」と泣いた。
名前を呼びながら、懸命にしがみついてくるカトルに、デュオは愛しさを募らせる。泪のせいでたどたどしくなった口調で呼ばれると、庇護愛と一緒に理性も本能も丸ごともぎ取られるようで堪らなかった。
熱く広がっていく、あたたかい泪の染みが、デュオの胸の底まで濡らすようだ。
「カトル、どうしたんだよ一体」
デュオの服を握り締めるカトルの白い手が、大きく震えている。
「でゅおが、でゅおが、いな、くて。ぼく、は……くらい、おへやに、……ひとり……ぼっちで」
言葉を詰まらせながら、紅潮した顔でカトルは口にする。
デュオは片手で華奢な背中を撫でて、残る大きな手で、カトルの顔にかかるやわらかな髪の毛を、優しく梳いてやる。
「カトル」
愛しさを乗せ紡がれる声は、低く優しくカトルの耳孔をくすぐる。
「……また、いって、しまったのかと、おもい……ました」
しゃくり上げながらカトルは骨ばった男らしい手を探ると、存在を確かめるように両手で強く握り、濡れそぼる碧い瞳を懸命にデュオに向けてくる。
「カトル」
込み上げる愛しさに、どうして良いのかわからなくなる。
「オレは何処のも行かねえよ。カトルを置いて何処にも行くもんか」
「でゅおぉ」
「泣くなよ。泣かないでくれよ、カトル」
反面思う。
――――泣いていて。すぐに笑顔にしてあげるから。オレのために泣いていて。
真っ直ぐに気持ちを偽らずに伝えてくれる、カトルが愛しくて堪らない。この愛らしい人をどうしてくれようか。愛しさ余って、いじめてしまいたくなる。
安心して、デュオは小さく笑った。
「カトル、ウサギみたいに目が真っ赤だぞぉ!」
「……ぼく、は……ひつじ、です」
手の甲、両手を使って、涙を拭いながらカトルは言う。
それを聞いて、デュオは思わず、ぷっと吹き出す。
泣いていても変にお固く律儀なところは少しも変わらない。
「知ってる」
見尻にキスをする。
今までの不安のために、小刻みに震え続ける小さな身体を抱き締めた。
「オレはカトルにぞっこんなんだぜ。置いていったりなんかするもんか」
すんすんと鼻を鳴らし、回らない舌で、
「じょっこん?」
と言って、カトルは大きな眼をぱちくりさせて、どんな小動物よりも愛らしく、ちょこんと小首を傾げる。
「照れ臭いから訊くなよ」
デュオはニヤニヤと笑うと、近づいて、食べたくなるよに真っ赤になったカトルのほっぺたに、ちゅっとキスすると、耳元で囁いた。
「カトルのことが底抜けに好きだよってイミだよ」
「……しょこ、にゅけ?」
「訊くなって」
言いながらデュオは、口唇でカトルの耳朶を柔噛みした。
「ひゃうんっ!」
カトルの身体がひくっと跳ねた。
「すッゲぇー、捕れたての魚みてぇー」
初心な反応に、デュオは質の悪さを隠すように片手で口元を覆い、くっくっくっくっくっと笑ってしまう。
カトルはデュオが笑っているのは自分のせいだと思っていないようで、第三者みたいな顔をして、きょとんとしていた。
デュオがいなくなるなんて杞憂だとわかって落ち着いたのか、口唇の片端だけを器用に上げて笑っているデュオの、その逞しい胸板で顔をすりすりする。甘えているように見せかけて、デュオの服で、泪を『拭いてやがる』のだ。カトルに特別な他意はない。
可愛い仕種なので見解なんて何でも良い。どうぞ好きなだけびしょびしょにしてって心境のデュオだった。何なら鼻をかんだってオールOK。
時間が経ってきたが、それでも溢れ出した雫は急には止まらないのか、ぽろぽろと後から後から、頬を伝い落ちて行く。
潤んだ瞳でカトルはぼんやりとデュオを見上げる。
「いっぱい……なき、ました」
「ああ、いっぱい泣いたな。まだ泣いてるぞ、カトル」
デュオは言いながら、抱き寄せる振りをして、カトルの丸みのある、やわらかで小さなおしりを撫でている。掌の動きに込められた、イタズラ心を知らないカトルである。泣いていることに必死で、こそばゆい感覚が麻痺しているようだ。
デュオの手の上辺りで、しっぽが小さくふるふると震えていた。デュオの大好きな極上に可愛い短過ぎるしっぽ。
「カトル」
「あい」
熱の篭ったデュオの呼びかけにカトルは、わたわたと佇まいを正す。
涙の止まらない熱い瞼に口づけて、零れ落ちた宝石よりも綺麗な雫をそっと舐める。長い睫毛に雫が絡む。
いつも淡い桜色のほっぺは今は色濃い桃色だ。肌理細かな肌は白く裡から発光するようだった。
形の良い鼻梁をデュオは近づけ、囁きかける。
「カトル。オレのカトル」
熱い呼びかけにカトルは紅潮しながら、ほにゃっと微笑んだ。
カトルがデュオの身体にきゅっと、しがみつく。ちっちゃな声で言った。
「とれーずしゃまも、いってくれます」
「ああん?」
「私の可愛いカトル」と。カトルの後見人のトレーズは、言うらしい。
「ちがーーーーうッ!」
嫉妬の鬼となったデュオは、ちょっと「カトルのあんぽんたん!」と思う。憎らしいが、それ以上に可愛くてしかたなくて。結果。
「カトルがそんなんじゃ、オレ、ホントに居なくなっちまうぜぇ」
「? いやーーーッ! でゅお、いやですぅぅ!」
意地悪。
カトルの可愛い顔が悲痛に歪む。
「あん?」
「でゅ、でゅぅおぉお」
せっかく止まりかけていた涙が大粒になる。
「ご、ごめん……なさい」
デュオは思ってもみなかった、ゾクゾクする快感を得た。なので、マヌケで無神経で怖いもの知らずの返答を赦してやることにする。
「カトルぅ、あんま泣くなよ」
泣かしたくせに言う。
「な、ないたら、きらいに、なりますかぁ?」
あまりに心細そうに訊くので、デュオは正直に自分の気持ちを白状する。
「泣いてるカトルも可愛いぜ。カトル、大好きだぜ。愛してる」
「でゅお、ぼくも、ぼくもぉ……でゅおのこちょ……でゅおの、こちょ、だいひゅき、です」
言い切る姿は、まるで決意表明だ。可哀想に、その大好きなデュオさんによって、泣かされているって事実に、カトルは全く気がついていないのだ。
「……カトル」
片手でカトルの顎を掬い上げると、涙のせいでいつもより色濃く見えるピンク色した口唇に、デュオは自分の口唇を近づけた。
そっと、溶け合った二つの影が、無言のままで静かに離れる。
口づけた。
……否、口づけては、いない。
カトルの口唇を伝った泪に遮られたのだ。
あたたかい雫の感触を感じたその瞬間、一番焦がれたやわらかそうな口唇に触れられぬまま、あと数ミリもところで、デュオはなぜか退散してしまったのだ。
数もこなしているデュオが柄にも無く、カトルに触れようとしたことで胸が高鳴った。
俗世から身を守る、ささやかなヴェールみたいなものでしかない泪の粒なんかに、邪魔をされた。
『何でこんなに踏み込めないんだよッ! カトルの可愛い顔だけでも、二万回はキスしてるんだぜ、オレ』
髪を掻き毟りたい衝動に駆られる。
デュオはカトルの泪のついた、自分の口唇をゆっくりと舐めた。
空中を見つめて虚ろに独りごちる。
「やっぱ、甘いわ……」
打たれ強いのかデュオは、それでも、まんざらでもなさそうに笑った。
そのあと、妙に低音すぎるデュオの囁き。
「カトルは甘いな」
背筋がゾクリとする低く静かな声に、カトルはプルプルする。
「あ、あまいですか?」
不思議そうにくりくりと瞳を動かして、ペロリとカトルが自分の口唇を舐めた。
自分のことを味見なさったようだが、何となく、天使みたいな無垢なひつじちゃんのそんな仕種は扇情的で、カトル相手には健康すぎる男子であるデュオが目の当たりにするにはキツ過ぎる。
『やめろーーー!』とデュオは心の中で叫んだ。煽らないでほしい、前屈みになるから。
カトルは生きてるだけで、無闇にカワイさを振りまいている。そしてデュオのツボを刺激しまくるのだ。
どうしてこんなにカトルを好きな、邪溢れるデュオが、プラトニックでいられるのか。
今世紀最大の謎かもしれない。
いつまで、こんな生活が続くのか。「ややっ」と言う、自分の一番の宝物である、愛するカトルを強く抱き締めて、デュオはカトルに悟られないように、自慢の腰を拳で叩きまくった。
そのときの呪文は、
『オサマレぇ~、オサマレぇ~』
今はこんなでも、いつかデュオは、本懐を遂げられるのだろうか。
それは神のみぞ知るのだろう。
がんばれ、デュオ。
これは闇の中に生きてきた、ケダモノであるオオカミの、純愛なのだから……。
■FIN■
初出2008年8月24日
[Happy Sheep 6]
に少しの訂正をしました