TRAINING(練習)
Heero、Duo、Trowa、Wufei
×Quatre
☆ ☆ ☆
デュオの食事に付き合うのは、水しか飲まないカトルだ。
同じものを食べて、美味しい不味いの話はできないけれど、(その時はデュオの語りに「わぁ~! ほーっ!? ふぅう?」と、カトルは相槌を入れている)とにかくいろんなことをよく話す。「デュオはまる飲み」と、カトルに何度となく言われた食事風景に、会話は花を添えていた。
サービス精神で、周りの人間を楽しませるためにしゃべっているというわけではなく、基本的に口数が多いデュオからすれば、これほど有難い話し相手はなかった。
メルヘンな世界の人であるカトルはには、いかにも口止めされていることが多そうなのに、のん気になんでも話してくる。
「言っちゃいけないことなんて別にありません」
秘密事項はないのかという疑問に対して、逆に不思議そうに首を傾げられてしまった。
カトルと特に親しい奴の名前なんて、デュオも覚えてしまったほど、よく話しに登場する。
トレーズというのがカトルの育ての親ってところ。
ヒイロ、トロワ、ウーフェイ。こいつらはカトルの仲良しさんたち。ちなみにヤギ。
あとは、やたら大人数で纏まって名前が出てくる奴らがいたか。
伏せる理由もないし名無しでは話しにくいときもあるそうだ。きっとカトルは自分が、そういう話のされかたをするのが苦手なのだろう。
たわいもない話の登場人物に、いちいち目鼻をつけて想像しているのかも。
後になって「実は同一人物でした」って言われるのは、たとえミステリー小説だって困る。……なんて、真剣に人の話を聞きすぎている。流して聞けばどうでもいいことなのに。
仲良しなんて聞くと大いに妬けるが、内緒事をしないところが疎外感を生まなくて。カトルのこういうところも、デュオは好ましく思っていた。
食後に一杯。
デュオのコップになみなみと注がれた天然水は、カトルのお酌によるものだ。いつボトルを滑り落とすのかと、手には布巾を握りしめ、デュオはカトルを冷や冷やしながら見守っていた。
この日、話していたのはカトルが一緒に眠った子供たちの話だった。
(やっぱカトルは子供と寝てたんだよなぁ~)
子供に寄り添い、ゆっくりと数を数えて。
『カトルはみっひーちゃんとぷーしゃん、どっちがしゅきぃ~?』
こんなデュオなんからすると反応しようもない話を、熱心に聞いてやっているカトルの姿を想像することは実に容易い。
微笑ましい情景。ぬいぐるみかお人形さんに、だっこされて眠るなら――ママの次に――ご機嫌だろう。
「カトルと一緒に眠るならオレだっておとなしいもんだ」
デュオがそういうと、カトルは、
「大きい人ではデュオが一番いいです!」
と、言い切った。
一番。一番ときた。
デュオは浮かれながらも揚げ足はとる。
「まるで他の大きいのと寝たことがあるみたいなこと言うじゃねぇか」
HAHA! だ。
「寝ましたよ~」
うはは~。と、カトル。
「寝たァーーッ!?」
「ィゃうッ!?」
「あっとととと! 悪りぃっ! ぁあーー悪りぃっ! カトルしっかりしろ! 心臓止まっちまったか!?」
カトルはぶるぶるぶると首を横に振るが、デュオの大声の余波で身体が小刻みに震えている。
昔々の二槽洗濯機を彷彿とさせるぐらいの揺れかたで、いつ返事をしているのか、デュオにはさっぱりわからなかった。
☆ ☆ ☆
デュオを数から省いて言うと、カトルは本来の寝かしつける相手とは企画対象外の者、四人と眠ったことがあった。
これは、まだ、カトルが子供のところへ行く前のお話である。
今、存在する唯一の《ひつじ》であるカトルの面倒を見ているトレーズという男は、実に威風堂々とした、エレガントな紳士であった。
権威からは考えられないほどトレーズはまだ若年であったが。彫りの深い顔立ちに、身につけたものにも左右されない、均整のとれた体躯は見るからに立派で。地位に釣り合う風格を備えていた。
この男、黙っていても人をひきつけるのに。そのうえ弁が立つときている。話術とも言うべきか。静かなとうとうと流れる男性的な甘い声は聴衆を魅了した。
絶対的なカリスマ性を持つ彼は、人々の心酔の対称だった。だが、トレーズは単純な理想論者ではなく、一筋縄ではいかない男でもあった。
芯には彼なりの道理でありポリシーが、ビシリと通っているのだろうが、屈折しているか崇高すぎるのか、真意が見えないくせ者。
そんな男に愛され育ったカトルがひねくれもせずに育ったのは奇跡だと、一部の口の悪いものは言う。
表立ったところで口にするものはなかったが、面と向かってトレーズに意見する勇敢なものも極小人ながらいた。
カトルが特に仲良くしていたヤギたちは、その希少な人間だ。おごった者からすれば、諌言するような輩は忌々しい存在。それを容認し、自分の可愛がっているカトルから遠ざけようともしないのは、トレーズの器の大きさではないだろうか。
あまつさえ、吠えつく姿を楽しんでいる節がある。
涼しい目許は全てを見透かすように余裕めいていて。その態度が、若者たちの神経を逆撫でしているのであるが、それもトレーズの計算のうちに見えた。
諌言もいまや悪態レベル。
「トレーズ! キサマは間違っているッ!!」
指までさされて言い切られたのは何度目か。
「ウーフェイ。その勇猛な瞳は人が忘れてはならない気力に満ち溢れ素晴らしいが、結論だけを突きつけられても、対処のしようがない。まず一から話を始めたらどうだね」
いなすように言うと口許に笑みさえ浮かべるトレーズを見て、ウーフェイの切れ長の目がますます吊り上る。きっちりと一つに纏められた黒髪が自分の剣幕で、ピリピリと震えていた。
万事につけこんな感じ。
ウーフェイがここへ訪れたのは、昨晩、カトルがお泊りに押しかけてきたことが原因だった。
「先客がいるが、幸運なことに君もよく知る人間だ。同席してもらおうじゃないか」
トレーズが視線を投げた先には、怪訝な顔をしたヒイロがいた。
☆ ☆ ☆
カトルの友達のヒイロ、トロワ、ウーフェイはヤギなのだが、しかし侮るなかれ、カトルに説明させれば、
「ヤギはね。とてもカッコイイんです!」
こうだ。
確かにその三人については茶化すこともできやしない。――しなやかで精悍。クールな印象が、とてもヤギには見えないところを除いてはだが。
我々のよく知る山羊は、種によって見分けがつかないほど羊と似ているものだ。しかし、ものによりけり。傾斜のきつい岩肌に覆われた山岳。そんな険しい環境にクラス山羊は、実に凛々しい面持ちをしているではないか。
ウーフェイもカトルのいうところの“ヤギらしさ”からか、実に凛とした面構えをした青年だった。
話は昨日にさかのぼる。
ウーフェイが「お願い」があるとカトルに呼び出され出向いた部屋には、トレーズまで待ち構えていたのだ。
「帰る」
「ま、待ってーー!」
「離せ、カトル。俺は帰る。あいつまで居るとなると、どうせろくなことではないだろうからなっ」
疫病神と決め付けられた、かの人は「ウーフェイにも困ったものだ」と忍び笑い。
「ウーフェイっ、待ってくださいっ。僕の話を聞いてくれるって言ったじゃないかっ。約束したのに。約束しましたよね、『男の約束』だって、ウーフェイ!」
出て行こうとするウーフェイの腕をカトルは引っ張って、殊更『約束』を強調して言い募るのは、トレーズの入れ知恵だ。
侠気を大切にする一本気なウーフェイは、この手の言葉に弱いところがある。
ウーフェイの好きな言葉は、ズバリ「正義」。しかも「正義」イコール「強者」だという絶対的な自説を持つ男であった。
「ウーフェイ……」
肩越しのカトルと目が合う。
闘って自分を負かすか、てこずらせるような奴の言葉じゃなければ聞く耳も持たないウーフェイだが、何となくカトルには根拠のない底力を感じるのだ。
どちらにしろ睨めっこに負け、勝者のカトルとの約束を果たさなければならないと、ウーフェイが腹を括りかけていたら。
「おやおや、交わした約束を反故にするのは品位に欠けるが。自由意志だ。仕方がないね」
立ち止まった、その背中めがけて、トレーズの嘆息混じりの声がした。
「カトルおいで。無理強いするのはよくない」
トレーズはカトルを呼び寄せる。
しぶしぶ傍らにきた愛しい子を慰めるように頭を撫で。
「残念だったねカトル」
ウーフェイを無視して、終わったことのように声をかける。
「はぃ。とても……。だけど、トレーズ様の言う通りです。ウーフェイが嫌ならわがままは言えません」
「カトルは聞き分けのいい子だね。そんなカトルの悩みだ。きっと良い手立てが見つかる」
三文芝居のような遣り取りに辟易して、ウーフェイは口を挟んだ。
「誰が話を聞かないと言った。下手な芝居はやめろトレーズ」
「カトルは大真面目だ」
「わかっている。だから、きさまの方に言っているんだッ!」
ひどく疲れる。ウーフェイは心底そう思った。
カトルからの申し出は、ひつじとしての自分の実力をはかるべく、ウーフェイに協力をお願いしたいというものだった。
簡単に言えば、カトルはウーフェイを寝かしつけたいと言っているわけだ。
そんな話に、どうしてトレーズまで立ち合っているのかというと、「いかにも規則正しい生活を送っている彼なら適役かもしれない」と、カトルにウーフェイを推薦したからであった。
「言いたいことはわかったが、俺にはひつじなど必要ない」
と拒否するウーフェイを、
「好きにしろ。その代わり俺は自分のペースをかえる気はないぞ」
とまで折れさせて、カトルがウーフェイの寝所にお邪魔する運びとなった。
男同士が小狭いベッドに二人して入るということが、どれほど薄気味悪い状態か、ウーフェイはしっかりと認識している。
「小柄なカトルだから許してやったのだ」と、微笑んでいるカトルに念を押しているが、本当はカトルだったから許可を出したのだろう。ウーフェイはそういうことは言わない男。
――が。
狭いシングルベッドに乗せてやってるだけでも、ウーフェイにすればこれ以上ないほどの譲歩だが、カトルの要求はそれだけではないという根本の部分を彼は理解していなかった。
カウントを待つことなく勝手に眠ってしまうので、カトルはひつじらしくもなく、ウーフェイを揺さぶり起こしてしまうのだ。
「ウーフェイまだ寝てはいけませんっ。僕はなにもしてないじゃないかーーっ!」
カトルは掛け布団の上からゆさゆさウーフェイを揺する。
「お願いだから、カウントを聞いてよウーフェイ」
「俺は朝が早いんだ。邪魔をするなカトル」
「だから、僕が寝かしつけようとしてるのにっ」
こんな遣り取りを続け。眠ったのやら眠っていないのやら。
カトルは眠気でウーフェイの上に倒れ込んでは仮眠をとり、起きてはウーフェイの身体を力一杯揺さぶっていた。
一晩中、重いかうるさいかだった。
我が道を行こうとする二人に接点は生まれず、ウーフェイの珍しい厚意は、自分の首を絞める事態へと発展した。
「だから、俺には必要ないと言っただろ」
と、こんなわけで、目の下にクマをこさえたウーフェイが、トレーズに抗議することになったのである。
実質的な睡眠不足が原因ではなく、精神的なほうからくる疲れ。
「とにかくカトルは汚名を返上すると意気込んで、今晩も眠る気でいる。引取りに来い」
「さぁ。どうする?」
向けられた言葉をトレーズはそのまま、ヒイロに流してしまう。
「あいにくカトルは私では納得しないのだよ。誰かが一肌脱いでくれれば丸く収まりそうなのだが」
涼しい目許。後ろへと撫で付けられたブロンドの髪はいつもセットされていて、崩れたところなど見せたことはない。
トレーズの言葉から自然と想像したベッドに入った彼も、当たり前のように髪をきっちり後ろへ流していた。
『とてもいいカウントだね。さぁ、続けてカトル……そう、その調子』
まずは練習とトレーズを相手に一生懸命数を数えるカトルを、愛しそうに見守る姿は台詞までつけて想像可能だ。
オトナの中でもとびきりなにを考えているのかわからない人を食った男が相手では、カトルもわけがわからなかったのだろう。なんとなく「トレーズ様ではダメですっ!」と思ったカトルを、トレーズ本人が「賢しいものだ」と感心していたというのだから、突っ込む余地もない。
トレーズは許す限りカトルのことに時間を割くようにしていたから、プライベートな時間にトレーズのもとを訪れると、カトルを構っていたりする。膝の上に居ることもあったり。
上品な美丈夫のトレーズと、黙っていれば綺麗なカトルの組み合わせ。睦まじくごそごそしている状態は、一歩間違えばみだりがわしいものに見えそうなのだが、権力者が膝に抱いた猫の背を撫でている情景と大差のないものだった。
今はその愛情を注ぐべきカトルが席を外していて、トレーズは手持ち無沙汰だろうか。
「引き受けたからには投げ出す真似はしないだろうね。代役がいないのであれば、ウーフェイ、君には気の毒だが、カトルの気が済むまで無制限でお付き合いしてもらうことになりそうだ。何分、可愛い顔をしてなかなか強情だからね。……意志が強いというほうがよかったかな」
浮かぶ笑みは情愛の表れ。満足げなトレーズの表情は、そういうカトルの気性も気に入っていると語っている。
一人腰掛けているトレーズは、他と比べ目線が下に来るはずなのに、与えるプレッシャーは壇上にいるのと変わらないものであった。
正面からウーフェイを見据えると、トレーズはテーブルの上で両手を組んだ。
「もちろん、君本人がカトルを説得できれば話は別だが。カトルの純粋な心が痛むような、無粋で破廉恥な方法をとるつもりはないだろうね? ……カトルの心は無垢で繊細だ。シープとしてカトルが自信を失うようなことになれば……」
青年たちの表情を眺めながら、そこでトレーズは口をつぐむ。
「時間の無駄だ」
訪れた沈黙を一瞬で壊したのはヒイロだった。
(……嵌められた)
「たまにはお茶でもどうかと思ってね」なんて、トレーズが言い出したところでヒイロもおかしいと思っていたのだ。カトルのことをチラつかせてきたので、つい策に嵌ってしまった。
厄介だと単純にヒイロは考えていたが、三者が睨み合った状態ではらちがあかない。
微かに舌打ち。
「ウーフェイ、カトルは俺の家にでも放り込んでおけ。勝手にやっているだろう」
言いながら立ち去るヒイロの言葉に、その姿を想像して、
「カトルなら、きっと眠っているだろう」
トレーズは微かに口端を上げた。
☆ ☆ ☆
文字通り、ヒイロ宅の寝室に放り込まれたカトルは、主人のいないうちにベッドを占領し、夜の決戦に向けての英気を養った。
本格デビューを前に、カトルが身につけているものはデュオも良く知るもふもふの着ぐるみではなくて、ざっくりとした夜着。デュオならこっちのカトルに添い寝されたら、幸せを通り越して昇天してしまうだろう。
帰宅すると同時に、目を輝かせ「さぁ寝ましょうー、ヒイロぉー!」なんて、喜色満面で猛烈アタックをしかけてくるカトルを、ヒイロは「落ち着け」と一蹴したのだった。
十四回目の、
「ヒイロ、まだぁ?」
眠る気配のないヒイロに、カトルはすでにガス欠状態。木製の椅子に腰掛けて、テーブルに張り付いている。
うつらうつらと船を漕ぐたび、カトルの頬はテーブルとキスしていた。
テーブルに手を突っ張り、むくりと起き上がると、向かいで本を読んでいるヒイロを見る。
「そろそろ、寝ませんか?」
首を大きく傾げて尋ねるカトルの声はもちろん、表情や仕種もこの上なく愛らしい。羽根の代わりにあるのはツノだが、醸し出す空気は“天使のお誘い”。デュオなら感涙していそうなところだが、ヒイロは黙然とカトルを見た。
「眠いなら先に眠っておけ」
取り付く島もないヒイロに、カトルはしゅんと肩を落とす。
「……ヒイロ」
「俺はまだ寝ない」
催促しているとわかっていてもヒイロはあえて相手にしない。
カトルが可愛いか、可愛くないかで言えば、そういうことはどうでもいいと思うヒイロだって、迷わず「可愛い」に一票。ただ、眼光の鋭さを保ったままの投票風景からは、ヒイロの気持ちなど誰も汲み取れないだろう。思っていたって、顔には表れにくい人間だって居るものなのだ。
ただ、見つめる瞳の彩を見ればわかる。
「それじゃあ、僕も起きてるよ」
割りに打たれ強いというか、懲りない面があるカトルは背筋を伸ばすと力強く言った。
眠い。眠たい。……眠りたい。
「カァふぅ~~~……」
そんな感情に後押しされたのかカトルの大きな欠伸。
言葉を飲み込む。むぐむぐと口許を動かして、カトルは退屈そうにヒイロを見ていた。
「はぁ~」
難しい本を読んでいるように見えるのは、ヒイロの顔が難しいせい。『カトル受小話傑作選(軍曹編)』に目を通していたって、堅苦しい書物を相手にしているように見えるに決まっている。
デュオがおっかなそうだと言っていた後ろへ伸びたまっすぐなツノも、今はヒイロの頭にくっついていた。
カトルはおっかないとは思わないけれど「とても強そうだ」と思う。
こっそり想像する。まっすぐなツノをつけた自分の姿を。それをつければ自分だって、それはそれは頼もしく強そうに見えるのだろうかと。
でも、あまり長く後方に伸びられては、ひっくり返りそうな気がする。後ろには目がないのだから、引っ掛けないかも心配で。カトルはやっぱり自分には、くるくるのツノがあれば十分だと考えた。
自分の身体の一部です。感謝して愛してやらねば。カトルは、あなたで「よかったよ」と、ツノをさすってやった。
目の前に人がいるのに話ができないという状況も窮屈なものだ。
カトルは立ち上がり、夜着の裾をパンパンとはたく。目許をこするカトルが欠伸まじりにのろのろと移動を始めた。
「ヒイロは眠くないの? 眠くなくても僕が数を数えてあげるのに。ものすごく眠くなってからじゃ、本当は意味がないんだから。……それじゃあ、カウントがよかったから眠れたのか、わからないんだよぉ。……ねぇ、聞いてるのヒイロぉ!」
「ああ」
返ってきたのは生返事。
「ちゃんと聞いてないだろうー」
カトルは後ろに回るとちゃんとツノはよけて、ヒイロの背中にへばり付いた。
「……カトル」
肩に添えられた手の体温で、カトルが眠いことはヒイロにもわかる。
カトルはじゃれつくように、肩に額をぐりぐり押し付けてきた。
言って駄目なら態度で示す。
手で軽く押し返されると、カトルは負けてなるものかと、体重をかけて圧し掛かり、ヒイロの頬に頬ずりしてやった。
柔らかい頬の感触は気持ちいいに決まっているが、
「何だカトル」
ヒイロは身をそらす。
「なんだじゃないだろー、君ぃ」
怒っているのか、角度を変え、カトルはツノでヒイロを攻撃。側頭部を擦ってくる。
ツノとツノをぶつけて雌雄を決しようというのか。でも、これではカトルのツノ対ヒイロの頭髪。
そうなるのも仕方がない。端からヒイロの髪をぐちゃぐちゃにするのがカトルの目的なのだから。
首にしがみついたカトルのツノがヒイロの髪の毛をぐしぐし乱すが、ヒイロの硬い髪の毛のほうが攻撃力がありそうだ。
「いたぃっ」
ほら見ろ。
剛毛の自覚があるヒイロも一瞬そう思ったのだが、カトルが痛いと言ったのは、背もたれのことだった。
「椅子のこれは、いらないよねぇ」
さっきまで自分ものんびり凭れていた癖に。
「カトル、俺の邪魔をするな」
「ジャマをするつもりはないんだ」
ヒイロの背中を見ていたら、纏いつきたい衝動にかられただけ。――人はそれを邪魔という。
「僕はヒイロに、ゆ~っくりと、眠ってもらいたいだけなんだから」
回りこみ横に来たカトルはヒイロに向かって両手を突き出した。
その意味は「さー、行こう!」だか、「だっこして!」だか……。
嘆息して目を閉じたヒイロはとても難しい顔をしている。常駐している眉間の皺は伸びる暇もなし。もう、固まってしまったのかも。
本を閉じ立ち上がったヒイロにカトルは跳びついた。
勢いは笑顔にまみれた、ジャンピングアタック。大人だって突っ立っていたらよろめくだろう。
どすっ。と鈍い音に「ふぁははは」とカトルの喜びの声が重なる。
一見げんなりした顔をしたヒイロはカトルの肩を抱くように叩き、叱るというより嗜める。
「先走るな」
目を見開いたカトルの顔は、口答えしたそう。少しの空気を溜めた頬は、桜の色をつけていた。
さぁ、いよいよ。胸を躍らせたカトルだったが、一瞬で傾げなければならなかった。
「ヒイロ、君はなにをしてるんだい?」
本棚から新たな本を取ると、ヒイロはまた同じように座り直したのだ。
これにはカトルも萎んでしまう。
「ヒイロ~~眠らないのぉー? 僕と眠るのがイヤなのですかぁ?」
ヒイロは団体行動を強要されることや、人に干渉されることが嫌いだ。そして、人に媚びない容赦はしないという性格。そんなヒイロが嫌な奴にベタベタされて、殴り飛ばさないわけがない。頬ずりに至っては、縛り上げて渓谷に捨ててしまうだろう。
縄の用意もしないで好きなようにさせているところを見れば、ヒイロがカトルを許していることはわかりきっている。普通の人間なら、何度も命を落としかねない所業をくり返して無事でいるくせに、今更なんて質問を。
ヒイロはカトルの二の腕を掴んで、自分のほうに引き寄せた。
「お前の周りには、嫌な奴にこういうことをする奴が居るのか」
焦点の合わせられない近くで言われたカトルは目を瞬かす。頬にヒイロの唇があたると、
「ぅぉ?」
四の五の言う前にカトルは肩に担ぎ上げられていた。
じたばたしているカトルをヒイロは軽々と運び、寝室へ入るとドサッとベッドに転がす。細身にも見える身体をして、ヒイロという青年はどれだけ凝縮された筋肉を持っているのだろう。
「ふぅぐぉ……。ヒイロ、君はどーして急なのかなぁ」
目を回したまま、カトルが頭をぐらぐらとさせつつ起き上がろうとするのを押さえつけると、ヒイロは瞳まで使って威圧する。腕力をヒイロと比べれば、カトルは子供も同然だ。その上、ヒイロの眼光の鋭さ、人を惹きつける瞳の引力は並大抵のものではない。しかし、カトルの表情には怯えはなく。それどころか、ゆるゆると瞼が静かに落ちた。
陶然とした表情にも見えたが、なんてことはない。カトルはこの最中に眠気に襲われているのだ。
知っているベッドの感触を背中で感じれば、元来睡眠欲の塊みたいなカトルはもう……。
長い睫毛がパチパチと音を立て。魅力的な瞳を隠すように、次第に重ねられている時間が勝りだす。
カトルの小さな唇から、不鮮明な言葉が流れ出したのを確認すると、静かにヒイロは言った。
「眠っていろ」
「……」
ふぅ~っと息を吐いた後、うっすらと瞳を開いて、カトルは笑顔を浮かべる。本当はヒイロにたくさん言いたいことがある。
優しさも気遣いも、乱暴にしか見えないのは、照れ隠しなのか加減を知らないだけなのか、カトルにはわからないけれど、きっと、どちらも正解だから。
まぁ、どの道、慣れているから騙されない。
(ヒイロはイタイけど、いつも優しくしてくれてるよね……)
ヒイロらしいと思ったら笑みが零れていた。
「それじゃー、僕は眠ってるから、起こしてくださいね。……そうだ、……ゆっくり、してね、ヒイロ。……そのほうが……たくさん、眠れるから。……元気、だから……」
眠ってもいいとなれば、その道のエキスパートのカトル様、いつでもすぐに「ぐぐぅ~」だ。
「……やっと寝たか」
ヒイロは完璧に意識を手放したカトルのほっぺの感触を楽しむように、つまんだ指でそこを撫でる。
ため息をつくヒイロの瞳は穏やかだ。照明を消して寝室から出ると、読書を再開したのだった。
数時間後にベッドに戻ったが、カトルの体勢はヒイロが離れたときのままだった。
掛け布の上に横たわり、実に心地良さそう。
それを見るヒイロの瞳は微小な笑みと優しさを忍ばせている。こういう彼の表情は希少価値が高い。
トレーズが褒めていたが、本当にカトルは寝相がいい。
寝返りはそっと。それ以外は身じろぐ程度で、後はおとなしいものだ。
「中央か……」
呟いたヒイロの口調は知的でクール。
ベッドの真ん中で静かに寝息を立てているカトルを、ずずずずずぅぅーーと、
「ぁ……ぅうん……ん」
漏らされた声ごと、ベッドの奥――壁際まで押し退けた。
「よし……」
納得するとヒイロは勢い良く掛け布団をめくり床に就く。
捲くられた掛け布団の上にいるカトルは、ころんと半転、さらに壁に追いやられ、壁と向き合い眠っている。
ヒイロはカトルを起こさずに眠ってしまうつもりのようだった。
その動きを察知したわけではなかったろうが、カトルがごそごそと動き、なにげに腕を伸ばそうとして壁を叩いた。
「イッ……た……ぃぃ」
目の前の壁をさわさわ手で探る。
「……か、たい……? ヒィ……ロぉ……?」
ツノが痒かったのか。変な寝返りを打ち、カトルが頭を壁に擦り付けている。
一部始終をじっと見ていたヒイロは、さすがに不憫になったのか、なんとも言えない表情を浮かべていた。
見ようによっては怒っている顔にも見えるが、それはヒイロの元々の人相のせいだ。
ぼんやり目を覚ましたカトルは、壁にぶつかっていることを知っても、
「あれ? ……寝返りをうちましたか……??」
と、平和なものであった。
☆ ☆ ☆
ちょこんとベッドの端に座るカトルは、目の前の椅子に腰掛けた青年をじぃーっと見つめていた。
「はじめから、トロワのところに来ればよかった……」
前の二人とは大違い。こんなにすんなりベッドまでたどり着いている。しかも物凄く協力的だ。
たらい回しの最終地点はカトルにとって安住の地かもしれない。
カトルの目にトロワの姿は、キラキラして見えた。
「トロワだけだよ。ちゃんとしてくれるのは」
「しかしカトル。巧くしてやれるかはわからない」
「かまわないんだよ。トロワはなにもしなくて。僕が、たくさん、がんばればいいことなんだから」
立派にカウントして、トロワにぐぅぐぅ寝てもらおうと、カトルは握り拳で遠くを見る。
(あまり向いているとは思えないんだが……)
子供の代わりという設定は、無茶だとトロワは思っている。
カトルの頼みだから好きにさせることにしたトロワだったが、まだ、引き受けただけの段階なのに感謝されてしまっていた。
ウーフェイの話はわかったが、ヒイロとはどうして上手くいかなかったのかが気になった。ああ見えて大概のことは相性のいい二人なのに。
「ヒイロはどうしたんだ?」
「はぁ……ぁぁぁ……」
ずるりぃ……。
脱力。ふにゃふにゃになったカトルは、ベッドから足は下ろしたまま、身体を横に倒した。
どこに行ってもベッドを私物化するのは、ひつじの特技なのだろうか。
「ふかふかですね」
ぽむぽむとスプリングの感触を確かめて、一瞬気を逸らせるが、カトルは直ぐに話を戻した。
「ヒイロは、眠ってくれないんだ……」
カウントはいくつまで行ったのだろう。朦朧とする意識のなかで「一つとんだぞ」というヒイロの冷静な声がしていた。
ヒイロはひつじのお仕事を理解していないというか、彼の関心事がすれていたのだ。
人を眠りに誘うことがひつじの使命であるというのに、ヒイロは如何に一定のリズムでカウントをとるかに重点をおいて、カトルの寝かせつけぶりを評価してくださった。
実際、数の数え方は、相手が眠りへと陥落する瞬間などは、ゆっくりゆっくりとなっていったりもするもので、必ずしも、一定のリズムでカウントを取るわけではない。
メトロノームでもあるまいし。ヒイロに融通という言葉を教えてやりたいものだ。
「今日もやるのかカトル?」
朝にいつもと同じ顔をしたヒイロに、軽く言われたときには、カトルは、
(ぅはーーっ!?)
と、思った。
今はトロワの所に来られて本当にほっとしている。
「トロワならきっと、気持ちのいい夢が見られるような気がするんだ」
既に、うっとり。ほこほこの笑顔を浮かべるカトルである。
撫で撫でとトロワのベッドをさすりながら目を閉じる。
「大きさも、とてもいいです」
トレーズのベッドにはとても敵わないけれど、トロワのベッドはヒイロやウーフェイのものと比べると大きめだ。
これはきっと、今日という日を予感してのサイズ。
「僕はトロワと寝るべきだったんだね」
人間なんて視点によって全てが運命的に見えてくる。
カトルはトロワが特別大好きだった。
トレーズもヒイロもウーフェイもそれぞれ特別だが、トロワも特別だ。
少しドキドキするところが好き。
「僕はねトロワ。立派なひつじになりたいんだ。眠りたいのに眠れないなんて、とても辛いことだよね」
ベッドサイドに来たトロワにカトルは手を伸ばす。
「カトルなら、いい夢路への案内人になれる」
「トロワ……」
抱き起こされるままにしがみつき、肩口に顎を乗っける。くんくんと鼻を鳴らしてトロワの匂いを確かめた。
幸せそうな表情は重なる体温から生まれている。
「太鼓判ですね」
カトルが言うと、芋版みたいな威厳のなさだが。その頭の中には勲章みたいに、トロワのお墨付き――認定証がはためいていた。
「……待って、トロワ」
今の状態で何を待てというのだろう。
「どうしたカトル」
制止されるような所業に及んだつもりのないトロワは当然そう尋ねるわけで。
「……このまま、眠ってしまいそうです」
そう言われても、直ぐに自分の罪がわからなかった。
トロワが背中を撫でたせいだ。あまりに心地好くて眠気を誘うのである。
身を離すと目をこするを通り越し、両手で顔をこすっている。
「ぐぅ……」
カトルの眠気は相当なものなのだろう。珍しく、苦いものを口にしたような顔をしていた。マニアからすれば、ブサカワの心ときめくナイスな表情だろう。
顔をこするだけではとどまらず、ツノも髪もぐしぐし掻き回しているのは、頭がもやもやするせいだ。
「……ふぐぅ」
首筋を掻くカトルの手をトロワは掴む。
「掻くな。傷になる。カトルは赤くなりやすい肌質をしているだろ」
肌が白いぶん赤みがつくと浮き立ってしまう。
しきりに目を瞬かせながらも自分の言葉に頷くカトルを見て、トロワは今日の練習は延期だなと思っていた。
しかし、カトルのやる気は殺がれていなかった。初志貫徹のカトルである。
少し「うんうん」うなったら、カトルは肩の力を抜いてため息をついた。
「さぁ、トロワ、寝ましょー!」
返事をためらうトロワの気配を察したのか。
「峠は越えました」
ぱっちり目覚めていると主張して、大きな瞳を見せ付ける。
「今のはものすごかったよー! 去っていきましたけどね」
この手の武勇伝は、クマと遭遇した男たちが口にするものと似ている。なんとなくウソ臭い。
「恐れをなしたのかもな……」
こういうとさらに胡散臭くなるのに……。
トロワの表情は動かないから、口にした本人の狙いは不明。
それでも、今の発言にカトルが機嫌をよくしていることは、浮かべた笑顔でわかりすぎるほどだった。
「では、おやすみなさい」
ここからがカトルにとっては本番。
「眠ってね、トロワ」
体勢だって整えた。トロワと向き合う角度もバッチリ。少しおかしいのは、自分が抱かれているところ。
ベッドの中では熾烈を極めた陣地争い。
「えいっ」
この手は違うだろうとばかりに、自分の背中に回っているトロワの腕を押し退ける。
正しくはこう。カトルは布団から片腕を出した。
そう、この腕が布団の上からぽふぽふとリズムを刻むことになる。
さっそく数を数えましょうと、大きく息を吸い込んで呼吸を止めた。
その時にカトルはトロワと目が合った。
水中から顔を出し、命をかけた息継ぎ中って表情のときに、涼しい瞳をした人が観察していたら、赤面するしかないではないか。
口を結んで気を取り直す。
カトルは瞳が大きいから、目を剥いてたって可愛いというのは根拠のない論理だ。
「……トロワのこの手は、ここじゃないんだよ」
やはり背中に回る手を気にしている。
トロワの手はとても気持ちがいいものだ。ただ眠るのなら大歓迎だが、今は違う。
「楽な姿勢のほうが寝付きやすくなるんじゃないのか」
「ラクなのトロワ?」
「カトルにどうしたいという希望があるのはわかるが、実際に人を寝かしつけるときには、相手のほうが主導権を握るということになるんじゃないのか。むくみやすい人間なんかはそうだが、人によって、足を高くして眠るのが好きな奴もいる。今は腕だが、カトルに足を乗せたがる奴がでてこないとはかぎらない。――あくまで個人的な意見だが、少しでも快適に眠ってほしいと願うなら、相手の心地好い体勢を優先してやるほうがいいと俺は考えるんだが」
普段、口数が極端に少ないトロワが、口にすればなんだってそれらしく聞こえる。
「……そ、そうだよね。僕はそこまで考えていなかったよ。やっぱりトロワって……」
そこまで言うと、のぼせたようにカトルの顔が赤く染まってしまった。
カトルが紅潮しているのは、惚れ惚れしているせいだった。ますますトロワと同衾できてよかったとカトルは思っていた。ベンキョーになるから。
鵜呑みにしているカトルに水をさすようでなんだが、もっともらしい見解に忍ばせたのは(ようするに自分がそうしたいための)口実だということ。しかも個人的な意見と付け加えることで、責任を問われない形にしている。中身は薄くてもカトルを煙に巻くには長台詞に限る。
「じゃー、トロワの好きにしてください」
適当なことを言われたなんて露とも知らず、そく実践に生かすカトルはとても素直だ。
そして結局抱かれて眠ることとなった。
ひとーつ。ふたつ。数を重ねて。
「だめ、だよ……トロワ」
みっつ。よっつ。いくつまで。
「……だめ、だったら、トロワ」
カウントの合間に、
「しちゃ、いけません」
ぺちんっ。
カトルの口から漏れるのはトロワを諌める声。
「……やめて……くだ、さ、い」
もう、ふらふらと。
「背中、は……たた、か……ない、で。……手を、とめて……よ」
今にも眠りに落ちそうな、カトルは踏ん張りカウントをとる。
「もぅ……だぁめ、だって…………言ってるぅだぁろぉ~~~~……」
それを最後に。
「ぐぐうぅぅぅぅ……」
カトルのカウントは途絶えた。
「……カトル……」
呼びかけに応えるように聞こえるのは、慎ましやかな寝息だけ。
相当、我慢をしていたのに、カウントに合わせトロワが優しく背中を叩くものだから、カトルはついに眠ってしまった。
「……ぐっふぅぅ~~……」
翌朝。ご立腹のカトルに散々噛み付かれた、これがトロワの弁明。
「悪気はなかったんだが……」
ならば、どういうつもりだったのか。
逆にひつじを寝かしつけてしまうなんて。……しかも、カトル本人は拒否していたのに。
カトルは一人でいい夢を見てしまった。
トロワは練習代にむいていないどころの騒ぎではなかったというわけだ。
☆ ☆ ☆
トロワにも望む結果を出せなくてカトルは自信喪失。
トレーズのもとに帰ったが。話を聞いたトレーズは楽しそうに笑っていた。
「そんなに、おかしいですか?」
ひしゃげた感じで、部屋の隅でいじけるカトルを見てトレーズは目を細める。
「彼らは不眠に悩まされていたわけではなかったのだから、カトルにとっては辛い試練だったと思うべきだ。眠ろうとしているカトルを寝かさずに、爽快感まで与えろというのと同じくらい困難なことだと言えばわかるかね。カトル?」
「それは、とても無茶です」
「そう、本人にとっては無茶であり、行うほうからすれば、無理なことだ。相手の望みではないことを、強制的に行おうとしていたというわけだからね。カトルははじめから無理なことに挑戦していたんだよ。――ひつじの理想はそうではなかったはずだ」
話ながら、カトルを掴まえたトレーズは、おとなしくしている人を抱き、自分の低位置に戻る。
「カトルの本領が発揮されるのは、眠れないことで心を痛めている相手に対してだ。今回のことで自信を失う必要はない。カトルの真価は別のところにあるのだから。カトルはよくやった」
揺るがぬ瞳は言葉に説得力を与える。大きな手のひらで撫でられれば「大丈夫」な気がして、根拠のない自信が湧いてくる。これがきっとトレーズの力。よく聞けば、発言は結構適当なものである。
「トレーズ様は、本当に僕がダメだとは思っていませんか?」
トレーズの返事を待つカトルは神妙な顔をしている。
カトルはウーフェイにもヒイロにも邪魔だ邪魔だと言われたのだ。どんな気持ちでその言葉を受けていたのか。
(そんな瞳をして……)
言葉より先に、手のひらで安心を与えるために髪を梳く。
「綺麗な光だ」
呟きはカトルまで届かない。
ツノをくすぐるようにしてやれば、目を強く閉じて、くすぐったいのを我慢している。
「……彼らを相手に立派なものだと私は感心しているんだよ、カトル」
逆に考えれば、トレーズはそれだけ不向きな人間だと知っていて、カトルを彼らのところへ出向かせたということになる。
「トレーズ様。僕はたくさん、がんばります」
抱きしめたカトルがそう誓う。
解釈によってはペテンにかけたようなものなのに、カトルからの信頼を深めるトレーズはやはり只者ではない。
「カトルは素晴らしい子だ。私が知る中で君ほどのシープはいない。――申し分ない素質に加え、その熱意があれば、不安を導くものなど何もない。君は安心していればいい。その身を支える者なら……」
青年たちの面差しを頭の中でよぎらせて、トレーズは仄かに相好を崩すと呼吸を置く。
「……カトルらしく、素直に行動していなさい」
トレーズが考えていることは屈折していて不可解だが、カトルを心から可愛がっていることは確か。
労わるようにかき上げた髪。晒された額に、そっと唇を落として、トレーズは情愛を示した。
☆ ☆ ☆
「揃ってお出ましとは仲がいい。カトルが見れば仲間に加わりたいと零したろうね。――言い分は良くわかった。そんな顔をしているが、君たちは芯からの不快な思いはしていないはずだよ。引き受けた時点で白状しているようなもの。……それに引き換え、可愛い人には本当に辛い思いをさせてしまった。これには私も少々胸を痛めているのだが。少なからずショックを受けたことは確かだが、幸いだったことは、あの子がめげてはいないということだろう。どうだね? 容姿とたがわぬ素晴らしく愛らしい心根を持っていると、君たちも感じているだろ。しかし君たちにとって残念なことは、あれは、私の大事な人ということだ。――私がそれぞれの家に行く許可を出した理由かね? ……私の可愛いカトルを、見せびらかすような気持ちがあったと言えば納得してくれるかね?」
トレーズはご機嫌斜めの男たちにこう言って、静かに微笑んだのだった。
☆ ☆ ☆
デュオの大きな声にびっくりしたが、ヤギの仲良しさんたちが添い寝の練習相手には、まるでむいていなかったことを、カトルは次々と思い出していた。
「眠りましたけれども、ちっとも、です。みんな……。デュオみたいにしてくれた人はいません。だから僕は、デュオと眠るのが大好きなんです」
これは、ベッドの中でしっくりくるってイミだろうか。嬉しくてデュオはちょっとゾクリとする。
「それってカトルあれだよな。今まで眠った奴らとオレがいても、カトルはオレを選んで添い寝してくれるってことだよな」
「もちろんです!」
だって、眠ってくれない人ばかり。トレーズのフォローがあったからもう気落ちはしていないが、結構カトルはふくれている。
「僕は、よくできていますか? ……デュオは僕を、必要としてくれますか?」
「それこそ、モチロンだ。必要も必要。……ヤミツキだから」
ちゅいっと頬にキス。
この口はカトルに決して嘘はつきませんって証明。
「添い寝するならデュオがいいです。優しくしてくれるから……」
「ああ、オレゃーいつだって、カトルには優しーぜ」
「はい。とても。いつだって、優しいです」
寝ているときにカトルに髪の毛を下敷きにされていたって、「いてーよッ!」なんて、突き飛ばさないデュオである。「カトルぅー。痛いんだけど。よっと、いてて、イテ」と、髪を掴んで引っこ抜くような男だ。自分でもおかしな奴だと自覚している。
「カトル」
好きだぜ。好き好き。
そのくらいの思いのこもった呼びかけに。
「はい」
気持ちのいい返事をして、カトルはにこりと微笑んでいる。
続く言葉はやっぱりこれだ。
「眠りますかぁー?」
「ホイきた」
デュオは踊るように軽々とカトルを抱き上げる。
好きな子の身体ときたら、なんて心地好い重さを備えているんだろう。カトルの肌は、挿し色に薄いピンクのミルク色。髪は光を束ねた薄黄色。色彩まで軽やかで。
こんな可愛い人と眠るなら、子供じゃなくてもハッピーだ。ただし眠り方は、抱かれてではなく”抱いて“だが。
「いつか……天国みさせてやるぜ。カ~トル」
デュオはいつでも邪な気合と希望でいっぱいだ。
「……天国……?」
カトルにはわからない言い回し。だから、当然のようにこう答える。
「今もとても幸せです!」
――ここよりも、理想的な場所なんてありますか?
今日もデュオの耳元で、カウントをとる穏やかな声。
華奢な身体は細いくせして柔らかで、触れればふにゃりと馴染んでく。
この上もなく気持ちがいい。
「カトルは絶対最高のひつじだ。オレが保障する」
他のひつじは知らないデュオだが、気持ちが安らぐんだから。これに勝るものなんてない。
もはや、ひつじということは関係なく、デュオからすればカトルは……。
「サイコぉーだぜ。カトル……」
待ってる人、心配している人たちには悪いけど、この様子では当分、カトルはデュオの専属シープだろう。
それでは。……心安らかに。
――おやすみなさーい。
■FIN■
初出2000年8月27日「HAPPY SHEEP 3」から
それに、少しだけ加筆訂正しました